今日というこの日を、虎徹は指折りで数えていた。

その日は綺麗な欠けた月が夜空にぽつんっとある晩で、不思議と他の星々の印象が薄らぎ、月から注ぐ数多の光だけがまるで自分の為にあるのかと錯覚してしまうくらいだった。
そんな神聖とも思える夜であっても、シュテルンビルトを守るヒーローに昼夜という概念は基本的に考慮されておらず、むしろ人々が寝静まる深夜にかけて犯罪率は浮揚の一途へと課す。
わざわざ予告の上で犯罪行為へと踏み入ってくれる凶悪犯などいう古めかしい者もなく、手首につけたコールサインに導かれて今日も、虎徹は自宅であるアパートを翔りだす。
それでもまだ自室の明かりを昏々と付けたまま軽くベッドに腰掛けていただけだったのが幸いした。これで、さあ寝ようという意気込みがあったのならば、身体の動きがさすがににぶいだろうから。
生憎のところ、本日の昼間は会社へ出勤しての折。そうして夜はヒーローとしての勤めとなるとハードスケジュールとも言えるが、比較的日常茶飯事なのでもはや文句の心も持つわけではなかった。
そうこうして急いでも、こればかりは運というお付き合いが待っているもので、急いでヒーロースーツに身を包み込んで、いざ現場へと辿り着いた時は一から数えて四番目という順序に甘んじる結果がお待ち受け。相手が複数犯ならばいざしらず、完全な単独犯となり…今回のように目下夜間パトロール中のスカイハイが一番に突撃となると、事態の収拾も予想以上に早いものだった。
結局、虎徹自身はそのスポンサーロゴを一度でもテレビの画面に晒すことが出来ただろうかという程度のお情けだ。それでも活躍しなかったから…はい、さようなら〜と単純に割り切れる性格でもないので、警察本隊相手にきちんと引き渡しが済むまではその場で留保だ。
そうして今日も無駄にメカニックの人件費とヒーロースーツの電力とバイクのガソリン代と浪費したわけだったが、物を壊さなかったことと、犯罪が未然に防げたことに、虎徹は一応の満足としてアポロンメディア社に帰還することとなった。当初からの契約により自分の残業手当や深夜手当が出ないことに別段嘆くことはない。
会社に戻ると殆ど使わなかったヒーロースーツを脱ぎ、そのままメンテナンスへと回す。その後は軽く己のメディカルチェックを機械で受けなければいけない。これは義務なのだが、つくづくめんどうくさいなと虎徹は思っている。これがあるせいで、たとえトランスポーターでスーツを回収して貰っても一旦は会社へと戻らなくてはいけないのだから。時間的にそれほど長い物でも痛い物でもなかったが、ようやく全ての雑務から解放された時は、いい時間帯になっていた。
疲労を感じているのならばこのまま帰宅をし、惰眠を貪る為にベッドへと直行するところなのだが、適度に走った程度では逆に身体の細胞を程良く刺激しただけという結果しかなく、多少芽生える筈の睡眠欲もどこかへ飛び去ってしまった。
それに帰宅を願ってもこの時間だとモノレールも地下鉄もブロンズステージへと向かう本数は少なくなりつつあった。
頭が冷めたついでではあったが、結局のところは暇である。だからといってこんな場所で棒立ちしているわけにもいかないので、なんとなくヒーロー事業部のいつも自分が座っているデスクへと虎徹は向かった。
もちろんこんな時間帯にこのフロアどころか隣のフロアでさえ電気はついていなかったが、会社としてはアポロンメディア社が完全に寝静まるということはないので、融通は利くものだった。
ヒーロー事業部へと辿りつくと電気を付け、横の引き出しから普段は大っぴらには出せないが、休憩時間などに読んでいるヒーロー関連の雑誌を引っ張り出して、馴染みの椅子へと腰掛ける。
おりしも時刻は日付変更の少し前で、このような高層ビルでは、静か一辺倒である。
ただ、わざわざフロアで一番大きい壁時計の前に陣取り、その針の動きだけは逐一目線を投げていた。

――― 来る
長年にて培った身に宿る直感が素早く反応して、虎徹は無造作に読んでいた雑誌を無造作に閉じると横へと追いやる。そのまま、すくりと立ち上がった。
滞りなくやってきたのは、本来ならばここにいる筈のない人物…
最初は驚いたものだが、揺るぎない瞳を携えてバーナビーが虎徹の前に現れた。
「こんなところで何をしているんですか?」
時間帯が遅いというのにいつもより整然としている虎徹の姿を見て、バーナビーはゆっくりとそう言った。
バーナビーも同じく虎徹と共にヒーローとして出勤が終わった身だった。バディとして可能な限り二人揃って出撃することを求められているのだから、つい先ほどまで隣り合わせで居たも同然だ。ただ、それはあくまでも仕事上だけであって、プライベート部分にまで干渉をしろということではない。
だからバーナビー自身も同じくヒーロー事業部に来たのは偶然だったのか、どうか。それでもバーナビーはこの場に来た。来てしまったのだ…
「バニーが来るのを待っていたって言ったら、本気にする?」
身長差から決して同じにはならない視線ではあったが、目を合わせて虎徹は静かに伝えた。その言葉が冗談なのか本気なのか自分自身でもわからない口ぶりだった。
「僕に何か用事ですか?珍しいですね」
と、少しだけ驚いた様子を見せてバーナビーは虎徹へ問いかけた。
本当に珍しいのだ。いつもおちゃらけていた様子を見せる虎徹は、たとえ何かあるのなら、こちらのことなど気にせず全く勝手に話しかけて来るのだから。それ以上もそれ以下も有り得るとはバーナビーは思っていなかった様子で。
問われた虎徹は少し時間をおいて、すぐには答えようとしなかったが、やがてゆっくりと、次の言葉を口にする。

「俺、バニーのことが好きだよ」
透き通るような緑玉色とされているバーナビーの瞳、虎徹の色は違うけれど、だがそれに写る色が混じっても決して同じではない。その真摯な瞳で、虎徹は訴えをかけたのだ。
そのまま二人の視線が故意に絡み合う。
こうやって、真面目に向き合うことさえ珍しいことで、それだけで何かに魅了されたようになる。



「―――なんですか。最近は、そういう冗談が流行っているんですか?」
バーナビーは一旦その目を丸くしたが、直ぐに言葉で身体ごと切り替えた。いつもより口調は軽く返して、手振りでおどけたリアクションをしたのだ。やはりその相手が、自分より一回り近く上のおじさんであることを訴えるかのように。
「………あ、驚いた?今日は、エイプリルフール…嘘をついてもいい日だからさ。ちょっとな、」
先ほどの真っ直ぐな瞳とは違う、確実な冗談を孕んだ様子を示しながら、今度は虎徹の方がおどけて言った。声の調子は明るいの一辺倒で、それはいつもの調子を示す様子だった。全面的に遊ぶように、これを楽しんでいるかのようにさえも見せつけた。
「ああ、言われてみれば………エイプリルフールですか。全く…くだらないですね」
砕けまくる虎徹に対して、それがおもしろいとは返さずに呆れた様に、バーナビーは息を一つ落とす。今までのバーナビーの人生で、エイプリルフールを冗談めかすようなことが身近で起きた事はない様子を示唆していた。
ふいに目に入るのは、経理女史の卓上に置かれる小ぶりなカレンダーで、さすが仕事上必須なのかAPRが一目で見る事が出来る。
「バニーは、何を言っても動じなさそうだからな。ていうか、エイプリルフールなんて知らないかと思ってたよ」
非常に残念だと、虎徹は目を見開いてオーバーリアクションにて肩を落した。
どこまでもスマートだと印象をもたれているバーナビーに対して、そんな事を言ってくる人物はいないと思ったから、もしかしたら騙されてくれるかもしれないと、思っていたのに惨敗だった。一瞬でも騙されてくれたら、の表情を見てみたかったというのに。少なくとも今日一日仕事という上で共に過ごしたかぎりでは、そういった素振りがなかったのだから。
「さすがに一般常識でしょう…僕自身が便乗した事はありませんが」
あまり表立って派手にやるようなイベントではないが、エイプリルフールだからということで簡単な嘘をつくくらいは浸透している。バーナビー自身が嘘をつかれたようなことはないが、周りがやっているのを見ていて自然と知識というレベルでは知っていたようだ。
そこまで冗談が通じるタイプだと周囲から思われていないこともあり、こんなことをしてきたのは後にも先にも虎徹一人なのかもしれない。
年々と増えて行くと思うぐらいのイベントの中でも、また随分と奇妙なイベントだと感心したのだが、それも遠い目で他人事のように思っていた。
「そういえば、バニーって嘘ついたことないの?」
ふと出てきた疑問を、ぽんっと虎徹は口にする。嘘をつくなどバーナビーのイメージではないが、昔からこの性格かどうかなんて、虎徹にはわからないから聞いてみたのだ。
「貴方が思うような冗談的な嘘はついたことはありませんけどね。必要な嘘は口にしてきましたけど、僕はあまり嘘をつくのは好きではありませんし」
少し視線を外して、バーナビーは少し昔を思い出すかのように言い表した。
それが幼くして両親を殺されて養父としてマーベリック氏がいたとはいえ必要だったからこそ、嘘をつき生きて来た時もあったようだった。
「そう、なんだ………じゃあ、案外俺相手にも嘘ついたことがあるの?」
それは普段は見せない僅かに垣間見れたバーナビーの姿に、単純な興味が虎徹には湧いたからこその言葉だった。
「ない…ですね。わざわざ貴方相手に嘘をつく必要性を今まで感じたことがなかったので」
わざわざ確認をされるとは思わなかったが、そう聞かれると変に嘘をつく間柄というわけではなかった。いろいろとプライベートに口を挟みたがる虎徹だったが、さすがに聞かれもしないことをベラベラとしゃべるタイプではバーナビーはないので、必要以外は過剰に口を聞かない為、嘘をつくことだけではなく、あえてはぐらかしたりすることもなかったのかもしれない。
「ふーん。それならさ、折角なんだから嘘をついてみれば?今日なら、罪悪感もないだろうし」
ぽんっと、とても素晴らしい名案が浮かんだの如く虎徹は提案をする。
こんなお遊びをバーナビーが快くは思わないとは思ったが、単純にバーナビーの嘘というのを聞いてみたかった。一体、どんなことを言うのだろう…と。
「そうですね。じゃあ…」
意外とあっさり乗り気となったバーナビーは、虎徹に賛同する様子を見せた。この時は、何年かに一度しか沸かない気まぐれが珍しく発動しただけだったのかもしれないが。
しばしの考えと共に僅かに時間が経過して…やがて、バーナビーはその言葉を口にした。

「好きです―――」
甘く痺れる、その偽りの言葉を響き渡せるかのように、こちらに投げかけて来る。
「これで満足ですか?」
凍り付いた空気をほんの少しだけ溶いたのは、続くバーナビーの言葉で。
煽ってきた虎徹と同じように、少し似合わない冗談交じりの声を出した。

「………いっけね!もう、こんな時間じゃないか。さすがにもう帰んないと、眠いわ。バニーも、早く寝ろよ」
虎徹は返事をせずに、それだけをまくしたてるように口に出した。目線の先は、どこまでも壁時計へと向かい、俯いたまま足だけを急かして、くるりと後ろを向く。
「嘘を、ありがとな」
最後に少しだけ振り返りそう言って、パタンッと閉じられた音だけを空間に響かせた。








嘘という名の嘘(1/3)
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逃げるように、遠ざかる虎徹の自分自身の足音。それが自分でもわかって、嫌にうるさかった。でも、のんびりゆっくりなんて階段を降りることは出来なかったのだ。
ただ…我慢をすればいい。
時間帯的に廊下を走っていても、誰かとすれ違うだなんてそうはないとはわかっていたが、うつむいて急いで自宅のアパートへと向かうだけだった。誰もがとっくに寝ている時間帯で、暗く誰もいない。何の必要もない時間と空間だった。あの場に居た虎徹自身も…何か特別な用なんて本当はなかった。
それでもエイプリルフールという日を、虎徹は待ち望んでいた。
姿を表してくれるのは本当に気まぐれで、今日と言う日にまるで奇跡のようにバーナビーは自分の前にやってきた。滅多に自分の思い通りになる相手ではないのに、それでも欠けた月明かりとともに今日来てくれたのは…と、勝手に期待をしてしまうのだ。現われるかわからないのにそれでも、そうでなければいけないくらいの秘めた想いを、嘘という名の嘘を口にし、バーナビーへ本当の想いを告げる。
そのために…
初めから駄目だとわかっていたからこそ、バーナビーから「そういう冗談が流行っているんですか?」と言われたときに、心に止めて用意しておいた保険の言葉があっさりと出せた。
でも、普段は簡単に出来る明るい調子の声が変に裏返りそうで、見抜かされそうで怖かった。自分でも演技下手で妙にわざとらしく聞こえて…何をやっているんだと、心の中で自身を叱る。ただそれでも、バーナビーへと向けた顔が引きつった笑みになっていないか、気を使って表情をゆるめた。
傷つく前に、自分で傷をつけておけばいい。
そう思ったのに、遊びで言ってもらったバーナビーの意外な言葉に一瞬でも騙されてしまった自分が浅はかだった。嘘をつかれるとわかっていたのに、それが前提だったのに………それでも…信じてしまいたかった。
とても居た堪れなくて、ろくな言葉も言えずに不自然にバーナビーの元を去った。

今日というこの日。たった一つだけ嘘が許されるとしたら…何を願う?
その嘘に騙されることが出来たなら、どれだけ幸福だろうか。
「……馬鹿だな…俺」

(好きだ―――)
瞳を閉じて、噛みしめるように思い出して… この身に焼き付けて…
もう二度に言われることのない、彼の言葉を刻みつける。








嘘という名の嘘(2/3)
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パタンッと閉じられた音を、バーナビーはどこか遠くのように聞いていた。
突然冗談を言って、突然去って、何だったんだ…一体。それが、漠然とだけある心な筈だった。
いつもながら虎徹は勝手な嵐のようにしゃべりけたたましく、空虚に満ちた胸の中の何かをごっそりと攫われた様な気がした。
でも、それが何なのかはわからない。掴めない。わけがわからない…釈然としない。
バーナビーには理解しがたい行動を、以前から虎徹はすることがあったが、それはいつも自分に対する冗談なのだろうと思っていたし、虎徹自身もそのように振舞うことが多かった。
なので、今回もそれに便乗をしたつもりだった。
それでも、安易な嘘はつきたくない。
だから、嘘という名の嘘をバーナビーは口にした。
あまりにも自分と虎徹は立場も性格も違いすぎるのだから、本当の事を言えるはずもなかろう。

カチリッ
思慮にふける最中、壁にかけられたシンプルな時計が静かに秒針を傾けた音が、なぜかこの時この瞬間だけ耳の中にまで響く。
日付が変わり、エイプリルフールという日の終わりを告げたのだ。そして、新しい日の始まりを示す。
それをしっかりと確認して、バーナビーはもう一度…この場にはいない虎徹へ真に迫った顔を見せて告げた。

「好きです」
いつまでも伝えることはないだろう、この気持ちを想いに乗せて。たった一人きりの空間に響く…

0時を越えても変わらぬこの言葉。
これこそが、本当の嘘なのか?








嘘という名の嘘(3/3)


















嘘 と い う 名 の 嘘