「そろそろ、虎徹さんの子供を僕に下さい」
何の脈絡もなく、バーナビーにそう言われたのは、よくある仕事の移動中だった。
虎徹からすると全うなヒーローとしての仕事とはあまり思いたくはないのだが、バーナビーと組んでから激増した映像収録の仕事で。各局は大体ゴールドステージにスタジオを構えており、下手に車で移動するよりは歩いた方が早いというくらいの、第一スタジオから第二スタジオへの移動は、いつもの事だった。特にバーナビーなんて慣れた調子の筈で、二人揃って歩いていた…そんな当たり前の日常を簡単にぶっ壊す言葉が、往来激しい街通りの一角で放たれたのだ。
「一応言っとくけど、楓はやらんぞ」
この時点ではバーナビーの真意はつかめなかったら、虎徹は一番に釘を刺す言葉を込める。二人は、道端で止まりあう。
「まさか…楓ちゃんは、虎徹さんだけの子供でしょ?そうじゃなくて、僕が欲しいのは…僕と虎徹さんの間の子供ですよ」
ここまで淡々とした言葉を聞いて、虎徹はようやく一つの理解を示す。あーこれはスイッチ入ったな、と。嫌に一つの言葉に集約すると、またこれか。だったが。
世間様では完全完璧と名高いバーナビーだったが、実は酷く厄介な誇大妄想持ちだった。何度聞いてもさっぱり信じられないのだが、虎徹の事を好きらしい。いや、まだ百歩譲ってそれがアリだったしてもだ。それ以上に扱いにくいのが、虎徹が拒否っても勝手にバーナビーの頭の中ではその誇大妄想が完成し進んでいるという事だ。話半分くらいにしか聞いていないが、それでも端的にバーナビーの口から放たれる誇大妄想によるとだ。もちろんバーナビーと虎徹と愛し合い付き合っており身体の関係もあり一緒に住んでいる…との事。これがバーナビーの頭の中の箱庭だというのならば、うん、何をどう考えても無理すぎるね。
それでも未だにこの仕事上のパートナーとして現在でも隣に入れるのは、虎徹が『バニーの誇大妄想スイッチ』と勝手に呼んでいる現象が、常時発動しているわけではないからだ。未だピンポイントな発動条件は知らないが、たまにだ。一日に一度をたまに…というレベルに捕らえていいのかわからないが、その程度で妄想を口にするくらいなら、まだラッキーなんじゃないかなと虎徹は思っている。
さて、ということで今日も一度の誇大妄想バーナビーに対処しなくてはいけない。
「子供か………んー、考えとく」
とりあえずさっさと返事をしないとヤバいので上辺だけ答えを返す。
このまま歩き続けてスタジオについてしまえば、どうせいつもの仕事モードに切り替わるので、今日の分は終了となるわけだから、虎徹としては一番都合が良かったのだが、残念ながらそうは簡単に済まなかった。
「僕は幸せな人間になりたいんです。だから…虎徹さんと僕の子供が欲しい」
虎徹の曖昧な生返事に納得がいかなかったのか、バーナビーはそのまま足を止め、また同じ言葉を繰り返すと動かなくなったのだ。いつからお前は…それしかしゃべれないロボットになってしまったんだ?誇大妄想スイッチ発動中のバーナビーは、虎徹以外アウトオブ眼中となってしまうから始末が悪い。こんな人々の行き来が激しい大通りで、バーナビーのような無駄に目立つ男を棒立ちさせるわけにも行かなかった。
悩む。何とか黙らせる方法はないものだろうか。急いで虎徹は、いつもはそこまで使わない頭をフル回転させる。なんとか、この状況をどうにかする方法がないものかと。ふむっと、顎に手を当てながら考えた。そうしてしばらく後、虎徹はパッとひらめき、きょろきょろと周囲を見回した。
「バニー、20ドルちょうだい」
考えた末に出てきた結果がその言葉で、同時に犬をお手させるかのようにバーナビーの前に右手を差し出した。
「はい、どうぞ」
虎徹の突然の言葉にもバーナビーはたじろがず何の疑いもせずに、すっとポケットからマネークリップごと札束を渡してくれた。基本はカード主義者とはいえ、さすがにそれなりの金銭だ。その中には100ドル札紙幣さえ、ちらりと見える。全く…こういう信頼は全然嬉しくないとわからないのだろうか。それでも受け取る。
「ちょっと、ここで待ってろ。いいか、絶対についてくるなよ?」
自分で言ったとはいえ、とにかく仕方なくそれを一旦預かる形としながらも、入念に言いくるめて、虎徹は固く静止の声を出す。そうして、目的の店へと小走りで向かったのだった。

「ほい、開いてみ」
手早く買い物を済ませて、目的の紙袋とお釣りとなった先ほど渡された札束をバーナビーに返すと、虎徹は軽くそう言う。
「これは………?」
紙袋から虎徹の買った物を取り出して見たバーナビーは、最初はよくわからない様子を見せていた。
「お前が金出して、俺が選んだ。これで、二人の子供だろ?」
今バーナビーの手元にあるのは、手のひらサイズほどの小さな虎のぬいぐるみだった。なんか定番の兎じゃ、バーナビーが納得しなそうだったので、仕方ない。比較的自分に近そうな虎にした。ただ、それだけだ。
「ありがとうございます」
目の前が突然開けたようにバーナビーは、ぱあっと明るい表情となった。
そうして愛しき我が子を抱きあげながらも、どこまでも大切に大切に…扱った。





「今日は、かねてから言っていたとおり、ベビーの面倒、お願いしますね」
「ああ、わかってる」
こんなやりとりが職場内で成立してしまうのは、既に慣れた様子だからだ。
うまくいったとあまり思いたくなかったが、それでもバーナビーはあの虎のぬいぐるみを、二人の子供だと信じてくれた。大体、男同士で子供なんて産めるわけない。苦肉の策であったが、バーナビーは当然のように受け入れた。
それ以来、二人で面倒を見ている…というのが、バーナビーの中で新たに加わった誇大妄想だ。実際は殆ど、バーナビー一人で虎のぬいぐるみを扱っているだけだが。ま、これだけならちょっとぬいぐるみ好きな男に見えるだけだ。それだけ並び立てるとただの怪しい奴にしか見えないが、これがハンサムの成せるマジックなのだろうか。はた目からもそれなりに好意的にみられているような気がする。便利なような面倒なような。
ベビーと呼ばれたのは、もちろん虎のぬいぐるみの事で。おままごとみたいな事なのにわざわざ名前とか考えるのはめんどうくさいとか思っていたら、バーナビーが慎重派タイプで良かった。
「まだ雑誌取材まで、時間があるので家まで見送りしますね」
今回は前々からの話により、多忙なバーナビーに変わって虎徹が今日一晩預かることとなった。手のかからないベビーシッターみたいなもんだと半分理解しながら、割り切る。
「ああ、行くか」
そうして、二人並んで虎徹のマンションへの帰宅だ。バーナビーの目には、隣に虎徹がいて間に子供もいて、とても幸せそうな家族にうつっているのかもしれないが。
「………雨?」
ぽつぽつとした雨足を敏感に察知したバーナビーが、手のひらを目の前にかざしながらも、立ち止まり呟いた。
「ホントだ。予報だと大したことなかったような…」
虎徹も足を止めながら空を見上げる。確かに雲行きは怪しかったが、雨のにおいを通り越して本降りを示唆している。
「虎徹さん。少し雨宿りしていきませんか?」
バーナビーは少し不安げな顔をこちらに見せ、道端にあったカフェへと手を示してくる。
「いや、先を急ごう。ぼやぼやしてると、お前の雑誌取材に間に合わなくなるぞ」
あと数分歩けば、虎徹のマンションへと辿り着くからこそ、雨宿りは非効率的に思えた。
本当はわざわざ虎徹のマンションになど向かわず直ぐこの場でバーナビーが、そちらに向かって欲しかったのだが、そうは簡単に願わないので、早く帰宅することを優先させることにした。
「ちょ、待って下さい。虎徹さんっ」
バーナビーを振り切り、虎徹は走る。そうして傘も差さずに、二人はただ雨足の強くなる中、帰路を走ったのだった。

「ほいっ、タオル」
半分雨に濡れてしまったが、ようやく帰宅が叶った。
虎徹は何枚かのタオルを探し出し、バーナビーへと投げるが、無言だった。やはり濡れるのは嫌だったのだろうか?こういうところはやっぱり感覚が違うのかもしれない。しばらく玄関先で棒立ちしていたバーナビーだったが、ゆっくりと虎徹のいるリビングへと来て、メガネを取って、丁寧に水滴を取り始めた。
対する虎徹というと、片手でがしがしと髪を拭き、邪魔なのでテーブルの上にあの虎のぬいぐるみを置いた。乱雑に置いたせいか、こてんっと横へと倒れてしまう。やはり…何をどこからどう見ても、ただのぬいぐるみだ。
今更思うのもおかしいが、これで良かったのかとも思う。とにかく仕方ないのだ。たまにはバーナビーの誇大妄想に付き合ってやらないと暴走するから。これがストッパーなのだと割り切る。虎徹限定の誇大妄想なのだから、自分が我慢をすればいいし、スルースキルも養われた。きっと大丈夫だ…そう思っていた。
「風邪をひいてしまいました」
「は?」
いつの間にか虎徹の横までやってきたバーナビーが、ぽつりとつぶやいたので、反射的に疑問の声を出してしまう。たったあれだけの雨で風邪をひくのか?それは急がせてしまって申し訳なかったが………いや、それ以上にバーナビーの様子が何か違うことが気になった。
「ベビーが、風邪をひいたんです」
ふわりと丁寧に虎のぬいぐるみを抱き上げて、バーナビーは新しいタオルで包み込んだ。
ああ、なんだ。そっちの設定か。しゃべることも出来ない虎のぬいぐるみ相手に、またか…と虎徹は理解する。しかし…今日、スイッチ2回目じゃないか?もしかして段々…いや、そんなことはない。と思い、虎徹はぶんぶんと頭を振る。
相変わらずバーナビーは、虎のぬいぐるみに夢中のようだ。たとえ風邪をひいたとしても、虎徹には処置なんて出来ないし。時間になったらバーナビーに声をかければいい。面倒は見るからと言って、それで今日は終わりだ。そう…安堵したところだった。
突如、虎徹の携帯のコール音が鳴り響く。相手は、母親である安寿だ。なんだろう…と思いながら、虎徹は通話をONにして耳元に当てる。



「なっ!楓が…部活中に転んだ?」
もたらされたのは愛娘の怪我を伝える連絡だった。短い安寿との会話の中でそれは端的ではあったが、それだけで虎徹にとっては十分だった。
「わかった。直ぐ行く!」
それだけ言うと、身体の方を急がせたいので通話を切る。そして、バーナビーに向き直る。
「バニー、悪い。娘が怪我したみたいなんだ。実家に帰る。詳しい事は、後で連絡するから」
手早く車のキーを拾いながらも必要最低限の連絡事項を伝える。早く早くと…気持ちだけが先行する。
「待って下さい!」
このまま車へとかけろうとしていたところで、悲痛な叫びと共に、虎徹の腕が強く掴まれた。
「ベビーが風邪なんですよ!それなのに、ベビーを置いて行くんですか!?」
バーナビーは強い疑問を口にしながらも、決して虎徹を逃すつもりはないかのような力を加える。虎徹の娘が怪我をした…それを理解していないというわけではないだろう。だが、それ以上に今のバーナビーに大切なのは、虎のぬいぐるみの方なのだろう。
………しかし、この状態で、虎徹がバーナビーの妄想に付き合うのはもはや限界だった。
「いい加減にしろ!それのどこが子供だ?俺が子供なんて生めるわけがないだろ!!!」
バーナビーがベビーと呼んだ虎のぬいぐるみを見下ろしながら、虎徹は痛烈な言葉を口から出した。今まで抗わなかったからこそ、拒否の言葉を。
ついに初めて…バーナビーの妄想を真っ向からぶち破ったのだった。

―――すっと、バーナビーの手が虎徹から離れる。虎徹の言葉を受けて、ようやく全てを悟ったかのように、顔を上げた。
「あ…そうでしたね。虎徹さんは、あまりにあっさり子供を産みすぎました。きっと、もっと苦しまないといけなかったんだ」
そうして、一人納得したかのように、バーナビーは虎徹に対する最期の言葉を放ったのだった。








「おいっ、聞いたか?さっきうちの病院に運び込まれた患者、いただろ?」
「ああ。なんか随分と騒がしかったな。何かあったのか?」
「外科で聞いた話なんだけどさ。何でも猟奇的殺人の被害者らしいぞ」
「マジかよ」
「マジマジ。なんか見た目は何ともないのに、腹部だけが切り裂かれてぐっちゃぐちゃだって」
「げげっ。俺、配属されたばっかりなのに、今日当直なんだ。こえーよ」
「ま、せいぜい頑張れよ。警察から監察医がもうすぐ派遣されるらしいが、滅多に見れないから勉強にはなると思うけど」
「そんな用件じゃ、あんまり嬉しくないな」

足音だけが響く病院の地下を、男の持った懐中電灯の光だけが揺らめく。静かだ…静かすぎる。一般の患者は立ち入り禁止だからこそ、関係者以外誰がいるわけないのだから仕方ないのかもしれないが。真夜中は月明かりしか見せない。
「あー、ここ遺体安置室か。………見て回らないわけにもいかないよな?」
自答しながらも、声が響いてしまうので、口の中だけでそう呟く。消灯確認の仕事中なのだから、それがやるべき事だった。でも昼間、同僚から聞いた話が嫌に頭を過ぎる。
仕方なく不安な思いを割り切り、白いだけの部屋へと近づく。
「誰か…いる?」
こういう時に人間というものは怖いもの見たさで震えることがある。仏さんが立ち上がるとは思えないが、逆に逃げるだけの足があるわけでもない。だから、扉をほんのわずかだけ開いて中を覗く。
すると、どこかで見たことがあるようなモデルのようにスタイルの良い長身の男性が、白いベッドの前に立って遺体を見下ろしていた。
ああ………きっとこれは夢だと思った。びびって、思考能力まで低下してしまったのだろう。あのバーナビーがこんな狂気をまさか…と思い。男は、何も見なかったことにし、さっさと当直室へ戻ることにした。





「虎徹さん…お疲れ様でした」
薄暗い遺体安置室に、一つの声が響く。優しく語りかけているのだ。
「ほらっ、貴方のお腹から産まれた…僕たちのベビーがこんなに元気ですよ」
そうしてバーナビーは笑いながら、抱き上げた血まみれの虎のぬいぐるみに頬ずりをしていた。
いつまでも―――いつまでも―――











こ ん に ち は 、 ベ ビ ー