「んじゃ、俺。明日は有給とってあるから」
いつも通りの定時のチャイムが鳴り、仕事もひと段落したところで椅子から立ち上がった虎徹は、横に座ったままのバーナビーに軽快良く声をかけてきた。
「え?…ちょっと待って下さい。明日仕事が終わったら一緒に出掛ける約束していましたよね、僕達」
想定していた当初の予定からずれたことに疑問を持ちつつも、バーナビーは素直な疑問を座ったまま口に出した。そんなに簡単に忘れるほど前にした約束というわけではないから謎がったのだ。
「ああ、だからそれの準備するからさ」
虎徹はわかっていてわざわざ有給を取るらしい事を言葉で示してくれるが、それだけではまだバーナビーの理解には追い付いていないので、また言葉を続ける。
「一日かけて準備をするようなものなんですか?その………『花見』って」
そうなのだ。実は先日二人は揃って花見に行くという約束をした。それが、虎徹いわく日本人の風流だそうで、まだバーナビーが花見をしたことがないと知るや否や、んじゃ花金の後に花見に行こう!という即決だった。思わず花金って何ですか?と聞き直したことに虎徹本人は軽くショックを受けていた話はおいておくとしても、とにかく明日金曜日の夜は花見と決まったのだ。
その準備に一日…だなんて、これから花を咲かせるぐらいの勢いにしか見えなかった。
「そりゃあ、もちろん。場所取りしないと良い場所が取られちまうからな」
バーナビーの疑問をさほど気にせず、虎徹はなぜか、ぐっと親指を立てて自信満々に答えて来る。
「場所取り?………あの、なぜ花見で場所取りなんてわざわざするんですか?」
余白の間に色々と考えて見たが本格的にわからなくて、結局根本を尋ねることになった。
「えーと…バニー。君は花見という行為をどういうふうに想像していたのかな?」
なんか変にかしこまった声が投げかけられる。花見に行こうと誘ったのは虎徹だったが、かなりすんなりハイという返事をバーナビーがしたので、まさかそこまで前提がわかっていなかったとは思わなかったらしい。
「だから、花を見るだけでしょう?僕はイングリッシュガーデンくらいしか足を運んだ事ありませんけど」
イギリス式庭園は花を見る為だけにある存在ではないが、それでもあえてバーナビーの体験の中で近いものをあげるとしたらそれだった。併設されていた薔薇園が拡大解釈され『花』と俗に呼ばれる色々な品種を愛でる。そういう認識だ。
「いや、まあ…確かに言葉はその通りだけどさ。違うんだよな… ま、百聞は一見にしかずということわざもあるし。実際に見てみればわかるさ。花見っていうのは、そういうもんだし」
そうして虎徹は多くは語らずに、うんうんとひとりでに頷いている。正直、そのことわざ自体もそれほどバーナビーが詳しい単語ではなかったのだが、なんとなく文面から言いたいことがわかるというものは便利なものだった。
「そういうものですか………それなら虎徹さん一人に場所取り…とやらをさせるのは申し訳ないので、僕も明日は休みますよ」
なにやら事情はわからなかったが、それだけは確実に伝えた。花見自体は二人でするのに、虎徹ばかりに負担をかけるのはどうだろうと思ったのだ。
「えっ、いーよいーよ。場所取りっていうのはコツがあるんだよ。俺、実家で何度かやってたから慣れてるし。ここは年長者に任せなさい。んじゃ、明日はヨロシクなー」
とんっと胸に拳を当てる仕草をした虎徹は、そのまま大股で張りきってフロアを出て行ってしまった。
何がそんなに楽しい出来事なのだが、この時のバーナビーにはまだわかっていなかった。







翌日、バーナビーは一人で出社をし、スケジュール通りの別段代わり映えのない仕事をこなしていった。犯罪のシーズンオフなどはないのだろうが、それでもこの春うららという心地よい陽気の中では、ヒーローが必要視されるほどの凶悪犯罪は起こらず、今日のメインは取材一本とあとは無難なデスクワークに終わった。
そうして一人単調な仕事も終わり定時帰宅が叶ったため、予定通りバーナビーはモノレールと地下鉄を乗り継いで虎徹と待ち合わせしている花見会場へと向かったのだった。
「なるほど、これですか」
昨日虎徹に花見に対する知識がないことを若干残念がられたので、一応ネット上でわかる範囲だけは調べてみたのだ。どうやら虎徹が言っていた花見というものは…主に桜の木の下でその姿を眺めて加えてその場で飲食することらしい。だがそれほど皆に幅広く浸透している文化ではないらしくネットで検索しても具体的な物はよくわからなく、虎徹の主張した場所取りというものも個人ブログにちらりと書いてある程度だったので実態は掴めなかった。
そうして最寄り駅に降り立ったバーナビーは生まれて初めての桜の美しさを目にしたのだ。この桜は友好の証として送られたものらしく、その2000本あまりが川べりに連なっている。中には早咲き桜もあるらしく…開花が若干まちまちな部分もあるが、それもこの美しさが比較的長く楽しめていいと思ったくらいだ。
まだ夕方から夜に差し掛かる前なのでそれほど本格的な人ごみになっているわけではなかったが、それでも会場周辺の人の出入りは際立っている。
「よっ…そこのハンサムなお兄さん。団子買っていかないかい?」
虎徹との合流先へ向かう途中、屋台から頭にハチマチを巻いた男から声が飛んできた。
「団子ですか?」
また馴染みのない物が示されて思わず聞き返す。前にブロンズステージの下町で虎徹が食べていた事は覚えているが、その時バーナビーは口にしなかったので実態を理解しているわけではない。
「そうそう。花見に団子はつきものだぜぃ」
そう言って、自慢のずらっと並んでいる三色の花見だんごを男は示す。
「そうですか。では、二人分ください」
「まいどっ」
景気の良い言葉を投げて、男は手早く団子を包んでくれた。
花を見ながら飲食をするという行為はお弁当でも作って行くのかデリバリーでもするのかと思っていたが、どうやら屋台で買って食べるというのが主流らしく、周囲を見渡せば歩きながら食べている姿も見られた。
立ち並ぶ屋台がある場所はまだ桜並木の入口にすぎず、先へ進んでいくと本格的な場所取りの様子がよくよくわかる。
「………これじゃあ虎徹さんが気合を入れるに決まっているか」
思わずそんな独り言を漏らしてしまうほど、場所取り行為はバーナビーの想像の範疇を越えていた。均等に立ち並ぶぼんぼりに負けず劣らずと広がるのはレジャーシートの数々。時には大規模なロープが張り巡らされたりしている。明らかに場所取りだとわかるようにど真ん中に人が陣取っていたり、四方に大きな石を置き風に飛ばされないようにしたり、本当かどうかわからないがなぜか猫がひなたぼっこをするように花見の場所になごんだりしている。正にここは戦いの場なのだろうとようやく納得した。
さて、それで肝心要の虎徹はどこにいるのだろうかと探しあぐねていると、バーナビーの携帯電話に届くのが一通のメール。宛先はもちろん虎徹で「ここにいる、なう」とだけ書かれた本文とGPSの地図が添付されていた。ウォーキングナビモードに切り替えると携帯電話が連れて行ってくれるというわけだ。
ナビに従い真っ直ぐ歩きたいところだったが桜並木の近くはレジャーシートが多すぎて歩行困難な為、少し迂回をしながらも急いだ。
「おーい。バニー!」
携帯の画面ばかり見て進んでいたのだが、ここに来て遠くから呼ばれる声がしたので、バーナビーは周囲を見回した。
「虎徹さん…ここでしたか」
ようやく虎徹の座るレジャーシートを見つけたバーナビーは小走りで駆け寄る。
「いやあ、悪い悪い。張り切って休んだ割にはあんまり良い場所取れなくてさ…なんか早い人は数日前からキープしていたみたいなんだ」
そう言った虎徹がレジャーシートを引いた場所は確かにお世辞にも良いとは言い難い、小さな桜の木の下だった。元々このあたり一帯は一番混雑している場所で隙間がないせいか、そのスペースも狭く、本来のレジャーシートを半分に折りたたんで置いたようだった。その結果に虎徹は申し訳なさそうに、しゅんとしている。
「別に構いませ…」
バーナビーがその全ての言葉を言い切る前に、遮る言葉があった。
「あれ……………もしかして、スーパーヒーローのバーナビーさんですか?」
バーナビーの後方からかけられた声があったのだ。
「あ、はい。そうですけど」
こういう声かけをされることは慣れているので、バーナビーはくるりと後ろを向いて対応する。
「やっぱり。私、ファンなんです。あの…良かったら握手してもらっても構いませんか?」
声をかけてきたのはスーツ姿の女性で、恐る恐る尋ねて来る。
「構いませんよ」
にっこりといつも通りの営業スマイルを見せて、バーナビーは気さくに手を差し出した。キャッと小さく叫びながらも女性も嬉しそうに握手をしてくる。とても浮かれているように見える。
「あの…バーナビーさんもお花見に来たんですよね?良かったら、うちの会社が取った場所に来ませんか?あそこなんですけども」
そう言いながら女性が示したのは、このあたりでもひときわ大きな桜の木の下だった。少し距離があるからこの場所からだとおぼろげだが、それでもその場一体に大きいブルーシートが敷かれており、会社員と思しきそれなりの人数の男女がにぎやかにしているのがわかった。
「えっ」
その声が出たのは話しかけられたバーナビーではなく、後ろにいた虎徹によるものだった。それは本人が意識していない間に出てしまったかのような小さい声で…多分拾えたのはバーナビーだけだっただろう。バーナビーより明らかに虎徹の方が女性の申し出に動揺していた証拠だった。
それがわかったからこそ、バーナビーは即返事をした。
「………折角のお誘いですが…会社の皆さんのお邪魔になるのも悪いので遠慮しておきます。それに、僕には誰にも負けないくらい眺めの良い場所が取ってありますので」
女性に不快な思いをさせないように、しかししっかりとバーナビーはその言葉を伝えたのだ。
「そう…ですか。わかりました。………握手ありがとうございました。バーナビーさんも、良いお花見を」
ぺこりっとおじぎをすると、女性は元いた場所へと戻って行った。少しだけその姿を見送り、バーナビーも元の位置へと視線を向けた。
レジャーシートに座っている虎徹は若干下を見ていたが、その耳がほんのり赤くなっているような気がするのは気のせいか。
「虎徹さん」
とりあえず顔をあげてもらいたいので、声をかける。話の途中だったのだ。
「ここだと、ボート乗り場に近いから風が吹いて寒いぞ」
「はい。だから虎徹さんに寄り添いますよ。そうすればきっと暖かい」
「レジャーシート小さいから、足伸ばせないぞ」
「なら、前に虎徹さんに教えて貰った正座にチャレンジできますね」
「でっかい石がゴロゴロしているトコだし、桜の木の根っこの真下だから、座ると痛いぞ」
「虎徹さんが気になるなら、僕の膝の上に座りますか?」
「風向き的に、あのでっかい桜の木の花弁がこっちまで飛びまくるぞ」
「桜は散り際が一番美しいと聞きましたよ。それにここならあの桜の全体が見れて綺麗ですね」





虎徹が何を言おうが、バーナビーはポディティブシンキングで返答する。そんな応酬が続く…

「なんで、あっちの木に行かなかったんだよ」
ようやく顔を上げた虎徹が決定的な言葉を投げかけてくる。瞳に移すのは戸惑いの色。
「そうですね…正直なところ、僕の一番の目的は花でも団子でもないんです。虎徹さんを見に来たんですよ?だから、ここが良いに決まってます」
そう言いながらも抱えていた団子をようやくバーナビーは虎徹に手渡した。



花と団子とおじさんという、これ以上はないという存在が集まった場所で…
二人は夜桜になるまで、随分と見物をしていたのだった。











花 よ り 団 子 よ り お じ さ ん