そして彼は、シュテルンビルトの救世主となった。

意識というものは、望んでいても望んでいなくても勝手に覚醒するものである。
まるで初めてこの世界へ降り立ったかのような奇妙な感覚にとらわれたまま、バーナビーは閉じた瞼の裏側に白い光を感じた。
それは毎朝促されている目覚めとは違う他意さえ覚えるほどの。
深く重い瞼を開こうとするが、それさえもゆっくりとしか叶わない。
あまりの外の世界の眩しさに何度か閉じては開きを繰り返したような気がする。
ようやく瞬きとは違う確実な瞳の開きを得られたとき、飛び込んだ世界は白で占められていた。
辛うじて天井は、やや灰色かかった落ち着きを見せていたが、自分が横たわるベッドのシーツも広くとられた壁も間仕切りも、太陽から反射するほど清々とした白を放っていた。
残念ながら未だに朦朧とする意識だったが、ここはどこかの病院の一室らしい。
ざっと見渡せる程度の空間ではあったが、病室というカテゴリにしては広い個室だとわかる。
すぐ右手にはトイレも兼ねた浴室っぽい別の空間へ続く引き戸があり、角度的によく見えないが奥には簡易キッチンらしきものがうっすらと。ベッドは窓際だが、部屋の中央にはソファを兼ねた小さな応接セットも見える。
現状を一通り把握したところで、バーナビーは、はたりと思い出す。
なぜ自分はこんなところにいるのだろうか、と。
直前の記憶は、昨日というよりはずいぶん前のように霞んでいるのが、まずおかしい。
けだるさはかなり残っていたが、なんとか身体を起こすことだけは出来た。
左腕につながれた点滴の管を少し引っ張ってしまったが、大きな心配はないであろう。
ふと枕元に目をやると、寝たままでも手の届く位置にナースコールがあったらしい。
性格的に騒ぎ立てるのは好きではないバーナビーはとりあえず、それには手を触れなかった。
かわりに薄い金属質のTVリモコンを見つけると、電源スイッチを静かに押した。
ヴンッと電気質な音を立てて、空中に立体ビジョンが現れる。
音量はそれほど大きな設定にはなっていないため、ぼうっとしながらも目をやる。
その番組ではニュースをやっていた。
いつもと変わらぬ天気予報から政治経済の話へ移っている。
他のチャンネルへと回すとドラマや他愛のないコメディーやクイズなどありがちな内容が淡々と繰り広げられている。
良かった…と、ここでバーナビーは初めて感情を覚えた。
安堵したのだ。いつも通りの世界に。
そうして、明確に思い出した。
自分が、ジェイク・マルチネスとのセブンマッチへと挑んだことを。

コン コン コン
はっきりとその自覚をした直後、遠い扉の向こうからノックが聞こえたので、バーナビーは立体ビジョンのスイッチを反射的に切った。
特に返事をしたわけではなかったが、その扉は勝手に開かれた。
入ってきたのは、それほど背が高いわけでもない初老の女性。
バーナビーからすると祖母と言ってもおかしくない年齢と見受けられたが、自分の祖母とは随分とタイプが違う暖かな印象だ。
服装も堅苦しくもなくラフでもなかったが、とりあえず白衣やナース服ではないので、少なくとも医療従事者というわけではなさそうだった。
「あらっ…目が覚められたのですか?どうしましょう。先生をお呼びしないと」
バーナビーと目が合い、驚きで中くらいまで水の入った花瓶を落としそうになりながらも、初老女性はそう呟いた。
「待ってください。僕は大丈夫です。気分が悪くなったら自分でわかりますし、ナースコールも使いますので」
慌てて部屋を出ていこうとした初老の女性を、バーナビーは引き留めた。
何か引きずられる感覚が到来したのだ。
全然知らない人の筈なのに、この人を行かせてはいけないという脳内に警告が。
「本当に大丈夫ですか?無理をしないで直ぐに言ってくださいね」
そこまでバーナビーに冷静に言われては、さすがにそのまま退室するわけにもいかず、初老の女性はベッドサイドへと心配そうに近寄った。
「わかりました」
「何日も面会謝絶でしたし、ずっと意識がないとお伺いしていましたから、私もこちらへお邪魔するのはご遠慮しようと思っていたのですが」
そこで重々しく言葉を区切った女性は、窓際へと花瓶を置き、平置きされていた花々を水の中へ入れた。
最初は気がつかなかったが、そこにはいくつかの花束や、プレゼントとおぼしき箱が積み上げられていたのだ。
「お目覚めなさったバーナビーさんにお会いすることが出来て、今日は本当に良かったです」
一通り花瓶に花を飾ると、初老の女性は再びバーナビーに近寄った。
飾られた花は清明な白を増加させる。
「失礼、madam。大変申し訳ないのですが、僕は貴女とどこかでお会いしたことがありましたか?」
物覚えは悪い方ではない筈なのだが、バーナビーは思い出せなかった。
もちろん今まで会ったファン全員を覚えているというわけではないが、それとは到底違う次元の何かを感じたのだ。
「あらっ、ごめんなさいね。私ったら名乗りもせずに。私も、バーナビーさんとお会いするのは初めてなのですよ。ただ息子が貴方の話を良くするから、つい…」
うっかりしていましたと、言葉を続ける。
「息子…」
少し笑った女性とは違い、バーナビーは驚きの瞳を見せた。
その優しい瞳から、思い当たる予想があったからだ。
「息子がいつも大変お世話になっています。鏑木虎徹の母で、安寿と申します」
そうして丁寧にぺこりと腰を折って、挨拶をした。
「ああ、そうでしたか。失礼しました。僕は、バーナビー・ブルックスJr.です。こちらこそ、お世話になっているのに、ご挨拶が遅れて申し訳ないです」
最初は想像していなかった相手に不意打ちを食らったが、直ぐにバーナビーはスマイルを見せて、安寿もわかっているだろうが改めて名乗った。
亡くなった奥さんと娘がいるとは聞いていたが冷静に考えれば、まだ虎徹の親が生きていてもおかしくない筈だ。
ただ、今までそういった機会が訪れなかっただけだ。
それにしてもこの人がおじさんの母親か…と若干失礼と思いながらも、バーナビーはまじまじと安寿の顔をみる結果となった。
確かに似ている。顔もそうだが、何だろう…まとっているその独特な暖かい雰囲気は、確かに虎徹と同じだったのだ。
「いえいえ、虎徹ったら貴方に迷惑かけっぱなしだったでしょう?私も孫娘も虎徹とは別の家に住んでいるので、ほとんど話は電話でしか聞けませんでしたけど『またヘマやって、バニーちゃんを怒らせちまった』は、もう…口癖のようでした」
懐かしむように目を細めて安寿は語った。
「今日は貴方にお礼を言おうと思いまして、ロイズさんに無理を言ってお邪魔させて貰いました」
ここで改めて安寿はバーナビーに向き直り、真剣な眼差しを見せる。
「お礼ですか?いえ、わざわざ貴女が言わなくとも…」
上辺以上の突然の申し出にバーナビーも戸惑った。
「いえ、是非言わせて下さい。この度は、息子の…虎徹の………無念を晴らして下さって、本当にありがとうございました。きっとあの子も天国から、貴方に感謝しています」
そうして安寿は深々とバーナビーに頭を下げて、しばらくあげなかった。
いや感傷的になってあげられなかったのだろう。
「………え?」
最初、バーナビーは何を言われているのかわからなかったが、情報だけは膨大に脳内に巡り巡った。
バーナビーが、最期に見た虎徹は瀕死状態だった。
あの…ジェイク・マルチネスの毒牙にかかって………
そうして自分は次の戦いで瀕死の末に、ジェイクを倒した。
文字通り正しく二度と立ち上がれない身体にしてやり、再起不能なまでに壊したのだ。
だが、それを確認した以降の記憶がない。
脳は盛大に活性化していたが、バーナビーの身体はそれについていかなかったのだ。
か細い糸で繋がっていた緊張が解れると、極限まで酷使した全身の疲労と痛みが安堵とともに一気にバーナビーを襲った。
痛覚さえも死んでしまったと思っていたのに。
それから先は、何も知らない。わからない。わかりたくもない。
目覚めた時には、何もできずに全てが終わっていたのだ。
バーナビーの混乱を察することのできなかった安寿は言葉を続ける。
「実は、私は危険と隣り合わせのヒーローなんて早くやめなさいと何度も言っていたのです。でも、本人は死ぬ最期まで満足そうでした。そして貴方がジェイクを倒したことを伝えると、嬉しそうに息を引き取りました」
「………そう、…ですか」
自分でも自覚のないほど暗い顔をしたバーナビーは何とかその声だけ絞りだした。
「母親の私が言うのもなんですが、あの子は死ぬときまでヒーローでした。人の役に立ちたい。誰かを助けたいと思い続けていて。孫娘は嫌がりましたが、虎徹はドナー登録したので、本人の意志を尊重してドナー提供もしました。それで少しでも救われる方がいらっしゃるなら、本当に感無量です。今日は、虎徹の意志を貴方に伝えたかったのです。最初は確かに貴方とパートナーを組むのは嫌がっていた節はありましたけど、面と向かっては言わない子です。最期は最高のパートナーだと私に言っていましたよ。本当にありがとうございました」
そこまで言い切ると、さすがの安寿も限界を越えたのだか感極まって涙がこぼれたため、バックからハンカチを取り出して目元に当てた。
「………そんな…僕こそ、今でも彼は最高のパートナーだと思っています。本当に…本当に………」
謙遜でも何でもなくバーナビーは言葉を返した。
それは過去形ではなく紛れもない現在進行形。
「本日は、病み上がりのところに突然申し訳ありませんでした。またお元気になりましたら改めて挨拶にお邪魔させて下さい」
一通り涙が止まったところで、しわになったハンカチを折り畳み、顔をあげて安寿は言う。
「…いえ、今度は僕の方からお邪魔させて貰います」
「ありがたいことです。それと、もう葬式はすませてしまったのですが、セントラルメモリアルパークに虎徹の墓があります。落ち着いたら、あの子に会いに行って下さると嬉しいです」
「………わかりました…」
その後も長居をしてしまって申し訳ないと何度も何度も低姿勢でお礼を述べた安寿は、これ以上は邪魔にならないようにと、バーナビーの身体を気遣って退室した。
申し訳なさそうにバーナビーは安寿を見送る。
パタンッと扉の閉まる音がした後、バーナビーの笑顔は見事に途絶える。
そして、ぽつりと誰にも聞こえない声で呟く。
「ごめんね、おじさん。僕、貴方の母親に嘘をついてしまいましたよ」
そうして、バーナビーはゆっくりとベッドから降り立った。

忙しくない医師なんている筈がない。
特にここのような大規模な病院では尚更で、午前中の外来対応と午後の入院患者への手術が終わり、夜ようやくその日の書類をまとめる時間が出来た。
照明を落とした薄暗い部屋で煌々と照らされるのはディスプレイから漏れる光。
しばらくパソコンに向かっていたが、ようやくキリの良いところまで確認がすんだので一度のびをして切れた眠気覚ましのコーヒーを補充しようと、医師は立ち上がった。
そのタイミングを見計らったかのように、入り口から見知らぬ声が飛び込んできた。
「貴方が、鏑木虎徹の主治医だった先生ですね?」
「誰だ?」
暗闇の中、一番に光ったのはその印象的なメガネだった。
その男は、こちらの質問には答えず、ゆっくりこちらへと歩み寄ってくるのでようやく正体が知れた。
「君は…バーナビー・ブルックスJr.じゃないか。意識不明と聞いていたが、こんなところで何を…」
バーナビーは医師の担当患者ではなかったが、あまりにも有名すぎる人物であるため、顔も知っているし病状もなんとなく伝わっている。
今日も患者の対応に追われて忙しかったことには間違いないが、あのバーナビーが目覚めたとなれば医局が蒼然となるに違いないが、そんな覚えはなかった。
この病院は、バーナビーの所属するアポロンメディアが大出資をして作った総合病院だ。
特定分野ではあるが、知名度もあるし大病院として知れ渡っている。
バーナビーは最上階の特室で療養中な筈で、なぜ遠く離れたここにいるのか理解さえできなかった。
「鏑木虎徹のレシピエントを探しているんです。もちろん教えて下さいますよね?」
バーナビーの口元だけが僅かにつり上がったように、医師は見えた。
「それは………いくら君が彼の仕事上のパートナーだったからとはいえ無理だ。原則家族にでさえ教えることはできないのだから」
驚きの内容だったが、医師はマニュアル通りの受け答えをした。
それに、そんなことを聞いてどうするつもりなのかと言葉を続けようとしたが…
「わかりました。もう『貴方』には聞きませんよ」
とても残念ですと口元でバーナビーが呟いたような気がした。
そして、叫ぶ暇もないほどの、より深い暗転―――――

カタカタと連続的にキーボードを叩く音が空間に響きわたる。
薄暗い部屋でバーナビーは、ただパソコンにだけ向かう。
目的の情報を引き出すために。
いくつかのプロテクトを越えて、ようやく目的のページを見つける。
ディスプレイをなぞるかのように慎重に、その名前を探し出してクリックする。
ピッと一人きりの空間に響くマウス音がやけにうるさかったが、画面が一覧に開ける。
心臓・肺・肝臓・腎臓・膵臓・小腸…………
虎徹が提供した臓器一覧とレシピエントの住所名前病院が生々と並ぶ。
それを記憶しつつ、次へと続くボタンを押す。
カチッ
「ああ、何だ。おじさんは、こんなところにいたんですね」
鏡なんて見ている余裕がなかったのが残念だ。
表示されたのは、眼球提供リスト。
左目の眼球レシピエントの中には、バーナビー・ブルックスJr.の名前があった。
瞬時にハンドレットパワーを発動させたバーナビーに迷いなどあるはずもなかった。
カシャンッとメガネを床へと落とし、転がすように人差し指を左目に突っ込んだ。
そうして、完全になじんでいた、自らの眼球を角膜ごと丸ごと抉り出したのだ。
視神経がぷつりと不気味な音を立てて切れると、ぱたぽたとバーナビーの空洞になった場所から、鮮血が滴りたれる。
痛みさえもどこか愛おしいように、ディスプレイもキーボードも血で染まったが、そんなことに気をとめる筈もなかった。
久しぶりに対面できたことがなによりも嬉しかった。
今はまだ角膜一つだけだけど。
自分の中で生きてほしいだなんて、思ったこともない。
鏑木虎徹は生きている…だからこそ、バーナビーは絶対に墓参りはしないだろう。

「まずは、どこを取り戻しましょうか?ええ、そうですね。ちゃんと言わないと…
 それは、僕の大切な人の心臓なんです。返してくださいってね」


動いていない彼に価値はあるのか?
そんな…まるで、おじさんが死んだみたいじゃないか。











バ ー ナ ビ ー ・ ブ ル ッ ク ス J r . は 、 鏑 木 ・ T ・ 虎 徹 の 墓 参 り を し な い と 有 名 で あ る