「虎徹さん。僕は…貴方の事が、好きです。どうしようもないほど、愛しています。もう僕は、貴方なしでは生きられないほどなんです…」
「…………………バニーちゃん……ありがとな」
ぽんっと子どもをあやすように頭を押さえられたのが唯一の接触で、ありったけの言葉を詰め込んだバーナビーの告白は、冗談交じりに誤魔化され流されて…無様な結果となってそれで終わった。
そうして次に訪れたのは果てしないほどの拒絶だけで、ゆるやかな仕事上のパートナー同士であった筈の虎徹とバーナビーの関係は、たったそれだけのやりとりで全てが崩れてしまったのだ。
あれ以来、虎徹が得意としてきたおせっかいは、二度とバーナビーに奮われることはなくなった。それで何かが変わると言うわけではない事を彼はわかってはいたようだが、それでもだ。
代わりにやってきたのは、どこか扱いにくい腫れ物に対する扱いで、結局は無理だと避けられたのだ。
誰が悪いとか裏切ったとかそういうわけではなく、二人の思いが交わる事がなかっただけという結果。
そう、虎徹は完全にバーナビーとのプレイベートへの干渉を全て断ち切ったのだ。それも徐々に仕事にさえ影響するほどに。
「久しぶりにシミュレーションをしませんか?」
か細い糸が今にも切れそうなバーナビーは、ある日一つそう提案の声を出した。
「………そうだな。たまには………それ、またロイズさんからの助言か?」
前にも時々はシミュレーションをやっていたが、ここのところ随分とご無沙汰だったことは確かで、虎徹は了承の言葉を出した。
どうやら最初にシミュレーションをすることになったキッカケを思いだしているらしい。
確かにあの時は、コンビを組んでまだ軌道に乗っていない時期だった。いくらなんでもあまりにも二人の息が合っていないということで、ロイズさんに勧められたのがシミュレーションだったのだ。そして、今も…
「はい。既に斎藤さんには準備してもらっています」
嘘だった。でもそんな嘘さえ簡単に吐けるほどの人間にバーナビーは既に成り下がってしまった。
以前の虎徹ならそれに気がついたかもしれないが今では到底不可能で、二人はスーツに身をまといシミュレーション室へと急ぐことになった。
その設定は予めバーナビーがセットしておいたものだった。別に特にこだわりがあるわけではなく、デフォルトが何パターンか用意されているので後は敵の人数や装備などの想定をコンピュータに適当に入れればそれなりに動いてくれる仕様になっている。
シミュレーション室に二人きりという状況が出来れば、後はどうでも良かったのだ。
ヒーローは犯人を確保して警察に引き渡すのが役目であるが、そのシミュレーション結果自体は悪い物ではなかった。
二人のスーツの性能は最初に比べて向上しているし、身体スキルや経験も格段に上がっている。よっぽどキツい設定にしておかない限り、犯人から不意打ちを食らうことさえなかった。
成績は虎徹の方が断然良かった。大詰めあたりでは、コンピューターグラフィックで表示された黒づくめの犯人に虎徹は軽く足を引っ掛けた。無様に転んだところで身動きがとれないように腕を捉える。これで人数的には、最後の犯人でKEEPの文字が表示されるとその犯人のグラフィックも消えた。終了だ。
虎徹が、ふうっと胸をなでおろした様子がスーツ越しでさえこちらに見えたような気がして、バーナビーはゆっくりと背後へと近寄った。
そして―――
一瞬の躊躇も見せずに、バーナビーは虎徹の後頭部めがけて反動をつけた全力の蹴りを叩きこんだ。
だがしかし、それは思いのほか簡単に外れてしまった。
それはバーナビーが故意に外したわけではなく、本当に偶然…虎徹が身を屈めるように前に動いたからだった。
軌道をそれたバーナビーの右足はその勢いを保ったまま無機質な床へと向かって、ガンッ!!!とそのまま叩きつけられた。
巻きあがるのは埃と煙。特殊金属な床に、若干の抉れが残った。
あまりの音と伝わり響く衝撃に、何事かと虎徹がこちらを振り返ったのがわかった。
「バニー………何を?」
自らの背後で起こったその一連の出来事が尋常ではないくらい虎徹にはわかったが、その理由が即座に分かるはずもなく、ただ問いかけるだけの形となる。
「最後まで油断しては駄目ですよ、虎徹さん」
失敗してしまったことを悔やむ様子もなく、バーナビーはゆっくりと自らの右足の位置を戻して虎徹に向き直りつつ、言った。
「………それは、ただの忠告か?」
フェイスオープンしているわけではないが、その鋭い虎徹の眼差しがバーナビーへと突き刺さる。自分の身に危険が迫った事を本能が感じている様子だった。
「忠告じゃないですよ…」
「だったら、お前は………俺を殺したいのか?」
バーナビーからの殺意を感じたのはほんの一瞬だったが、ピリピリとそれは身体に残っているような気さえ思えているようで、虎徹は慎重に言葉を出す。
なぜ自分たち二人がこんな悪関係になっているのかはわかってはいるようだが、ここまでの全てを感じとれるほどではない声色だ。
「殺したい…のとは、少し違う気がします。僕は、貴方にキスをしたいんです」
淡々と言葉を運びつつも、バーナビーはその事実を伝えた。
「………何で?」
まるで不可解な人間に出会ったかの如く、頭が正常に回らないままでも虎徹は尋ねた。疑問視しかもはや存在することを許されていないような酩酊。
「前に言ったでしょう?僕は貴方の事を愛しているって。でも拒絶したのは虎徹さんの方じゃないですか」
こちらの方こそ、なぜ今更そんなことを聞き返されるのか本当にわからなくて、バーナビーはただ愛を繰り返す。何度でも…何度でも………
「それは…知ってる。けど………どうしてこんなことを…」
送られた恋愛感情を認識していることを認めはしたが、虎徹にとってのバーナビーの告白はただそれだけだった。
聞いたからと言って必ずしも受け止めなければいけないものという認識ではなかったのだ。
それより何より虎徹が今聞きたいことは、どこまでもかけ離れていたのだから。
「キスをするには、まず殺すしかないと思いました。違いますか?」
いくつもの歯車が噛み合っていないような、どこまでも屈折した言葉をバーナビーは虎徹に告げた。
それは、まるでもうとっくにバーナビーの心は壊れてしまっていることを伝えるかのように、冷淡に広い空間に響いた。
両親の庇護下に居た幼少時代。マーベリックに裏切られ、大人とはいえど両親も養育者も最悪な形で失い、誰かに依存しないともはやバーナビーは息さえ出来ないほどになっていた。その対象が虎徹に移り変わったのは、もはやバーナビーの中では必然という言葉でしか片づけられないほど大きくなりすぎてしまっていたのだ。
そうして虎徹は、バーナビーに対して完全に無関心になった。ただ隣にいるだけの空気にも近い扱い。
意識をされていないということは拒絶より遥かに胸の内を抉る振る舞いだった筈だが、それが理解出来るほどのバーナビーでは最早なくなっていた。
殺伐とした日常の中で、バーナビーの行動は段々とエスカレートしていった。
それは最初に起きたシミュレーション室での出来事なんて甘かったというほどのもので、虎徹は職場でも自宅でも時にはヒーローとして現場に出ている時にさえ、常に身の危険に晒されることになった。繰り返し、繰り返し…虎徹を殺そうと狙うバーナビー相手に。
ただバーナビーは、必ず直接的に虎徹を手にかけようとしているのだけは幸いだろうか。毒殺や爆弾や視界が外れる遠方から狙うことだけは絶対にしなかった。
代わりにバーナビー側の攻撃パターンが増えて、時には握りしめたナイフで。時には至近距離から銃で。と着々とヒートアップだけはしていた。まだ手軽という理由で、そのお得意の足が虎徹の急所を狙ったり首を絞められたりすることがまだ多いが、今後はどうなるかわからないほど。
虎徹は何も不満を口にしなかったが、さすかに自分が殺されることにだけは全力で抵抗した。しかし、ただ、それだけだ。
もう…バーナビーのことをどうでも良い存在と言う認識の中に置いてきてしまったのだ。
何か文句を言う価値があるとも思うことはなく、ただこの日々を受け入れるのみ。バーナビーの近くに居すぎたことで、虎徹も段々と浸食されていってしまったことには、一生気がつかず。
だからその日も、在り来りな一日だと思っていた。
今日もバーナビーは相変わらずの過激を見せて。
「いい天気みたいだな」
ぼそりと独り言のように呟くと、虎徹はわざと会社の廊下で隙を見せつけるように窓の外へと視線を向けた。
わかっていてもそれを見過ごす筈もなく、バーナビーは虎徹の薄く開いた口の中を無理やり抉じ開けて、容赦なくポケットから取り出した細身の銃口を突っ込んできた。だが刹那、虎徹は素早くバーナビーの引き金の動きだけを素早く察知し動くその指を阻止して、床へと銃を叩き落とした。
変な角度で落ちた衝撃で銃が暴発しなかったことだけが唯一の幸いだろうか。そのまま何事もなかったかのように、バーナビーは拳銃を拾い上げるが、それを横目でだけ見ていた虎徹は一瞥するわけでもなくさっさと廊下の先へと進んで行った。
朝一番のガス抜きのようなそんな二人のやりとりで、少しバーナビーの目のギラつきはマシになった。
昼。同時に取材を受けるのならば、二人で移動するのは当然なことで、しかし虎徹はよほどの事がない限り車での送迎を断るようになった。他人がいても容赦なくなる時もある中で、あの狭い空間でバーナビーと座席が近いのでは死活問題だからだ。
一応まだ虎徹以外の人間に危害を加えないというストッパーは働いているので、バスや地下鉄での移動の方が身の安全は確保される。それでも、バーナビーも後ろからくっついてくるという構図に何も代わりはないが。たとえ虎徹に隙が無くても衝動的に狙ってくることも頻繁だ。
だからその時も、取材先の収録スタジオへと向かうのにバスを使う形となったのだ。降りた停留所はスタジオから随分と離れていたが、タクシーを拾うまでの距離ではないと判断したらしい虎徹は、徒歩を選んだ。
そのスタジオは工業団地の一角にあった。工業団地といえば租税優遇地の為、製造工場がひしめき並ぶ事になるので、華やかな商業地とは印象ががらりと変わる。だからこそ顔出しヒーローをしているバーナビーが虎徹の後に続いて歩いていても、仕事で忙しい作業服を着た男性やトラック運転手などは、二人をまるで気にもしなかった。
仕方はないが、こういうのを絶好の場所というのであろう。一応身構えている虎徹の様子がバーナビーにも伝わり、さてこの場ではどうしようかと手をあぐねながら、二人は道路脇をひたすら進んでいた。歩く。歩く。歩く…そして訪れる。訪れてしまう。
どんなに周到に準備していたとしても、それが崩れるのは本当に一瞬だった。
「危ない!!!」
遠い空中からもたらされた言葉が、そう簡単に思い願う人間に届くほど甘くは出来てはいなかった。
虎徹にもバーナビーにももちろん聞こえることはなく、訪れたのは大地を揺るがすほどの鈍い衝撃とうるさいだけの轟音。
あまりの震動にバーナビーが立ち続けるだけの余裕はなく、本能が自然に重心を支えるために腰を落とし足が揺らいだ。勝手に視界を遮るように両腕で激動をかばうようになっていた。
それは1分にも満たないものだったかもしれないが、その後の一通りが終わると、立ちこもる目の前の土煙だけが周囲を支配しつくしている。
その時バーナビーのほんの数歩先を歩いていた筈の虎徹の姿は、もはやそこにはなかった。
「あれ、虎徹さん………?」
その瞬間を実際目にしていた筈だというのに、直ぐには理解できない事実が目の前に落ちていて、バーナビーは自然に言葉が出た。
そうして…ふと、空を見上げた。
視界に入るのはバランスを崩した大型クレーンで、貨物をぶら下げていたと思われるワイヤーは不自然な断面を見せていた。
ここで、あ…やっとわかった。
無数の鉄製水道管が、虎徹の頭上へと容赦なく降り注いだのだと。
呆気ない。実に呆気ない光景だけが、バーナビーの目の下に広がっている。
虎徹だったと思わしき人間が、ぺしゃんこになって鉄の下で横たわっているのだ。
ただ、清濁を狙って何度か見せて貰った赤い血が体積いっぱいにコンクリートの上をどろりと濡らしている。
生きているとか死んでいるとかそんな簡単なカテゴリーでは収まりきれないほど、それは苛烈な死体だった。
バーナビーはゆっくりと虎徹の居た筈の場所に近づくと、自らのハンドレットパワーを発動させて鉄製水道管を一つ一つ退け始めた。
だがしかし、それは救出するとか遺体を運びだすとかそんな優しい理由では全くなかった。
正確な数など数えている筈もないが、数十本ほど退けるとようやく赤と黒に染まった虎徹のシャツらしきものが見えてきたので、その場所を重点的に押しのける。
そうして、ようやくその顔とご対面できた。
奇跡的に虎徹の頭蓋骨は後頭部が陥没するだけの損害で済んだようで、脳の露出も少ない。ただ、本当に表面的には、仰向けの顔に閉じた瞳が見えた。
身体を全て引き出すのは、この何倍も労力が必要でもうすぐバーナビーの能力も切れてしまう。
一切ためらいも見せずにバーナビーは虎徹の頭部を両手に抱えると、首を捩じるように脊椎骨を右回りに動かしてそのまま360度回転させた。
頸椎と頸椎の一関節毎がみしみしと離れて行くのがバーナビーにも伝わって、首を守る皮膚や血管や筋肉など全てを切り裂いて、虎徹の頭部だけを見事に持ち上げた。辛うじて残った血飛沫が微かにバーナビーの手を濡らす。
大切そうにバーナビーの顔の前へと虎徹の顔を持ってくると、
ようやく念願のキスを果たす―――
「…なんでだろう………これを望んでいた筈だったのに、おかしいな」
そのキスは、想像とはかけ離れていた物で、何かが違ったが、それが何かわからず、バーナビーはただ虎徹の頭と向き合って対面するだけだった。
虎徹の唇が冷たくなってしまうことも何もかもわかっていたはずなのに、それを踏まえてでも違和感は拭えなくて………
「ああ、そうか。僕も虎徹さんと同じにならないと駄目ですよね?」
ぽんっと自分の中だけで理解をした声を出すと、バーナビーは虎徹を目線の高さの合う鉄製水道管の上に置いた。
次に、可能な限りその高さに自分の顔を近づけると…
虎徹の唇に自らの唇を重ねたまま、バーナビーは自身の首に両手を当ててねじり千切った。
これで満足出来るのだと、どこまでも信じて―――――
駄目なら、死後の世界でもキスをねだろう
それは………また、虎徹さんとキスをしたいから