今思えば、あの人は最初から最期まで、こうだった。
「いやあ、悪い。ミスっちまったわ」
そう言って、三日ぶりに会った虎徹はバーナビーを目の前に、朗らかに笑ってごまかした。まるで大したことはなかったかのように。
「…っ、…虎徹…さん!身体は大丈夫何ですか!本当に!!」
長らく集中治療室に運び込まれて面会謝絶だった虎徹は特室への移動を許されて、ようやくバーナビーは対面することが出来た。これほどの扱いでは、バーナビーが心配しない方がおかしいものだろうが、それ以上に心休まるわけがなかった。
「ヘーキヘーキと言いたいところだけど、ちょっとだけ駄目だったわ。全治二カ月だってさ」
迫りくるバーナビーにブレーキをかけるように軽く言いながらも、虎徹は現状を吐露してきた。元々、頑丈な自覚はあるようだが、それでもここで痛いなどと弱気を見せるタイプではないから、結果だけは伝えておこうとしたのだろうか。
「どこか…悪いんですか?」
ぱっと見、ベッドに横たわる虎徹に違和感はなかったが、それでもやはり怪我をしてしまったのかとバーナビーは疑惑の色を見せる。
「いや、それがさ。あばら骨が何本かバッキバキに折れたみたいなんだ。うん、驚いた。最初は全然痛くなかったのにさ。不思議だよな」
ちょっと残念そうな顔をして虎徹は説明してくれる。いつもより手振り身振りが少ないのは、やはり怪我の後遺症だろうか。
「そんな…大怪我を………」
虎徹の話を聞いて、バーナビーは絶句するように息をのんだ。同時に、無理に明るく振る舞う虎徹を痛々しくも感じる。
「んな大層なもんじゃないって。知ってるか?あばら骨が折れても手術の必要はないんだってさ。自然治癒が他の骨より断然いいから、わざわざ切って固定させなくても、待ってるだけでいいんだとよ。ただベッドに張り付いたままってのが辛いトコだけどな」
まるでバーナビーの方が怪我をしてしまったのかのように空気が重くなってしまったのを気にして、気落ちするのを慰めるかのようにいつも以上に明るい虎徹の声が病室に響く。
「…すみません。僕がもっと気を付けていれば…虎徹さんをこんな目には………」
握りしめていた拳をより深く爪を立てながら、バーナビーは下を向いた。無機質な白い床さえその思考には入り込めない。
「なーに言ってんだよ。あれは完全に俺の独断行動だろ?バニーは自分のやるべき事やってたじゃないか。あ、そういえば…あの時の女の子どうなった?元気してる??なんか話聞こうと思っても、お医者さんも看護婦さんも自分の心配をしろってうるさいから聞けなくてさ」
よほど気になっているらしく、少し身を上げる素振りを見せながら、虎徹は津々に聞いてくる。
「…安心して下さい。虎徹さんの助けた女の子は、念のため一日入院して翌日無事に退院しましたよ。完全に無傷です。虎徹さんがずっと面会謝絶だったので、親御さんが僕に何度もお礼を言ってくれました。後でワイルドタイガー宛てに手紙も書くそうです」
こんなときにも他人の心配か…とちょっと虎徹らしさを感じとりながらも、バーナビーは顔を上げて明確に事実を伝えた。
「そっか。元気か。良かった、良かった」
うんうんと独りでに噛みしめて頷きながらも、虎徹はとても嬉しそうな笑みを口元に綻ばせる。やはり困っている人を助けることが虎徹の原動力らしい。
「それに…虎徹さんはずっと面会拒絶でしたから、治療に専念して貰いたくて病院側は他の情報を与える余裕がなかったんじゃないんですか。でも…いくらヒーローとはいえ、バディである僕でさえ爪弾きされるとは思いませんでしたし」
若干ふてくされるように思わずバーナビーは呟いてしまった。さすがに身内である鏑木家の面々は特別に一度限り遠くから様子を見に行ったらしい。この病院はアポロンメディア社の息がかかっているので、当然ワイルドタイガーが担ぎ込まれると想定されていたらしく、特室でもなければ外がマスコミでうるさい事に変わりはない。
「ま、念のためだろ。場所が場所だったし。えーと、あそこ…本当は薬品工場だったんだってな」
ぐるりと思い出すように虎徹は頭を巡らせる様子を見せた。
「ええ。僕も後から知ったことですが…僕達が救助要請を受けた火災現場ですね。工業薬品工場は近年規制が厳しくなって、新規に許可を通すのが難しくなっていたそうです。それで、業者は無許可で工業薬品を取り扱っていたようですが…消防設備も不十分な状態で起きたのがあの火事だったみたいです」
「そっか。あんな工業地帯で子どもたちが遊んでいるとは思わなかったけど、ま…バニーが目ざとく見つけてくれたおかげで救出できて、結果的には全員無事で良かったな」
終わりよければ全て良しと言いたいかのように虎徹は声を上げる。
「加えて、虎徹さんが二次災害に巻き込まれそうになった女の子を助けて…怪我をしなければ、が一番良かったですよ」
誰か責める相手がいるようでいないようなそんな…胸の奥につかえる感覚を持ちながらも、バーナビーはしっかりと釘を刺した。工場裏で無邪気に遊んでいた子どもたちを見つけてそれで安堵してしまったバーナビーは、そちらの救出に目が行き、取り残されていた女の子を虎徹一人に任せてしまったのだ。その後の爆発―――虎徹の背面を襲った爆風は凄まじかった。たまたま現場が近かったせいで、まだ虎徹はヒーロースーツを身にまとっていなかった。いかにハンドレットパワーを発動中とはいえ、中身の身体でそう簡単に耐えられるものではなかったのだ。
「悪かったって…ま、最近働きづくめだったし。たまにはゆっくりと休息をとるよ。バニーも、一人でのびのびとヒーローやるのも悪くないだろ?昔の俺含めて…他のヒーローみんなも普通はそうなんだし」
虎徹は、ふうっと息を吐き出し、ベッドサイドの椅子に座っているバーナビーへと軽く手を伸ばしてきた。
「虎徹さん…僕は、貴方がバディだからこそ、ヒーローをやっているんですよ?」
伸ばされた虎徹の手を、負担をかけないように掴みつつも、バーナビーははっきりと伝えた。
「んじゃ何か。お前も一緒に休むつもりか?」
呆れたように…でもそれは許さないと芯をもった声で虎徹は話しかけて来る。虎徹は本物のヒーローだから。
「まさか…虎徹さんにより相応しい相棒となれるように頑張って、貴方の帰りを待ちますよ」
それこそ虎徹が最も望んでいるだろうから、模倣するかのようにバーナビーは言った。それだけではない本心は、きっと虎徹にもわかっていただろうが、それでも我が侭を言って困らせたくなかったからだ。きっと寂しいだろうけど。
「別に今でも、お前は…俺の手に余る最高の相棒だよ。でもそうまで言うなら、期待しとく」
まだマトモには動けないからこそ、ウィンク一つを含めて期待の星を祝された。
「ええ。貴方を失望はさせません…だから、キスしてもいいですか?」
ここで少し虎徹を覗ってかかる―――
「別にいいけど…どうしたのバニーちゃん?いつもだったら勝手にしてくるのに、弱気になっちゃって。何ならこっちからしてあげたいけど、今はちょっと無理だから、どーぞ」
よしよしと子どもをあやすかのように、目線よりちょっと上のバーナビーの頭を虎徹は撫でながら、待つ。
「虎徹さん相手だと、僕はいつでも自信満々ってわけじゃないんですよ―――」
瞳を閉じて挨拶程度の唇への軽いキス。一瞬よりは断然長い時間だったのかもしれないが、どこまでも名残惜しかった。
「っと、待った。俺、あばら骨痛めてるってわかってるよね?」
唇が離れた瞬間、バーナビーを制止するように確認の言葉をかけてくるので。
「ええ、もちろん。じゃなかったら、セックスになだれ込んでいますよ?」
確信犯的声を返して上げた。
今まで比較的健康的に有り続けたバーナビーにとって、案外病院と言う場所が厄介であると知ったのは、医師から面会時間の厳粛さと寝泊りの禁止を言い渡された時だった。
そもそもバーナビーは幼いころに両親を亡くし、自身も入院をするほどの大病を経験しなかったせいか、そこまで綿密に病院に慣れていたわけではなかった。虎徹は特室に入っているとはいえ、同フロアにはもちろん別の入院患者がいるわけで、だから特例も認められなかった。むしろ、あのバーナビーが頻繁に病院を訪れるという事は多少なりとも騒ぎになるということで、平穏を望む病院側としては、それらをセーブする為だったのかもしれない。それを知った時、バーナビーは自分自身を少し恨みたくもなった。唯一認められたというか推奨されたのが、急患や夜間専用の裏出入り口を使ってもいいという許可だけだ。来るなら、なるべく目立たないように来て欲しいと言う病院側の配慮だろう。一応それなりに変装して行くが、結局のところその時間さえも惜しいほど、バーナビーは虎徹の見舞いに毎日のように訪れた。
「えっ、ちょっ…バニー?お前…何でここに居るの?」
仕事が終わり、いつものように駆け足で病室に訪れたバーナビーを見て、虎徹は非常に驚いた声とリアクションをした。
「何でって…いつも通りですけど」
本当になぜ虎徹が驚愕しているのかわからず、素でバーナビーは答える。毎晩かかさず来ているのに何を今更という反応だ。
「だって、30分くらい前まで事件の生中継してたじゃん。お前、めっちゃ救助ポイント稼いたし」
ここで虎徹はテレビのリモコンを手にし、立体ビジョンをオンにする。既にHERO TVは終了していたが、他の民放が事件の後処理をニュースとして伝えていた。現場リポーターの声が混じる。
「現場が病院に近かったのでスーツはトランスポーターに引きとって貰って、僕は直接来たんですよ」
なんだそんなことかと、素っ気無くバーナビーはブリーフィングした。
「お前なぁ〜 ヒーローインタビューはどうしたんだよ?今日、一番ポイント稼いでたのお前だろ」
完全に毒気を抜かれながらも虎徹は尋ねて来る。単純にポイント加算だけではないのだが、その日一番活躍したMVPヒーローは番組の最後にインタビューをする。これが番組のお決まりなのだ。虎徹が番組を見ていた感想だと、今日はバーナビーこそがそうだろう…と長年の経験からわかったのだろう。だからこその言葉だ。
「今の僕には…インタビューより大切な事がありますから」
虎徹が呆れている理由もわかったが、バーナビーは自身の気持ちを誤魔化そうとはしなかった。だって、これが紛れもない事実なのだから。
「あのな。そんなに頻繁に来なくてもいいんだぞ?何か用があるならこっちから連絡くらいするし。つか、ちゃんと寝てるのか?ここのとこ毎日来てるだろ」
怒るというよりは呆れ果てた様子で虎徹はこちらに言って来る。まるでマメな男だからモテるとでも言いたそうだ。それでもバーナビーの体調を気遣う心優しさをちょくちょく挟んでくれるのがやっぱり嬉しかった。もしかしたらそう言って貰いたい為に、わざとバーナビーは無理をしてしまうほど。
「出来ることなら、ここで寝たいですよ」
苦笑しながらも甘えるように虎徹に近づく。やはり疲労は隠し切れていないのだろうか。今まで仕事でもプライベートでも一緒に居続けたから、少しぐらいもごまかせないようだ。だから素直に依存した。
「だーめ。最初に入院マニュアル見せただろ?この病院は小児科以外は、家族でも泊まるのは無理だから」
虎徹でさえ真面目に読んでいないマニュアルを一番読ませたのはきっとバーナビーだろうと、ちょっと笑いながら言われた。結局マニュアル自体は戸棚の奥へそのまま片づけられてしまったのだが。
「僕も休暇を取って、この病院の宿泊ドックでも受けようかな…」
知っている。知っているからこそ、半分本気の声を出して伺いの声をかける。出来る限り、定時上りをして帰宅前に寄っているが、まだ虎徹さんが足りなかった。口実はいくらでも欲しい。
「冗談言ってないで、眠いならそこのソファで仮眠でもしろよ」
バーナビーの言葉を軽く受け流しながらも、虎徹はベッドの向こうにある応接ソファを指し示した。虎徹があばら骨を痛めているせいかベッドから微塵も動けないので、本来の意味では使われておらず、簡単な物置き扱いとなっている。ソファは二人掛けなので、バーナビーの体格からすると小さいという形容詞しか当てはまらないが、それでも今座っている椅子の上よりは身を休められるだろという判断だろうか。
「大丈夫ですよ。虎徹さんの顔を見ると元気になれるんです。嘘じゃないですよ?」
本当にそうなのだ。何をしているよりも、この場所にいることでバーナビーは安らいだ。だからたとえ寝ている虎徹を眺めているだけでも幸せを感じた。本人は気恥ずかしがってあまり許してはくれないけど。
「…わかったよ。でもお前、ここで俺と話してるだけじゃ、つまんなくないか?」
虎徹としては一人きりでいるよりは誰かと一緒に居る方が断然楽しくあったが、それでもバーナビーの過度な負担になるのは嫌がっている様子を見せるのだ。
「十分楽しいですよ。出来たらあれこれ世話を焼きたいくらいなのに、虎徹さんってこういう時に限って我が侭言わないですね」
思えば仕事をしている時は、やれ…色々と虎徹はおせっかいを焼いてきてくれた。最初はそれが疎ましくて仕方がなかったけど、だからこそ今その時のお礼を出来ると思ったのに、微塵も叶っていないことが寂しく感じたからの声だ。
「そうは言ってもな。入院生活するのに必要なモンは母ちゃんが持ってきてくれるし、特に不便は感じてないんだよな。ま、暇だから…来てくれることは嬉しいけど………ヒーローとして活躍してるバニーを見るのも喜ばしいんだぞ?」
もう消してしまったテレビ画面にチラリと視線をやりながらも言って来る。
「わかってます。もう…サボったりしませんよ」
さり気無くさっき虎徹に会うことを優先してしまったことを念押しされたので、気を付ける言葉を出した。
「…そういえば、お前早朝にもしかして病室来たりした?だから、さっき急いだのか?」
少し思い当たる事があるらしく眉間に若干のしわをよせながらこちらに聞いてくる。
「………ええ。でも、虎徹さんはお忙しかったみたいですね」
曖昧な予感ではあったが、嘘をつくのも嫌がられるので、バーナビーは正直に話した。今朝も出勤時間前に確かに虎徹の病室へと顔を出した事を。本当は、早朝は外来の面会時間ではないのだが、顔を見たくなったのでこっそりと人気のない時間を見計らって訪れたのだった。だが虎徹はいなかった。少しだけの筈が、出勤時間ギリギリまで粘っていたが、結局虎徹は病室に戻っては来なかった。
「やっぱり…ごめんな。伝えてなくて………今日は朝から急な検査でいなかったんだよ」
少し両手を合わせて詫びを入れ、虎徹は申し訳なさそうに謝って来る。
「いえ。ベッドごと移動していましたから、そうだろうと思っていました。別に僕が好きにやったことですので、気にしないで下さい」
かえって気を揉んで、虎徹の負担になることの方がバーナビーの本意ではなかったのでフォローの言葉を入れる。
「いや、次からはメモとか連絡とかするからさ。わざわざ来てくれたのに、悪かったな」
「そんなに気を使わないで下さい。それより…急な検査ですか?最近、検査を随分と受けているみたいですけど…経過が芳しくないんですか?」
ふいに過ぎった不安を口にする。この分野に関しては詳しくないが、そんなに頻繁に検査をするようなものなのかと首を傾げたくなったのだ。
「………ま、一応俺ヒーローだから会社からの指示でな。入念なチェックってことみたいだな」
会社にとってヒーローは広告商品の一部でもある。今後の業務に支障がでないように配慮するのは当然のことなのだろうという顔をしてくる。同時に苦笑された。
「そうですね。一度骨折したところが元通りというのは難しいように感じます。骨折したところは丈夫で強くなるとも聞きますけど、また骨折しやすいとも聞いたことありますし…」
そう考えるとまた元通りに虎徹とヒーローを組めるのかとさえ思ってくる。
「俺、あんまりネガティブに考えないタイプだし。平気だって。あ、そだ。バニーさ。今朝、俺が居なかった時、何してた?テレビでも見てた?」
ぽんっと思いついたかのように、せきをきるように尋ねてくる。
「いえ…椅子に座って、虎徹さんの事を考えていましたが」
さらりと普通の人なら到底言えないような惚気を口に出す。必要ならテレビも見るだろうが、バーナビーはその為に病室に来たわけではなかったので、暇であろうが、この場所で虎徹を待つ為にあれこれ考えている方が有意義だったので、素直に答える。
「やっぱりな。そんなことだろうと思った。んじゃ、悪いけどそこの戸棚から紙袋取ってくれる?」
変に納得しながらも、虎徹はタオルなどを閉まっている戸棚をそのままの体勢で指差した。
「…これ、ですか?」
通常なら踏み台を必要とする高さにある戸棚だったが、長身のバーナビーは軽くつま先立ちするだけで一番上に置いてある物さえ、すんなりと取れた。一旦虎徹に確認を取ったのは、その小さな紙袋が虎徹に不釣り合いだったからだ。ポップでキュートな色どりに小さな色々な動物たちがプリントされていたのだから。
「それそれ」
間違ってはいなかったようだ。うんうんと虎徹が頷くので落とさないように抱え、戸棚をパタンっと閉じた。そのままその紙袋を虎徹に手渡すと、早速フィルムを剥がしてがさごそと封を開けている。
「何ですか…それ?」
なぜいきなり話がこの紙袋に移ったのかわからなくて、率直な問いかけの声が出る。
「実は暇つぶしにって、娘がくれたんだけどさ。折角だからバニーやらない?折紙」
取り出した中身をこちらの鼻元に示しながら、明るく虎徹は言ってくる。
「折紙………?…それ、折紙先輩なんですか?」
虎徹がつまんで見せたのは、色とりどりな紙束のようなものだった。わからないので、言葉から連想される物を自分自身の中で組み立てて、結局出た言葉がこれだった。
「はははは…違う違う、折紙サイクロンじゃないから。変化とかしてないから。これ、折紙の名前の元ネタだから」
何かバーナビーの推理が妙な方向に笑いのツボに入ったらしく、ちょっと横っ腹が痛いほどに笑いながらも、誤解を解こうと必死だ。それでも笑い声で真剣にはあまり思えない。
「これが折紙…ですか?本当に最初は普通の紙なんですね」
さすがに少し驚いてバーナビーも声を出す。もちろん折紙自体を知らないと言うわけではなかったが、バーナビーが知っている折紙は既に折られて完成された状態で色々な形を見ることが多かったため、ただの紙を見てそれがイコール折紙へと繋がるほどまだ深く感心は持っていなかったのだ。
「そ。一枚の紙を何回か折ると色んな形になるわけよ」
そう言いながら虎徹は少し手を伸ばして、移動式の机を手前に引いた。スライドをちょうど良い位置で止めて固定させると、卓上に折紙の束を置き、その中の一枚を手に取りぴらぴらと風になびかせた。
「虎徹さんが僕に折紙を教えて下さるんですか?」
やろう…と言われたのだから、きっとそうなのだろうと思い、やる気になっている虎徹に疑問の声をかける。
「いやあ教えてやりたいのも山々なんだけど、俺折紙って言っても一つしか折れないんだわ」
そう言うと、虎徹は机に向かって紙を折り始めた。その手つきは繊細とは言い難かったが、それでも手早く慣れた手つきで、あれこれと様々な方向へ紙を折って行く。ものの数分でそれが出来あがると、最後に空気を入れててきぱきと形を整えた。
「ほいっ、折り鶴の完成。これしか出来ないけど」
しょうがなくも笑いながらも、それでも完成品にはそこそこ満足したらしく、虎徹は自身の手の平に折り鶴をちょこんと乗せてバーナビーに見せてくれた。羽を左右にひっぱるとちょうど良い大きさに、白い折り鶴が虎徹の手を覆う。
「いえ、十分凄いですよ。作った事のない僕からすると、何でこうなるのかわかりませんでしたし」
これが身体が覚えていると言う事なのかとちょっと感心した声で言った。
「俺、人に説明するの苦手だからさ。ほらっ、ここに折り鶴の折り方の説明あるから、バニーはここ見ながら折るといいかも」
折紙の束が入っていた裏面を見せながらも、バーナビーに示してくれる。業者の作った説明が事細かく書かれているが、正方基本形やら花弁折りやら中割り折りやら文字が並んでもまだ実感はわかなかった。それでも図解があるので、そこまで難しくはなさそうだったが。
「確かに僕でも出来そうですけど…虎徹さんも一つしか折り方知らないなら、残りの折紙どうします?本でも買って来ましょうか?」
書店で折紙の本を見かけたことはないが、オリエンタル系の専門店ならあるかもしれないと検討をつける。駄目なら通販で片っ端から注文してもいいが取り寄せまで若干時間がかかるのが難点だろうか。そんな連想をしていた。
「ん?別に他の折紙はしないから、大丈夫。これ全部折り鶴にするんだし。いや…つか、全然枚数足りないから、むしろ買い足さないとな」
何やら一人で勝手にぶつくさと独り言のように虎徹はつぶやいている。
「全部…折り鶴にするんですか?」
虎徹の持っている束は数十枚ほどではあったが、それでもそれは大変な事なのだろうと言う事はわかった。
「うん。うちの方には、千羽鶴って習慣があってな。長寿のシンボルの折り鶴を千羽折ると、病気が回復したり長寿になれるって言われてんの」
とても輝かしい目をしながら、虎徹は教えてくれた。
この時、バーナビーはまだ何も疑っていなかったからこそ、単純に微笑ましく感じて…虎徹の為に鶴を折ろうと思えた。
最初は若干難解に思えた折り鶴。
元々バーナビーが几帳面な性格をしているせいか、少しでもずれたりすると気になってしまう性分だからだ。それも十、二十と積み重ねていけば、狙い通り的確に折れるようになっていける。その器用さに虎徹は驚き同時に羨ましがられたが、今後の事を思えばまるで悪い事ではなかったかのように思えた。
折り鶴をするに当たって、いくつか虎徹から条件を付けられた。その一つが、折り鶴をするのは虎徹の前限定ということだった。あくまで虎徹としてはバーナビーがいくら言っても病院に見舞いに来るので、その時間の無駄と暇さを解消するための道具として折紙を紹介したに過ぎないようで、持ち帰って折紙をしようとしたら速攻で怒られた。結果、折紙自体の管理も虎徹にされるようになってしまった。
虎徹の入院予定は二カ月だった。それまで千羽という数を折るのが、大変なのか簡単なのかは馴染みがまだ薄いのでよくバーナビーにはわかっていなかった。それでも虎徹が数の管理もしてるし何も言わないので、ただ黙々とバーナビーは時間のある時に病室で鶴を折り続けた。
それまでバーナビーが見舞いと称して虎徹に差し入れるのは定番の花や食べ物であったが、それも若干盛大すぎると思われていたせいか、折角使うのだからということで折紙を買って持ってくるように言われるくらいだ。確かに実用的ではあったが、折るのはバーナビーなのだから、何かちぐはぐを感じた。それでも虎徹は嬉しそうに数を数えたり、色のバランスを取っているので、それでいいのだと思った。
バーナビーは医療従事者ではないので直接虎徹の怪我を直したりするのは不可能で、今までなにも出来ないのが歯がゆくもどかしくもあった。それでも折り鶴を重ねれば虎徹は喜んでくれるし、何か少しでも役に立っているような気さえしたのだ。
入院生活を送る虎徹とバーナビーの間には、他愛のない会話と…折り鶴の二つしか積み重ならなかったが、十分に幸せだった………
時間の経過と共に、折り鶴は順調に数を重ねていた。
それなのに、そんなある日…虎徹が風邪をひいた。
治療する為に病院にいるのになぜ個室で風邪なんて…と思ったが、虎徹いわく床ずれを何度も直していたから寒さにあてられて引いたそうだ。コンコンと、虎徹の絶え間ない咳の音が病室に響く。単純な会話さえも苦しそうなので、無理はさせず、またバーナビーは彼の前で鶴を折る。虎徹がそれを眺めるだけでもその場には、幸せな空間が出来たから。
虎徹の飲む薬の量は増えた。もう入院開始から一か月半近く経っていた。
だが相変わらず虎徹は絶対安静で、ベッドの上から動くことも出来ず、リハビリなんて言葉は一切出ず、ただ寝ている。
それを深い疑問に思わなかったバーナビーは、後で酷く自分を恨むこととなる―――
明日も変わりのない日が訪れると思っていたのに
あくる日、いつもの特室に虎徹はいなかった。運ばれたのだ…ナースステーションの隣に位置する集中治療室へと。
その現実を突然理解しろと言われても、無理に決まっていた。そう簡単に、己の頭が働くわけがない。
虎徹にかねがね言われていたヒーローとしての仕事も何もかも放り出して、それでも今のバーナビーは集中治療室を遠くから眺めることしか出来なかった。全くの無力だった。
ただ、虎徹の母である安寿がここにきて説明してくれた。
虎徹がずっとバーナビーに隠していた病の事を…
あの事件の日。虎徹は確かに、薬品工場の爆発に巻き込まれ、怪我をしてあばら骨を幾つか折った。でもそれだけではなかった。工場内にあった非認可の複数の薬品を吸い込み、体内に現代の医学では治療不可能な有害物質を取り入れてしまった事。それが虎徹の身体を徐々に浸食し、余命二カ月となってしまった事を。
その事実を知っていたのは、家族と…会社の上層部だけだった。バーナビーには決して伝えないで欲しい。それが虎徹の願いだったと。
そうしてその通りの結末をただ迎えようとしている虎徹が、今意識不明の重体と言う形で、バーナビーの先にいる。
死への階段をかけのぼるように、虎徹は日に日に衰えていく。
そうして、一度も意識を取り戻すこともなく、ゆるやかに…息を引き取った。
意識不明の重体となり…それはたった一週間後の出来事。
最期に虎徹さんと交わした言葉は何だっただろうか?それさえ、わからないほどで。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
なんて…呆気ないのだろうか。結局バーナビーは、何も出来なかったのだ。
外は、何かひたすらにうるさかった。何もかもが自分の邪魔をしているようだった。
虎徹の実家で葬儀がしめやかに行われたと、誰かが言った。バーナビーにも当然参列して欲しいという声がかかったが、行くことは最早無理だった。
ただ…虎徹が居なくなった後の特室を無理やり貸し切って、バーナビーは茫然とそこに居続けた。
誰も横たわっていないベッドサイドの前で、バーナビーはいつもの椅子に座り、真新しい白いベッドだけを見続ける。誰もいないのに、そうすることでしか、平静を保てなかった。
つつましく安寿に片づけをされてしまったので、もはやこの病室に虎徹を思い偲ぶものはない。忘れ形見の一つもない。ただ、バーナビーがつくっていた折り鶴だけが、目の前に残された。
「一、二、三、四……………」
今まで、数の把握は虎徹だけが担っていたからバーナビーは知らないからこそ、淡々と数えた。きっと千羽鶴には足りていないだろうから、完成した形では虎徹に渡せなかった。無様な…
一時間もしないうちに数え切った。随分と折ったとは思っていたが、それでもまだ千羽には五十羽近く足りてなかった。
「千羽あったら…虎徹さんは、生きていたのかな」
そんな今更叶いもしないことを呟きながらも、バーナビーはいつものように残りの鶴を折った。暇な時だけやっていいと、常々虎徹に言いくるめられていたから。今は虎徹の居ない暇な時間が有りすぎて、もう何をしていいかわからなかったから。でも…無情すぎて、悔しくて…ハンドレットパワーを発動させて、残り足りていない鶴を全部一気に折った。
「これで、千羽…」
ようやく千羽揃ったのに虚しさしか残らない。能力を使えば、まるで一瞬のように折れたのに、そんなこともせずにただ今まで単調に折り進めていただけだった。一気に折れてしまったからこそ、何て空しい。虎徹の前で着々と折っていた時はあんなに楽しかったのに、後にこれだけが残って。どうせ叶わないのに、もう何もかもが遅い。
だから虎徹も自分に何も告げずに亡くなってしまったのだと、悲嘆するばかりだった。
「もう虎徹さんがいないのに…こんな世界、見えなくていい」
もはや何をする気力もなく目を閉じる。愛用のメガネを手に取り、手の中で握りつぶした。替えもあったが捨てた。
そうして色とりどりの折り鶴を、ぶちまけるように病室の至るところに散りばめた。
コン コン コン
ありとあらゆることを放棄したバーナビーの耳だけは塞げず、その控えめなノックの音だけが最初に聞こえて、ゆっくりと扉が開く。
もはや誰が来ても揺らぐことはないと思っていた心が…たった一筋の希望を持った少女によって開かれる。
「………楓…ちゃん?」
視界が開ける。声が出る。立ち上がる。まだこんなことが自分にできたのかと驚くくらいだった。
「突然すみません…バーナビーさんがこちらに居ると聞いたので」
喪服姿のままの楓がこちらへやってくる。時間的にオリエンタルタウンでの虎徹の葬儀が終わって直ぐだとか、そんなことは今のバーナビーの頭には働かなかったが、ただ…楓は虎徹が大切にしていた娘だったからこそ、何とか身体が動いたのだ。
「…バーナビーさんにとってお父さんの死…は、急で………その、色々とすみませんでした………」
ここで楓は深々とお辞儀をし、年齢以上にしっかりした様子を見せた。バーナビーとしては楓の事を恨むだとか悪いだとかは全然思っていなかった。ただ…実の娘に父親の死の言葉を改めて告げさせてしまったことが、逆に申し訳なかったが、今のバーナビーにその返事を返す余裕もなく、ただ言葉を受け入れるのみだ。
「何度か説得はしたんですけど、お父さんはバーナビーさんにどうしても病状を言いたくなかったみたいなんです。最期までバーナビーさんの相棒としていつもと変わりなくいたい…そう言っていました」
直接は伝えられなかった遺言を代わりに知らせるように、でも…楓自身も辛さを覚えて堪え切れない涙を流しながらも声を告げた。おそらくここに至るまで何度も泣いたのだろう。それでも涙は止どめなく溢れるが、拭いはしなかった。
「っ…本当にすみません。それも全部、お父さんの身勝手で……残されたバーナビーさんは辛いんだってわかっていますけど」
現状、ここに引きこもるバーナビーの姿を見て楓は言葉を続ける。
「だだ、最期に…これをバーナビーさんに渡して欲しいと言われました」
そう言い、座りっぱなしのバーナビーに近づいた楓は持っていた大きい紙袋を前に出した。中から取り出したのは。
「お父さんがバーナビーさんの為に折っていた、千羽鶴です。バーナビーさんが居ない時に、こっそり折っていて…ようやく完成して………渡せる事を喜んでいました」
目の前に広がる多種多様な折紙の山が、糸を伝って完成した姿でバーナビーを出迎える。まるで初めて日の目を見たかのように、それはキラキラ輝いて見えた。
「どうして…」
声が再び出た。勝手に、バーナビーは何一つ命令していないのに、その疑問だけが。
「わかりません。私も最初は自分の回復の為に千羽鶴を折っているのだと思っていたんですけど…ただ、バーナビーさんに渡してくれ…と言われて、それ以上は教えてくれませんでした。お父さんの気持ちは…今となっては私にもわかりません。ただ…今のバーナビーさんの姿は、お父さんが望んだバーナビーさんではないと思います」
それ以上の言葉を楓は語らなかった。
ただ、病室を去る前に一言、失礼しましたと再び長いお辞儀をして出て行った。
そうして、部屋中に散りばめられた千羽鶴の他に…虎徹の折った千羽鶴がバーナビーの手元に残る。
楓が帰ってしばらくしても、バーナビーには虎徹の意図がわからなかった。なぜわざわざ自分の為に虎徹は千羽鶴を折ったのか。
残された千羽鶴の塊を持ち上げる。それなりの重量だ。正直、どちらかと言えばバーナビーの折っていた鶴の方が形は綺麗だったが、この想いの重さはあるのに正体が知れなかった。ただ一つだけ、他のものより大きい折り鶴があった。多分、通常の折紙より二倍の大きさの紙を使ったのだろう。大きいから他の鶴より簡単な筈なのに、その折り鶴だけガタガタだった。特に口ばしの部分が変な方向に折曲がっている。
バーナビーはそれを直す為に大きい折り鶴だけ糸から外して、顔に近づけた。メガネがないのでよく見えないのだ。白く大きな折り鶴―――それは最初に虎徹が見本として見せてくれた折紙を思い出させて。
でも、それだけではなかった。
近づいたからこそ、気がついた。
折り鶴の内側に…何か文字のようなものが書いてあることに。
目を見開き、バーナビーはその折り鶴を元の一枚の形へと戻す様に分解した。おかしいことに今まで折るばかりで、逆の行動はしていなかったため、意外と手間取った。
そうして、虎徹からのメッセージを読み取る。
折り鶴自体だけではない…文字もガタガタだった。それは、病状の進行していた虎徹の…精一杯の言葉だったのだろう。
『お前は元気に生きろ―――俺の最高の相棒なんだから』
そんな…いつも通りの何でもない言葉が何よりも心に伝わって………
ようやくわかった。理解した。
バーナビーの今後の健康と長寿を祈り、虎徹が千羽鶴を贈ってくれた事を。
面倒を見ながら意識的にバーナビーに千羽鶴を折らせていたのも、今後のバーナビー自身の為にと願って。
それは、知らないうちの共同作業。
「っ、……虎徹さんっ!………」
バーナビーは深く慟哭し、虎徹の想いを受け取った。
そうして立ち上がり、散りばめた千羽鶴を…一つ、また一つ………拾い上げて行く。
二千羽の鶴に囲まれた世界で、生きるために