それが月並みな問いかけだと重々わかってはいたが
「バニーちゃん。もうすぐ誕生日だけど、何か欲しい物ない?」
結局は、そんなに長く悩む事もなく虎徹はあっさりとその言葉を口に出した。
あの時はまだまだ打ち解けていなかったのだから仕方ないのかもしれないが、それでも最初に会った年の初めての誕生日はそれほどうまくいかなかった思い出がある。だから今回はサプライズはなしで普通に行こうと虎徹は思ったのだ。やっぱり自分は回りくどいのは性に合わないと思うし。
しかし普通と言ってもバーナビー相手の普通は果てしなくわからないので、だったら本人に尋ねた方が早いという頭の回転だった。我ながらに単純だとは思うけど。
「ありますよ」
「えっ」
バーナビーの切り返しは予想以上に早かった。だからこそ余計に虎徹は驚いたのだ。ここで素直にイエスマンが出て来るとは、喜ばしいが想定はしていなかったことだったから。
「でも、虎徹さんに協力して貰っても簡単には手に入らない物ですけど」
続くバーナビーの言葉は虎徹の期待を簡単に下落させるもので、それはそれは見事だった。
「だよねぇ。んーーーちなみに何?」
わかってはいたが、KOH様のお金のチカラとかコネを使えば欲しい物なんて大抵手に入るだろう。加えてバーナビーのハンサムっぷりはそれに拍車をかけている。無理だとわかっていても、じゃあ一体何が欲しいのだと虎徹は単純に疑問に思うのだ。
そこまで深く追求すると、バーナビーはなぜかピッと虎徹の胸を指差してきた。まるで射ぬくように確実に示してくる。同時に向けられる視線―――
「えぇええ、、、俺?………もしかして俺の命…とか、そんな物騒な物欲しいの???」
虎徹自らも人差し指で自身を指差して盛大に疑問を表す。
バーナビーは、冗談は嫌いで元々こういうことをする性格じゃないとわかっているからこそ、心の臓を示されたことが気になったのだ。
「どうしてそういう解釈になるんですか?」
「いや、だってなあ。もしかして心が欲しいとかそんな純情なこと言わないよね?」
ビビリながらもおどけ半分で冗談めかして言った。それでも焦ったので先ほどのは、少なくとも違って良かったとは思っている。
「まさか、そんな単純な物じゃありませんよ」
「単純って…失礼だな」
何気に虎徹の心を軽んじた発言をされたような気がしたのて、つい反論を条件反射のように出す。
「………きちんと言わなかった僕が悪いんですかね。僕が欲しいのは、その身体です、身体」
とりあえず強調するようにバーナビーは言葉を連呼してきた。ついでに何度か指を動かして深く指し示す。
「えーなにそれ。セックスしてみたいとかー?」
有り得ないと思いながらも、もう完全にふざけが入りつつも虎徹は短絡的に言ってみる。身体=肉体関係とかそういう直球なことしか思いつかないのだ。しかしバーナビーには果てしなく似合わな過ぎるから、やけくそ交じりの声になるのも仕方ないだろう。
「違いますよ。はぁ…もういいです。無理だってわかっていますから」
ため息をつきながら、本当にどうでもいいようにバーナビーはあっさり否定した。そして諦める。
正直、冗談でも先に言ったこっちが恥ずかしいじゃないかと虎徹は思うのだが。
「あ、やっぱり違うのね。んじゃ、三十路越えても筋肉落とさないようにする秘訣とか、怪我した時の早く治るコツとか………えーと、あとは…………って、おい!バニーっ」
丈夫さだけ頑丈な自負はあるから色々と思いつく限りを虎徹がぶつぶつと呟いている間にバーナビーはすたすたと行ってしまった。
駄目だ。頭いい奴の考える事ってわかんないな。うんと納得する。
とりあえず、同僚の誕生日プレゼントなんて、無難に酒の一杯でもおごってやればいいかという勢いでその場の話は終わった。
そうして、バーナビーの誕生日。
キャーキャーと比喩される甲高い声には、仕事柄今まである程度は慣れていた。
それが虎徹自身に向けられていたのは軽く一昔ほど前だったから、若干忘れていて…改めて凄い空間に来たのだなと感心した。
今日は、バーナビー・ブルックスJr.公式ファングラブ会員限定の握手会である。生誕祭のような派手なことはできないので、せめてものバーナビーの誕生日を祝いたいと言うファンの気持ちを汲み取ったイベントだ。
タイトルがでかでかと描かれた大判パネルや飾り付けも赤とピンクを基調としたシンプルながらも、もちろんその仕様になっている。
虎徹自身は別にその会員でも何でもないので、元々どれだけの人数がいるのか全く把握も出来ないのだが、その規模はそこらへんのアイドル並みにあるとは聞く。
やっぱり最近自分たちはヒーローよりアイドル業にみたいになってきたなと悲観しそうになるが、ファンクラブに関しては虎徹自身のは今のところないから助かっている。
もしあったら恐ろしい。その会員が多くても少なくともバーナビーと比べられるだろうし、何より虎徹からすると煩わしいと思われる仕事が増えるのだから。ヒーローはヒーロー業だけやっていたいものだ。
さて、当人でもないのにどうして今虎徹がバーナビーの誕生日会を兼ねた握手会イベント会場にいるのかというと、もちろんロイズさんからのお達しである。
少しでもバーナビーにあやかって、ファンGETの仕方を学んで来なさい…との事だ。非常にめんどうくさい命令であるが、ただの雇われ会社員からすると上司の命令は絶対であるから仕方ない。嫌々という表情を出しながらもとりあえず口はつぐんで、虎徹はこうやってきたのだった。
仕事のキリがついてからと口実をつけておいたので、虎徹が会場辿りついた時はもう握手会も終わりに差しかかった夕方であった。
元々ファンクラブ会員全員というわけではなく、その中でも抽選で選ばれた人間だけがバーナビーと握手出来るという企画となっているのだが、屋外でやっているので遠巻きにその姿が見られるということで抽選から外れた女性たちがわざわざ遠征してバーナビーを眺めているというちょっと変わった構図になっている。普段ならば部外者は近くにも寄れないのだが、今回は誕生日という事で特別仕様だ。だからこそ余計に取り巻きの人数が恐ろしいのだが。
虎徹はスタッフパスで関係者入口から中へ入って行ったのだが、角度的にバーナビーの背後の方しか見えないので仕方なく、真正面に当たる立ち並ぶファンたちが待機しているエリアまで歩く。
遠く果てにあるバーナビーへのプレゼントを収納するコンテナのようなボックスはいくつか小分けされているようだが、それでもかなり溢れそうになっている。
それにしても見れば見るほど女性ファンが多い事、多い事。家族連れや小さい男児もいないというわけではないが、やはりバーナビーのファンクラブに入るほど熱狂的なファンは思春期や年若い女性が多いと理解する。
そんな中、いわゆるおじさんな虎徹がこの場にいるのは非常に浮いて見えたが、スタッフ証を首からぶら下げているのと、アイパッチをしているのでワイルドタイガーだという認識はされているので、列に並ぶ女性たちは…あ………という顔だけは見せてくれる。相変わらずの添え物オプションであるが、別に気にしないと言うかバーナビーとバディになってからはよくあることなので慣れた。
そうしてバーナビーの斜め少し横から握手をする姿を眺める。もう開始からかなりの時間が経過している筈だが、相変わらず営業用の満面の笑みを見せながら、ファン一人一人に丁寧な握手をしている。今回に限っては、誕生日おめでとうございます!の言葉もかけられるので結構時間かかっている印象だ。大変だな。
それにしても生来がパーフェクトか何だか知らないが、その疲れの見えなさに表情筋が固まっているんじゃないかと虎徹思ったくらいだ。あまりに握手をし続けた為にバーナビーの右手は少し腫れているようにさえ見えたが、顔は変わらない。本人は仕事だと割り切っているようだが、感心するしかない。そこはパチパチと拍手を送りたいぐらいだ。
だがしかし、この様子から何かを学べというのもなかなか難しいなと虎徹は感じる。いや、コンビを組んだ当初に、バーナビーから手の振り方がよくない。そんな顔の近くで手を振ったら写真撮られる時に手が入って邪魔じゃないですか…とか言われたことはあったが、そんなに写真を撮られる機会は虎徹にはないと思うのだが、黙っていた。バーナビーはバーナビーなりのこだわりがあるのだろう。
相変わらず、左から右へと通り抜けるいつもより黄色い女性の声が何度も響く。虎徹は欠伸を抑えながらも、とりあえず言われた通りにその光景を眺めていた。
「あ、あの………」
ずっしりと腕を組み立ち入り禁止の黄色いテープと赤いポール端で、ぼうっとしていた時だった。
外から突然声をかけられて、虎徹は慌てて振り向く。
「えっ。あ、はい。何か?」
やっべーもう時間的に終わりそうだし、片づけを始めたスタッフに邪魔だと声をかけられたのかなと思い、虎徹は慌てた。しかしそこにいるのはスタッフ証をぶらさげた人間ではなかった。
虎徹より随分と小柄に見える線の細い…過度な表現をするとひょろっちい年齢不詳な男性がいたのだ。
「す、すみません。ワ…ワイルドタイガーさん………ですよね。握手…お願いできますか?」
男はおどおどとした表情と言葉を見せながらも、なんとかこちらにそう伝えてきた。
「ん、俺…ですか?いいんですか、バニーじゃなくて」
思わずいつもの愛称が出てしまうくらい驚いた。これは不意打ちだったからだ。
「はい…。僕はワイルドタイガーさんのファンなので」
「いやあ、嬉しいな。どーぞ、どーぞ」
軽く右手をズボンで叩いてから虎徹は好意的な笑みを浮かべた。まさかこんな場所で自分のファンに会えるとは思わなかったからだ。やっぱり女性ではないけれども、虎徹は男女差別するつもりなど毛頭ない。ロートル部類と換算されようが、大切なファンの一人なのである。
意気揚々と虎徹が右手を差し出すと、男性もおずおずと自身の右手を差し出してきたので、がっちりと男らしく握手が交わされる。
「何しているんですか?タイガーさん」
そのままの状態であからさまに二人はびくりっと震えた。
「あれ、バニー?」
握手をしたまま首を横に向けるとそこにいたのは、バーナビーだった。
どうやらファンを待たせたままこちらに来たらしく、先ほど座っていた席から続く女性の列がモーゼの如く開かれているのが見える。色々と怖い。
「タイガーさんも、誕生日には握手会を開いた方がいいみたいですね」
虎徹と男性のお手手つなぎが続いている様子を見て、バーナビーは変な事を言いだした。
ヤバイ…何だか先ほどまでピクリとも動かなかった筈の表情筋に軽く苛立ちが含まれている気がする。理由はなぜとかそんな事を深く追求している場合ではなかった。バーナビーの後方にいるモーゼの女性たちから釘を差される視線は痛いし、早くこの場を収めなくてはと虎徹は焦った。だからといってこの手をわざとらしく振り切るのは印象が悪いだろう。
「いや、何か…さ。暇だから俺に握手してみたかったみたいよ。ほらっ」
焦りつつも促す様に空いていた男性の左手を掴むと、機転を利かすようにバーナビーの下がっていた左手と無理やり繋ぎ合わせた。
瞬間。一人の男を挟んで大の大人二人という奇妙な構図が出来あがってしまった。
たった、それだけの筈だった………
次に訪れたのは、酩酊のような酷い眩暈。それが繋がられた右手から伝わっていると気が付いた時、虎徹の視界は蛍光している青白さが一閃として視界を覆った。
そうして次に目を覚ました時、虎徹が居た場所は病院のベッドの上だった。そこは何度か怪我をした時にお世話になっているところだったので虎徹からすると慣れた様子な筈だったが、状況が全く掴めなかった。
試しに頭や手や足をそろりと動かしてみるが、別に痛いとかなかったので、それだけは良かったなと思った。
個室ではなく複数人入れる部屋だったので、隣のベッドにも横たわる人間がいた。
誰だろう…っと、ちょっと身を起して、その顔を覗き込んで盛大に驚いた。後ろにびくりっとジャンプするくらいに。
目を伏せて眠っているような顔がそこにあったのだが…その顔は間違いない………鏑木・T・虎徹だったのだ。
「お、おお…俺!?」
この場で叫ばない方がおかしいだろうというくらい疑問を交えて虎徹は喚いた。
落ち着け…自分は鏑木・T・虎徹の筈で、いや…だからこそこの目の前に落ちている顔が見知り過ぎているのだ。鏡じゃないよな?
「…うるさいですね」
何か少し鬱陶しそうに顔をしかめて、その虎徹の顔をした男は目を開けて身を乗り上げた。
あれ…確かにあちら様は声も鏑木・T・虎徹様だ。
えーとえーと、つーか自分が何だかおかしい事にようやく虎徹は気が付いた。さっき叫んだ、あの声………あれは、自分の持ち物ではなかった筈だ。最近では最も側にいる回数の多い―――
「………何で、僕がいるんですか?」
あちら様の鏑木・T・虎徹も驚愕の瞳を見せつつも、そう言って来た。ああ、やっぱり…
虎徹は恐る恐る窓ガラスに映った、自分の姿を見る。
見事にカールされた金髪に、無駄に端正すぎる顔立ちとスタイル。これは…この身体は、紛うこと無きバーナビー・ブルックスJr.だった。
・
・
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「ごめんね。バニーちゃん…」
「いえ、別に………」
なかなか最悪な誕生日になってしまった。申し訳ないと謝るしかない。
それからは検査の嵐だった。何だか虎徹の理解から逸脱するよくわからない医療機器に何度も通され、精神科系の医師にも何人も診断をされて、医療的には原因は不明だった。
最終的には、虎徹とバーナビーが倒れた際に原因となった、あの青白いNEXT能力が原因だろうと言う結果になる。ま、無難だな。
どうやらあの男性はNEXT能力者だったらしく、左右の手で触れた人間の肉体と精神を入れ替わるという変わった力の持ち主らしい。精神系NEXT能力者はわかりやすく表に出てこない分、あまり知られていないから虎徹もそんな能力を聞いたのは初耳だ。
ここまで真面目に能力が判明しているのは、男がヒーローアカデミーの卒業者であったため、司法局を通じてデータベースから詳細が知れたからだった。
非常に厄介な事に、この能力は時間が経過すれば元に戻るというわけではなく、また同じように左右の手で繋ぎ合い、NEXT能力を発動して貰わなくてはいけない。今度は虎徹が左手でバーナビーが右手という具合だ。面倒だが、やって貰わないと。
だって…ハンサムはそこに居るだけでも恐ろしい存在感だったから。最初は面白かった。バーナビーは虎徹より5cmほど身長は高いし何より非常に整った顔立ちをしているから、久しぶりの若い身体はいいな…と思った。動きがスマートな気がするんだ。
ロイズさんには呆れられたが、同じくヒーローをしている仲間たちからは絶好に笑われたし痛快だった。でも、直ぐに弊害が起きた。
唯一の幸いは二人が同じ能力だったことだが、世間的には精神が入れ替わったなんて不利益なことを公表していないわけで、仕方なくバーナビー・ブルックスJr.の仮面をかぶらなくてはいけない。無理。無理だった。ありえん。
バーナビーは顔出しヒーローで注目度は抜群だ。いつもこんなプレッシャーに耐えているのかと虎徹は感心したくらいだった。ハンサムすぎるのも問題だな。とにかく何もかも疲れたのだった。生きているのが辛い。
ハンサムも毎日眺めていると飽きると知ったことだけが唯一の利点だっただろうか。当のバーナビーはそれが生まれた時から当たり前なのだろうが、慣れって怖いものだ。
そんな二重生活を続けて疲労を隠しきれなくなった最中、ようやく連絡が入った。
虎徹とバーナビー二人の精神を入れ替えて、ファンクラブ会場から慌てて逃亡した犯人の消息をだ。
なんてことはない。逃亡資金が尽きたらしく、自宅の貸アパートに戻ってきたという報告だ。
無差別にNEXT能力を使うことは法律で禁止されているのだが、今回は特にスーパーヒーロー二人に対してということで、過敏な反応が成されていた。
計画的犯行性が低いと思われる事と虎徹もバーナビーも重い罪をかぶせたいという意思を強く誇示しなかった為、捜査もそれほど強制的に行われなかったのだ。
虎徹自身もあまり大事にはしたくないという気持ちがあった。不可抗力みたいなものだし、そもそも虎徹が勝手に二人の手を繋げたようなものなのだ。
だからこそ、あまり威圧的に見えるのはよくないと…当人である虎徹とバーナビー二人だけで、その男のアパートに向かうこととなった。話し合いをして、とりあえず元に戻してくれれば、後は書類送検だけでお咎めなしというやつだ。
「うーん………また、随分と小さいアパートだな」
ブロンズステージのダウンタウン地区にあるのだから仕方ないと言えば仕方ないのかもしれないが、想像以上の大きさと間取りの狭さに、外からアパートを眺めての開口一番の虎徹のセリフがそれだった。腐ってもシュテルンビルトだからこそレンガとモルタル造りなのだろうが、かなり老朽化が激しく見える。
まあ、虎徹のマンションだってそれほど広いというわけではないが、最近はこの見た目のせいであまり自身のマンションに帰れないのだから、少し懐かしいような気さえする。
「………虎徹さんは、待っていて下さい。二人で行くには狭そうですし、何よりこの場は僕の方が良さそうです」
「ああ、そうだな」
虎徹はバーナビーの言葉に全面的に賛成した。
なんと言っても今のままでは見た目が悪すぎる。バーナビーは、多分今までダウンタウン地区に用なんてあったことないんじゃないか?というほどなのだ。今は虎徹がこの外見なわけで、悪い意味で目立ちすぎる。周囲から見ても不釣り合いだろう。
ここは穏便に平凡な見目である虎徹の外見が行く方が安心安全だろう。ということでバーナビーに頼むことになる。この自体を招いた犯人である男も、突然派手なバーナビーの容姿が現れるより虎徹の容姿の方がまだマシだろうしという見当だ。
「しっかし、バニー。平気か?入れ替わってから、なんかずっと変だし」
概ねの賛成はあったが、虎徹はずっと引っかかっていた心配事を口に出した。
二人の姿が代わりバタバタとした中で虎徹は相変わらずな様子を見せたが、バーナビーはずっと考え事をしているように押し黙ることが多くなったのだ。やっぱり口には出されていないが、嫌だったのだろうか。
「こんなことになってしまって、普通でいろ…という方が難しいと思いますけど」
バーナビーは虎徹の顔と声で冷静にそう伝えてきた。
「そりゃ、そうだな…」
確かに、悩むなという方が無理なんだろうとは思ったが…なんか未だに慣れない違和感に悪寒が走る。真面目な姿も出来たんだな自分、という気持ち込めてだ。バーナビーの言う事は全く間違っていないから、カンが鈍ったんだなあ程度に虎徹は思う事にした。
「では、行ってきます」
「おうっ」
アパートへと向かうバーナビーにひらひらと軽く手を振って、声援を送る。
あとはバーナビーが犯人である男を無事に説得してこちらへ呼びよせるサインをするまで虎徹は待機だ。
名残惜しいわけでもないが、もうすぐこの身体ともおさらばかと思うと、少し感傷的にもなる。楽しかったとか面白かったとかそういう感情はあるけれども、やっぱり鏑木・T・虎徹の身体が一番だなと思う。慣れているし、何より楽だし。
ここで一つ、ふあっと虎徹は欠伸を噛み殺す。ハンサムの欠伸なんて貴重だ。普段、バーナビーはどうしているのだろう。何か習得しているに違いない。
………そんなとりとめもないことをうだうだと考え始めた時だった。
「ギャァア!!!!」
虎徹の耳に飛び込んできたのは唸るような低い悲鳴。
それは注意深く耳を立てていなければ聞き洩らしてしまうほど遠くではあったが、とにかく聞こえたのだ。
方向的にはバーナビーの向かったアパートの先であった。
それが、確定的にバーナビーに関係しているとわかったわけではなかったが、それでも何かが起きたのだと瞬時に悟った。
長い脚を蹴り出して、虎徹は急いでアパートへと向かう。
向かった先は二階の一番端の部屋だった筈だったから、手すりが壊れている階段を二段飛ばしで一気に駆け上がった。
息つく間もなく、その部屋を見つけるとドアノブを回して、一気に扉を押して駆けこんだ。
「バニー!」
やはり部屋の中も狭かった。外へと繋がる扉からキッチンと洗面台含めて一フロアあるだけ。
その部屋の中央で虎徹の姿をしているバーナビーはこちらに背を向けて一人立っていた。そして足元には、確かに虎徹と握手をしたあの男が冷たい床に転がり身もだえていたのだ。
その場に残るのは、バーナビーが発動したと思われるハンドレットパワーの青白い光が未だに煌めいていた。
「…虎徹さん」
なんだ。一体…どうなっている………
バーナビーが振り向いた拍子に倒れこんで汗酷く喘いでいる男の様子がようやく知れたのだが、一番に飛び込んできたのは未だ流れ出て床を広がる鮮血だった。
そうして虎徹は気が付いてしまう。袖口が赤く染まる先の…男の右手首が丸ごとないことを、その手首と思われる真っ赤に染まった何かをバーナビーの左手からぶら下げていることを―――
「こ、…れは………どういうことなんだ。バニー!」
この事態をバーナビーが引き起こしたということは一目瞭然で、虎徹は張り詰めた怒鳴り声を上げた。
「だって、ずっと気に入らなかったんですよ。この人…握手会の時に虎徹さんを、絶え間なくちらちら見ていたんですよ。それであまつさえ握手だなんて………」
そうしてバーナビーは虎徹の姿で嫉妬の炎を見せるのだ。
「そんなことで…こんな………それに、これじゃあ俺達が元に戻ることも出来なくなるじゃないか!」
「いいんですよ、それで。それが目的で、僕はこの人を壊すことにしたんですから」
まだ殺さないだけマシでしょ?といわんばかりの口ぶりで、ぽつりぽつりと言葉を落とす。
その間にもバーナビーは視線を虎徹に向けたまま、男からもぎ取った右手首の指をまるで木の枝でも折るように一本一本握り潰している。かつての血管と思われる部分から絞り取るように鮮血が零れ、細い骨が粉々なっていく。骨と肉と血管が砕ける嫌な音が断続的に続き周囲を支配した。
「やめろ!」
虎徹がそう強く叫んだので、ようやくバーナビーはその手首をぽいっとゴミのように投げ捨てた。ぶらりと弧を描いて飛んだ肉塊は小汚い灰色の壁にぶつかり、そのままべちゃりと下へと落ちた。
「これで、もう僕達が元に戻ることはありませんね」
「………何が…したいんだ………お前は…」
もはや虎徹の理解の常識を超えていた。確かに二人の身体が入れ替わってバーナビーはそれほど嫌がらなかったが、それだけでこんな自体が招くとはわかるはずもない。
「言ったでしょう。僕は虎徹さんの身体を全部欲しいんですよ。だから…」
バーナビーは虎徹の普段着であるシャツを引き抜くとベストも上へと押し上げた。そのまま右指を伸ばす様に揃えてぐっと腹部へと差し入れる。ハンドレットパワーの力の入れようを右指に集中させると、そのまま自身の腹をえぐった。五本の指が全て入ると、左右に動かし割り開く。下腹部の表皮と筋肉を丁寧に切り裂くと、そのままより奥に右指を突っ込んで文字通り腹の中を探った。
「ひっ………」
もはやバーナビーの物となってしまった虎徹の身体のあまりの光景に、見たくはないのに目を閉じることさえ、もう無理で生理的な拒絶の声だけが漏れた。
「ずっと虎徹さんを傷つけてみたかったんですけど、痛いはそんなにお好きではないみたいでしたから本当にこの状況は好都合でした。僕は大丈夫です…この痛覚さえも愛していますから。あ、そちらの心も後で下さいね」
それがまるで当然のように視線で虎徹の心の臓を絡め取る。
そうして、身体も心もまるごと愛することの出来る喜びを示したバーナビーは、下腹部から少し取り出した大腸にキスをするように身体を前へと丸めた。
「誕生日プレゼントありがとうございますね。僕…一生大切にしますから」
虎徹に見せつけるかのように空いた腕で自らを抱きしめると、バーナビーは血に濡れた唇を開きながら、とても嬉しそうにお礼を言ったのだった。
『Happy Birthday バニーちゃん………』
バーナビーの誕生日が来てから、まだそのセリフを一度も言っていないことを虎徹は今更気が付いたが、もはやどうしようもなかった……………