ヒーローアカデミーを卒業した後の、最高の就職口なんて一つしかない。
各企業のヒーロー事業部に雇われ、ヒーローとして活躍する。ただそれだけだ。
エリート中のエリートであるそこへ足を踏み入れるのは、ほんの一握り。
あとは自分の能力を生かして、何か就職できればいいが、それもなかなか難しい。
スーパーヒーローたちのおかげでNEXTの地位向上はしているとはいえ、本来人間は異物を嫌うものだ。
それがほかの犯罪者たちと同じように、他人に害を与えられるとなれば尚更。
だから、男も結局ヒーローアカデミーをそれなりの成績で卒業した後は、能力のことを隠して普通に生活していた。
ヒーローにはなれなかったが、能力の制御方法だけは身に付いたことだけが、アカデミーにいたメリットだろう。
別に今更、夢も希望もないから、このままでいいと思っていた。
その日常が崩れたのは、数年ぶりにヒーローアカデミーの校長から連絡を貰った時だった。
前々から生徒に色々と目をかけてくれる良い校長先生ではあったが、同窓会等のイベント毎以外で声をかけて貰うのは初めてだった。
電話の用件は、会わせたい人がいるとのこと。
誰だろう?と全く相手は思い浮かばなかったが、会ってからのお楽しみだと言われれば、二の句を告げることも出来ない。
幸い指定された時間は仕事にも支障を来さなかったので、二つ返事で了承した。

久しぶりの母校の校庭を練り歩く。
それほど長い期間通っていたわけではないが、やはり普通の学校とは雰囲気が違うので、懐かしさを感じる。
NXET専用ということで、そんなに簡単に足を踏み入れられる場所でもないのだ。
庶務課で受付を済ませると、そのまま事務の女性に校長室まで案内された。
そういえば在学当時一度だけ校長室に足を運んだことがあった。
それは、各クラスから成績優秀賞に選ばれた者が校長から表彰状を貰うためだ。
自分は一番ではなかったが、そのクラスの二番手の成績だったため、おこぼれで小さな賞状をもらった。
別のクラスだったから認識は殆どなかったが、同期からはヒーローになった奴がいる。
折紙サイクロン。
一応ヒーローは素顔を隠すことが前提となっているが、このアカデミーでは上辺沈黙するだけで、みんなが知っていることだ。
彼は、その時のスポンサー向きの能力だったらしい。
羨ましいと思わないわけではないが、チャンスは平等にはやってこないものだ。
コン コン コン
校長室前の廊下で事務員と別れた後、意を決して規則正しく三度ノックをした。
「入りたまえ」
「失礼します」
約束の時間より10分早く着いた筈だったが、先客がいた。
校長と、いかにもビジネスマンという風体の黒いスーツを来た神経質そうな男が応接セットで会談していたのだ。
「お久しぶりです。ご無沙汰しています」
「おお、よく来てくれたね。さっ、こちらに座ってくれたまえ」
そう言って校長は、自分の横へと着席を促した。
軽く会釈をして失礼しますと断ってから座ると、ちょうど向かい側に神経質そうな男と向かい合う形となる。
「君がそうか」
相手の男は勝手にそう納得するようにつぶやいて、手元のいくつかの書類と自分を見比べた。
反対側だからはっきりと断言はできないが、どうみても自分の履歴書っぽく見える。
顔写真と経歴欄の情報はアカデミーからの提供かもないが、成績証明書とでもいう奴だろうか。
「あの…俺がここに呼ばれた理由がさっぱりわからないのですが」
隣に座っている校長は、いつも以上にニコニコしているし、目の前の男は完全に品定め。これでは戸惑うなという方が確かにおかしいであろう。
一体これは何なのだろうと、見当すらつかなかった。
「ああ、すまなかったね。紹介もまだで。こちらは、アポロンメディアのアレキサンダー・ロイズさんだ」
そう右手をロイズの方へと向けて示す。
「アポロンメディア?」
思わず疑問系になってしまったが、この街に住んでいて、その企業の名前を知らないというわけではない。
アポロンメディアといえば、シュテルンビルトのマスメディア全てを牛耳っている総合メディア企業だ。
広告という名のつくものに、アポロンメディアが関わっていないことはないというほど巨大な組織。
そのCEOの顔と名前くらいはおぼろげにわかる。
しかし、それだけだ。
あまりにも自分が今までいた世界とは違いすぎて、なぜ今そんな企業に勤めている人が自分を品定めしているのかという理由までには行き着かない。
「よろしく」
ここで背広の胸ポケットから名刺ケースを取り出すと、ロイズはこちらに差し出したので、反射的に受け取る。
そこには驚愕の内容が書かれていた。
「ヒーロー事業部?」
「そうなんだよ。おめでとう。ロイズさんは君をニューヒーローへとスカウトしに来たんだよ!」
未だ実感の沸かないままだったが、校長はこれ以上ないというくらいオーバーリアクションで喜びを表現した。
「俺がヒーローですか?」
口に出して反復しても信じられないくらい驚いた。
アカデミーの同期の話によると、後からでも能力的に使える企業への斡旋というのは聞いたことがあるが、まさかヒーローとは。
最初は呆気にとられて、前方を呆然と見ることしか出来なかったが、やっと思考が少しずつ動いてくる。
「そうだ。君の能力が健在ならばの話だが…見せてくれるかい?」
「………わかりました。校長先生。この灰皿いいですか?」
手頃な物が思いつかなかったので、応接セットの中心におかれていた重厚な灰皿を指し示す。
あまり使われた形跡がないのか丁寧に掃除をしているのかはわからないが、綺麗に磨かれており机の中心に鎮座するほど大きい。
だが、それほど美術的に価値のあるような物というわけではなく、実用品的な耐火ガラスであろう。
「ああ、かまわないよ。好きにしてくれたまえ。私も君の能力を見るのは久しぶりだからね」
「後で弁償します」
そう言い残すと、すっと意識を集中させる。
今の仕事では使う必要がない…というか、畏怖の念を抱かれることもしばしばなので家族以外の前では滅多に使わないが、だからといって能力の鍛錬をさぼっていたわけではない。
意識すると、瞬時に青白い蛍光色が全身を包み、見開いた瞳にまで移る。
そうして、すっと自身の右手人差し指を直径30センチほどの灰皿の縁に何気なく置いた。
たったそれだけで…
パキンッと綺麗な音を立てて、ガラス製の灰皿は粉々に砕けた。
「すみません。そちらに飛び散ったりしませんでしたか?」
力加減は気をつけたつもりだったが、案外小さい物を標的にする方が難しい。
「いや、平気だ。能力は健在のようだね。素晴らしい」
ここで硬い表情だったロイズの頬が少しだけ安堵を見せ、軽くパンパンと拍手をした。
「そうですとも。彼はとても優秀な生徒でした。残念ながら今までヒーローとしての機会は与えられませんでしたが、きっとこれから素晴らしいヒーローになるでしょう」
最高潮に上機嫌を校長は示す。
「そうですね。それをこちらも期待しています」
賛同するようにロイズもビジネストークで返す。
「これから契約に関して詳しい話があるみたいだから、部外者の私はいったん失礼するよ。君の活躍を私も楽しみにしているからね」
そう言って校長は一度自分の肩をぽんっと叩いてから自らの校長室から退室した。
部屋にはロイズと二人きりという状況になる。

「あの…俺以外にももっと凄い能力者はいると思いますが」
さっきは校長もいて流されてなかなか言いにくかったが、謙遜ではなく本心を告げた。
自分の能力が素晴らしいなら、引く手あまたであっただろうが、そこまでの自信がない。
「いや、これは君にしか出来ない。君のハンドレットパワーは、何たってうちのバーナビー・ブルックスJr.と同じ能力なのだからね」
ついにその名前が出たかと、予感が的中した。
バーナビー・ブルックスJr.といえば、言わずとしれたアポロンメディア所属の容姿端麗成績優秀と文句の付けどころ一つないヒーローである。
自分よりはアカデミーでは後輩に当たるが、年齢は少し上だ。
同じ能力ということで嫌でも目を惹く存在であるが、だからといって僻むとかそういう気持ちは全くなかった。
むしろ同じ能力のヒーローが活躍してくれることに、喜びさえ感じていて、応援していた。
広い意味で言えば自分は軽いファンのカテゴリーに入るかもしれない。
「しかし、俺にしか出来ないということは…」
基本的に各企業には一名のヒーローしか在籍していない。
その常識を最初に覆したのはアポロンメディアであったことは覚えている。
それは、当時バーナビー・ブルックスJr.というスターが登場したからだ。
「そう、君にはバーナビーとコンビを組んでやってもらいたいと思っている」
ロイズは決定事項のように確実にそれを言った。
「僕が、バーナビーのバディですか」
「そうだ。君も知っているだろう。今彼は一人でヒーローをやっているがデビュー当時はコンビだったことを。我々としてもバーナビーに不満があるというわけではないが、広告には常に斬新な取り組みが必要だ。マンネリを防ぐために君に白羽の矢が立ったというわけだ」
バーナビーのデビュー一年目は鮮烈で、新人とは思えぬほどの力を見せたことは未だに印象深い。
そして彼はいまでもトップレースをしているのだ。
「バーナビーの前のバディ………ワイルドタイガーも俺と同じ能力でしたね」
ここで少しトーンを落として慎重に音を出す。
「ワイルドタイガーの事は本当に残念だったよ。彼も素晴らしいヒーローだった」
ここでロイズが初めて仕事以外の顔を見せた気がする。
ふっと視線をこちらから外して、窓の外の遠くをみるように立ち上がったので、こちらも立つ。
スーパーヒーロー達が活躍をし初めて数十年が経過するが、唯一殉死したのがワイルドタイガーだった。
NC1977冬。それは数年前のジェイク・マルチネスによるシュテルンビルト崩壊事件。
彼はそれを阻止するべくセブンマッチへ挑み、帰らぬ人となった。
バーナビーや他のヒーロー達の手によってジェイク・マルチネスは捕まえられたが、失った物は大きかった。
いつもは賑やかな実況中継をするヒーローテレビだったが、その時ばかりはしめやかなリポーター。
立場上、家族で密葬したらしいが、関係者が集まって棺を土へと埋める一連の流れだけは放送された。
そうだ。ヒーローはただショーをやれば良いだけではない。
常に命の危険と隣り合わせなのだと、思い知らされた出来事でもあった。
「俺に、ワイルドタイガーの代わりが出来るでしょうか」
それは酷く重たすぎる立場に思えた。
「何も君が、代わりをする必要はない。ワイルドタイガーはバーナビーより年長のヒーローだった。今度はバーナビーが君を育てるという間柄をわが社は望んでいる」
「しかし、俺なんかを認めてくれるとは、とても…」
とても自信がない。その一言に尽きた。
「まあ、君にとっても話が突然すぎたな。直ぐに返事はしなくてもいいから、後日また伺おう。それと心配しているようだが、バーナビーは君に是非会いたいと言っているぞ」
「俺の話はもう伝わっているのですか?」
少し驚いたように顔をあげて尋ねる。
よく考えればバーナビーの了承なしにここまで勝手に話が進む筈がないのだが、そんな冷静な判断も出来ないほど提示されたものは許容範囲を超えていたのだった。
「そうだ。今日、君に会うと告げたら、時間があるなら夜にでも会ってみたいそうだ。時間はあるかね?」
「はあ…」
突然すぎて少し抜けた声を出す。
数時間前まではとても考えられなかったことだ。まさかあのバーナビーと対面することになるだなんて。
「なら、君が行くことを連絡しておこう。知っていると思うがバーナビーは有名人だ。外食となるとなかなか落ち着けないだろうとの配慮で自宅に招待したいらしい。彼の住所はこれだ」
ふぬけた声を了承と受け取ったらしいロイズは、住所の書かれた紙を取り出して手渡した。
「…ブロンズステージですか。確か、彼はゴールドステージに住んでいる筈では?」
バーナビーがデビューしたての頃だっただろうか。
新ヒーロー密着という番組で、バーナビーの私生活を追っていた。
その番組の一コーナーで出てきたバーナビーの部屋は、いかにも彼の持っているイメージ通りだった記憶がある。
少し気が滅入ったが、それでもさすがに何も知らないという印象つけるのは不味いなと思って聞いてみた。
「さあ、私も彼の自宅には行ったことがないから詳しくは知らないが、何でも二階層のメゾネット式アパートを丸々買い取ったとか。三階層の高級マンションでは、目立ちすぎるから今はダミーとして使っているだけのようだよ。それで結局行くのかね?」
一応ロイズの中では本決まりと受け取っていたわけではないみたいだ。
駄目押しのようにそう言われれば
「行きます」
と、応える選択肢しか残されていなかった。

指定された時間までは若干余裕があったので、一度自宅に戻って身支度をした。
華々しいファッション誌の表紙や男性化粧品のCMに登場しているバーナビーに会うということで、どうしようかと思ったが、手持ちの服の中で比較的マシそうな小奇麗な格好を選んで家を出る。
自分でさえ中流層のシルバーステージに住んでいるというのに、あのバーナビーが下流層のブロンズステージに住んでいると驚きだ。
さすがに地理的にスラム街というわけではないようだが、辺りを歩くと住宅街の一角だということはわかる。
渡された地図片手に、そのアパートの目の前に立った。
一言で言うと、ボロい。年季が入っている。
これが丸々バーナビーの所有物だとしたら確かに広いが、ただそれだけのメリットしか思いつかない。
もしかしてアレなのだろうか。ヒーローとしての姿は商売用で、本当は庶民派なのだろうか。
自分もどちらかといえば庶民派なので、そうであるとありがたいなと思いながら、校長室の前に立った時よりもやや緊張しながら、チャイムを鳴らした。
鳴らない。
あれ?と思い、しばらく立ってから、また押してみたが、またも鳴らない。
壊れている…という結論に至るまではしばらくの時間を必要とした。
まさか。というか、何で壊れているんだ?困った。
ロイズから電話番号などの連絡先は全く聞いていない。
だからと言って、ここでスーパーヒーローのバーナビー・ブルックスJr.さーんと叫ぶわけにはいかないだろう。
どうするどうする。
一度アポロンメディアへ連絡を入れてみるかと思ったが、その連絡先さえわからない。
今は夜だ。辛うじてわかるヒーローアカデミーに連絡したところで校長も家に帰ってしまっているだろう。
どうしようどうしよう…と暗闇の中、頭をかかえそうになった。しかし。
ガチャリッ
望んでいた扉がゆっくりと開いた。
そしてその先にいたのは、わかっていた。わかっていたのだが、それでも驚いた。
家主であるバーナビー・ブルックスJr.その人であった。
「ああ、すみません。チャイムが鳴らないことを伝え忘れていて、どうぞ中へお入り下さい」
どうやら普通にこちらの顔も知っていたらしいバーナビーは、あっさりと室内へ招いてくれた。
「し、失礼します」
ちょっときょどった声を出してしまったが、無理もなかろう。
ここで自分が女だったら、キャーと叫んでいたかもしれないほどの相手なのだから。
いやはやしかし、現実っていうものは恐ろしいものだ。テレビやレンズ越しで見る人物より数倍ハンサムなのだから。
今のバーナビーは決して気取った格好をしているわけではなく、ラフな深緑地のシャツとジーンズという井出達だったが、実物はオーラが凄い。
どこか近寄りがたい雰囲気を持ち主に見えるバーナビーに続いて、それほど広いというわけでもない通路を進むと、一番奥に簡易キッチン付きのリビングがあり、そこへ通された。
二階へ続く階段まで吹き抜けにしているから結構広く感じる。
適度に大きく取られた窓を背面に、真ん中には応接も兼ねたソファーセットが鎮座しており、少しの観葉植物やいくつかの棚とアンティークチックなテレビなどのインテリアがそれなりに並んでいる。
その中心にいるのがバーナビーなのだが、その姿がとても不釣り合いであった。
いや、この部屋のセンスがないといっているわけではないし、それなりに片付いている。
だが年齢層がどうみても一回りくらい上な雰囲気なのだ。
ここが彼の自宅ならば、今までバーナビーに大して持っていたイメージを全て捨てなくてはいけないと思うほどだった。
「どうぞ、座って下さい。今、食事の準備をしますから。生憎僕はそれほど料理が得意なわけではないので出来あいになりますが。ワインはどうしますか?一通り揃っていますが、一応魚料理なので白がオススメですね」
「では、白でお願いします」
良かった。普通に歓迎されているようだと、ほっと胸をなでおろす。
手伝うと言う言葉は、うまくまるめこまれて、机の上には準備してあったらしい料理が次々と運ばれてくる。
しかし、出来あいって…一体どこから持って来たんだろうと言う料理の数々。
まだ辛うじてパンはわかるのだが、グーラッシュスープから始まり、バックフーンサラダと続き、メインはトラウトサーモンのソテーサフランソース季節野菜添えである。
説明を受けても正直チンプンカンプンで、こういう優雅な食事はフランス料理かと思ったが、それさえ違うらしい。
やはり住む世界が違う人なのだと再認識する結果となる。
しかし、会話の方はそれなりに弾んだような気がする。
ありがたいことにバーナビーもあの履歴書?まがいなものをきちんと読んでくれたらしく、こちらに丁寧に質問を投げかけてくれるのだ。
うーん。最初、このアパートには驚いたが、それさえ除けば普通にテレビの中にいるバーナビーというヒーロー図と何も変わりはない。
それは嘘偽りではないと、少し話しただけでもわかるくらい、彼は洗練された仕草に恵まれていたのだ。
いきなりヒーローになれと言われて、困惑しなかったかというと、それは嘘になる。
でも、バーナビーはこんな初心者な自分を引っ張ってくれそうな良いバディであることは一目瞭然で、これなら何とかうまくやって行けそうだと、前向きに思うことが出来た。
だから、話がふいに途切れた時、最初からほんの少し気になっていたこと…を、何気なく尋ねてみた。
「そういえば俺は白ワインですけど、それ…ロゼワインですよね?」
それほど造形には詳しくないが、先ほどからバーナビーが飲んでいるワインの色に見当をつけて、聞く。
「ええ。僕はこれがとても気に入っていて。少しクセがあるので他人にはオススメ出来ませんが」
そう言って、バーナビーはにっことり笑った。
「いや、俺はワインにこだわっているわけじゃないんで、飲みたいわけじゃないのですが、ただ…そのワインのラベルがないので何か特別なのかなぁと」
バーナビーの傍らにあるロゼワインボトルはとても高級そうなのに、なぜか肝心要のラベルがなかった。
「そうですね。とても…とても特別なロゼだからいつも大切に少しずつ飲んでいるんです。綺麗な色でしょ?」
同意を求めると、バーナビーはワイングラスを飲み干した。
そう言われると不思議な色だった。
最初ロゼワインなのか赤なのかわからないくらいだったから。
世の中の粗悪品には、白ワインに赤を混ぜてロゼなどと言っている物もあるが、何だろう…そういったチープなものではない何かが違うものだったのだ。
「そちらのワインも切れてしまいましたね。新しいのを持って来ましょう」
「手伝います」
ここで颯爽とバーナビーが立ちあがったので、こちらもと駆け寄る。
「しかし貴方は客人ですし」
「いえ、少し酔ってしまったようなので、動きたいんですよ」
本当は口実であったが、うまく話が通ったようだ。
「それでは、ワインを取って来てほしいので、少しこちらへ来て下さい」
そうして二人は並んでリビングを抜けた。

「ここから地下に行けます」
案内されたのは、通路の行き止まりだった。
明らかに後付けという感じの扉を開くと、地下へと続く階段があった。
それはほんの一階ほど降りた程度ではあったが、こんな普通のアパートにあるには不釣り合いな空間だ。
ざっと見渡せる程度の広さではあったが、そこには見事なワインセラーがあった。
「す、凄いですね…」
温度調整も適正なようで、思わず少し寒くて、ぶるりっと身を震わしながらも感心する。
「ただの家庭用ワインセラーですよ。一通り揃っているので好みのワインがあったら持ってきて下さい。僕は、キッチンでカッテージチーズを切っていますので」
そう告げるとバーナビーは元来た階段を戻って行ったので、きちんと見送る。
それにしても本当に壮観で、圧倒される空間だ。
家庭用ワインセラーっていう常識はこう言うのではなかった筈だが、もはやバーナビー相手に常識とか言う方が馬鹿であろう。
しかし困った。
ワインに関しては殆ど素人当然の知識である。
うっかり高そうなワインを運んでしまったら死活問題だ。
とりあえずあまり年代の古そうな物は選んではいけないと心に留めて、品定めをするようにワインセラーの中を歩く。
それほど広いと言うわけではないので10歩も歩けば一周出来る程度だ。
どれにしようかと思いを巡らせていたが、そういえば大切なことも思いだした。
バーナビーが飲んでいたロゼワイン。あれも、もう残りがなかったではないか。
これは気を使って一緒に持って行くのが筋というものであろうと結論づける。
ということで、まず自分のワインよりそのロゼワインを探すことを優先した。
ラベルのないワインなんて珍しいだろうから、立ち並ぶワインラックを上から順番に指をさしながら探していく。
うーん。ないぞ。どこにあるんだ。
とても大切そうにしていたから、もしかして奥の方かもしれないと、視線をワインラックから離さずに横移動した。それが全ての間違いだった。
ガンッと結構な音を立てて、左腕がもろに壁に激突した。
油断していたからかなり痛く、その場でうずくまり、ぶつかった腕をさする。
大丈夫だよな?何も壊していないよな…とびくびくしながらも立ちあがると、若干の違和感。
どうやら壁だと思っていたのは、扉だったようだ。
奥にあって間接照明も行きとどいていなかったから、勘違いしていたようだ。
しかも先ほどの衝撃で開いてしまったようで、どうやら扉が完全には閉まっていなかったらしく、驚く。
何か中途半端な扉の様子が残っている。
不味い。早く閉めた方がいいと思いながらも、ちらりと視界に入ったのは、あの印象深い色を残すロゼ。
ああ、ここにあったのかとゆっくりと開くと、まず初めにやってきたのはその強烈な毒々しい異臭だった。
そして、大きく開いた反動で戸棚から転がり落ちる物体。
その正体を知った瞬間、むせかえるほどの強烈な吐き気が込み上げ、右手で瞬間的に口元を塞いだ。
本当は声で叫びたかったのに、それをも上回るものが生理的に胃からやってきて、そのまま先ほど食べた物全て吐き、終わった後にやってきたのは、嗚咽。

ガチャンッ
後ろから、大きな物音がした。
開きっぱなしになっていた、この部屋の扉が閉まったのだ。
「何をしているんですか?」
怒っているわけではなく感情のない音質で尋ねたのは、この部屋の持ち主だった。
床に転がる物が何だかわかっているだろうに、そのでも何事もなかったかのように、こちらへと近づく。
何とか振り向いたからこそ、何かを言いたかった。
でも何を言えばよいかわからないのだ。
だから、ゆっくり近づいて来られようが、恐怖に膝ついて何も出来なかった。
血の気を失いながらも、何とかハンドレットパワーを発動させる。
逃げるつもりだった。どこまでも…
しかし追い打ちをかけるように、響くのはバーナビーの明るい声。
「知らなかったですか?この能力は、先に発動した方が負けなんですよ」

ああ…最期に知ってしまったことがある。
あのロゼワインは、やはり白ワインに赤を混ぜたものだった。
その何よりも赤い正体は…………
落とした視線の先にあったものは、先ほど自身が落とした物。
それは、透明なガラスケースに入った、作り物ではない本物の人間の眼球だった。






◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇






「どうでしたか?彼が、僕の新しいバディになる筈だった相手ですよ」
バーナビーは、落ちたガラスケースを両の手で拾い上げて語りかける。
まじまじと覗きこむと、幸いガラスケースに自体にも損傷はなく安心する。
隠しきれないまとわりつく臭いは仕方ないが、特殊な薬漬けをした眼球はいつもどおり、あり続ける。
そのまま
バーナビーは、虎徹の左の眼球を取り出し、テーブルの上に丁寧に置いた。

次に開いたままの戸棚から
バーナビーは、虎徹の右の眼球を取り出し、テーブルの上に丁寧に置いた。
バーナビーは、虎徹の榛色の髪を取り出し、テーブルの上に丁寧に置いた。
バーナビーは、虎徹の左耳を取り出し、テーブルの上に丁寧に置いた。
バーナビーは、虎徹の右耳を取り出し、テーブルの上に丁寧に置いた。
バーナビーは、虎徹の鼻を取り出し、テーブルの上に丁寧に置いた。
バーナビーは、虎徹の唇を取り出し、テーブルの上に丁寧に置いた。
バーナビーは、虎徹の舌を取り出し、テーブルの上に丁寧に置いた。

次々とその作業は続けられ、大事に取り出した歯も一本一本綺麗に並べて、組み立てて。
最後に懐から常に持ち歩いている脳を取り出し、人間の顔のパーツがそろう。
ほらっ、これで鏑木・T・虎徹の顔の出来上がりだ。
それが終わると、バーナビーは一番大きい頭蓋骨をしっかりと抱きしめる。
こんなにたくさん…ではない、これだけなのだ。

あの時…ジェイクをこの手で殺すことが出来た。
それなのに一番に報告したかった虎徹は、死んでしまっていたのだ。
長らくシュテルンビルトで暮らしていたということで、あっという間の葬式ではあったが残された彼の家族が日本式に火葬ではなく、土葬を選んでくれたことが唯一の幸い。
これも予定調和だったのかもしれない。
丸ごとは死後の世界へとは渡さないからこそ、この手元に残し、綺麗に削ぎ落とした虎徹を分割して持っている。
全ては手元に残らないこその手段。
切り落とした首―――





「ああ、ロイズさんに連絡しないと。新しいバディを連れてくるなら、同じ能力だけじゃ駄目でした。
 やっぱり、おじさんにして下さいねって」

僕のバディは、貴方一人ですから











二 人 目 の バ デ ィ