この時、誰もが…何もかもが解決したかと思っていた。
ついに…ついに………あのジェイク・マルチネスを撃破することが出来た。
最終的な決定打をぶち込んだのはバーナビーではあったが、他のヒーロー達の活躍もなければ到底為し得ないことであっただろう。
一度は地獄の底へと落ちたシュテルンビルトは絶体絶命の危機から逃れ、その反動より遥かに高く歓喜の渦へとわき上がった。
最大の功労者であるバーナビーに対するヒーローインタビューを終えると、中継は会見するマーべリックと市長へと移り替わる。
そのタイミングを見計らってファイヤーエンブレム・ブルーローズ・ドラゴンキッドが、バーナビーと虎徹に近寄って来た。
祝福の言葉の合間には、病院に居るスカイハイ・ロックバイソン・折紙サイクロンから通信も入り、喜びも一層増した。
この場にいる全員が戦いの終わった後の余韻に浸り、これからという輝かしい未来を描き続けていた。
ただ一人を除いて…
「何、ぼけっとしているんですか?」
自称女子三人組は、笑いながらバーナビーと虎徹をお馬鹿コンビと呼んで、少し先に他の面々が待つ病院へと行ってしまった。
ファイヤーエンブレムに茶化されて、貸していた肩を思わず外してしまったバーナビーだったが、突っ立っている虎徹を促した。
「…いや、ちょっとな」
少し考え込んでも居たのだが何でもない素振りを見せて、虎徹は答える。
「もう、さっさと行きますよ。虎徹さん」
「おうっ…………ん?」
反射的にいつも通りの調子で返事をした虎徹ではあったが、バーナビーの自分への呼びかけがおかしいので、年甲斐もなく目を丸くする。
聞き違いでなければ…いや、聞き間違える筈もないだろう。
もしかしなくても名前呼びされた?
今まで、おじさんおじさんと、初めて会った時からずっと小馬鹿にされるように、そう呼ばれていた。
自分が既婚者で子持ちであることに間違いはないし、バーナビーとは一回り近く年齢も離れているから、別段そう呼ばれていることに不満があったわけではない。
こちらも優秀すぎる若者をからかって、ずっとバニーと勝手に嫌がる愛称をつけて呼んでいたのだから。
先ほどのジェイクとの戦いの最中の閃光弾による不意打ちをつく際、「今だ、バーナビー!」と初めてその本名を叫んだのは無意識だったかもしれない。
それとは単純には違う確かな意味持った名前呼び。
「お前今………」
驚愕の瞳を向ける虎徹に対し言葉の代わりに、ふわりっとした笑みをバーナビーは向けた。
「ちょっと待てよ。バニー!待てって………」
くるりと背を向けたバーナビーは、照れ隠しするかのように自分も皆が待つ病院へと急ぐように足を進めた。
慌てて虎徹も止まってくれはしないとわかっていても、そう制止の言葉を投げながら、後を追う。
ヒーローテレビの中継機が空に浮かぶ姿を写す雨が降り続けた後の水たまりを、左足が蹴る。
「俺、傷痛いんですけど………」
バーナビーに振り向いてもらいたくて、わざと冗談交じりの声で虎徹は呟いた。
幸せだ。あまりに幸せすぎたのだ―――――
しかし、この幸せが長く続くように、世界は優しくは出来ていなかった。
先ほどからずっと…まるで永遠のように痛み続ける左横っ腹の激痛に、虎徹の身体は持たなかった。
両手で急所を庇いながら、そのまま虎徹は水たまりの中へと倒れ潰れた。
それを、無限の力だと盲目的に信じ込んでいたわけではなかった。
それでも無理をし続けたのは確かで。
「………残念だよ。虎徹くん。では、最後にこの書類へサインを」
上司であるロイズの見晴らしの良い部屋に呼び出されて、最終宣告を受けながらも虎徹はどこか冷静だった。
差し出された一枚の紙の内容自体は酷く薄い。
ただ、一つワイルドタイガーを解雇するということ。
最初に与えられた膨大すぎる契約書とは大違いであったが、おかげで読む手間もない。
横に添えられたペンで、一番下の署名欄に『鏑木・T・虎徹』とサインを一つ入れた。
「色々とお世話になりました」
ハンチング帽を脱ぎ、虎徹は日本式挨拶をぺこりっと示した。
「我々を恨んでいるかね?契約していたとはいえ、君を利用するだけ利用して捨てたのと同然の扱いをして」
「いや、俺もロイズさんの立場なら、そうするしかないですよ。企業は利益で動いているってわかっていますから。だって仕方ないじゃありませんか。俺はもう、ワイルドタイガーにはなれない。NEXT能力が失われてしまったのですから」
そうして改めて自分を実感させる言葉を虎徹は呟いた。
何でだかは、よくわからない。
でも、確かにもう虎徹はハンドレットパワーを発動させることが出来なくなってしまったのだ。
元々今の技術ではNEXT能力の解明は殆どしきれていない。
だが、虎徹には何となくわかった。
やはり最後の…ハンドレットパワーの使い方が良くなかったのだと。
身体が万全ではない中で、無理やり引き出した力はバーナビーのところへと向かう為、ハンドレットパワーを普段の筋力や俊敏力ではなく、治癒力に全て当てたのだった。
出来ると核心してわかっていてやった行為ではあったが、自分の中では前例さえないことで、いつも怪我をしたってそんなことは使っていなかった。
それがNEXT能力の根底さえ揺さぶるとまでは考えていなかったが、終わってしまったことは仕方ない。
確かにあの時、バーナビーにジェイクの能力を伝えて閃光弾を渡すのは、虎徹でなくとも良かったのかもしれない。
それでも…例え命の危険があろうが、それを選んだのは虎徹自身だった。
あのままバーナビーと仲違いしたままいるのが、どうしても嫌だったから。
この選択にはまるで後悔なんて、ある筈がなかった。
「………せめて君の引退する戦いを見たかったのだがね。どうやっても能力が戻らないのが、私は惜しいよ」
公の最後のワイルドタイガーの戦いは、あのジェイクとの負け戦になってしまった。
今まで口酸っぱく皮肉などを言っては来たが、ロイズはロイズなりにワイルドタイガーをバーナビーのパートナーとして認めて見てきた。
それなのに、それだけが唯一悔むべき点だ。
「そこまで言って貰えるなんて、嬉しいです」
「社長も君の功績を称えている。特に君の活躍なしではジェイクを倒すことは出来なかったからね。君の在籍は数カ月だったが、特別に我が社からは企業年金を支給することになった」
社長であるマーべリックの感謝の意を伝えつつ、ロイズは初めて虎徹に金銭的に優遇する言葉を出した。
横に除けられる解雇書類の代わりに、アポロンメディア社の確定拠出型の企業年金基金の書類を手渡した。
「いや、そこまでは………」
ヒーローは最初の契約からして年俸制と決まっており、一般社員のように退職金制度もない。
解雇同然だった前に勤めていたTop MaGも同じだったので、別に期待もしていなかった。
まさかそれほど気を使ってもらえるとは思わず、虎徹は遠慮の声を出した。
「こう言う時は、ありがたく貰っておくものだよ」
ロイズは、いつもの口癖である…嫌なら、辞めて貰ってもいいんだよ?と言う様なことはしなかった。
ただ、暖かすぎる言葉に感激をし、虎徹は向き直って一礼をして、書類を貰ってロイズの執務室を出た。
もう…この机や椅子でだらだらとすることは、二度とないんだなと思いつつも、虎徹は普段待機している机の引き出しを開けて私物の整理を始めた。
わざと誰も居ない時間帯を選んだから、感慨深くゆっくり片づける事が出来る。
と言っても、それほど私物があるというわけではなかったから、必然的に作業は手早く終わってしまう。
さて帰るかっと、よっとフロアの扉を開こうとしたが、向こうから勝手に開いた。
「虎徹さん!………会社を辞めると聞きました。まさか…本当なんですか?」
似合わずけたたましく割り入って来たのはバーナビーで、扉をパタンッと締めると、またたく間にそう尋ねてきた。
「あちゃあ〜聞いちゃったか」
ここでさすがの虎徹も悪びれた声を発する。
一応ロイズには口止めをお願いしていたが、それがマーべリックにまで伝わるか、いや伝わったとしていても効力があるかどうかは不明だったので仕方ない。
「パートナーである僕に何も言わないで。勝手に…そんなっ」
普段のスマートからかけ離れた、どす黒い怒りを鬱蒼とバーナビーは見せた。
何も知らなかった。何も聞いていなかったのだ。
たったひとつの相談さえ受けたりもしなかった。
やっとパートナーだと認められたのに、終わりはあっけなさすぎて、とても信じられなかった。
「ごめんな。でも、もう決めたことだから」
子供を宥める様に虎徹は納得を求めた。
何も言わなかったわけではない。もう自分には何も言う資格がないと思っていたのだ。
虎徹は、二度と誰のヒーローにもなれやしない。
自分はバーナビー・ブルックスJr.というヒーローの横に居るパートナーとしては、何もかもが相応しくないとわかっている。
「別に会社を辞める必要はなかったと思います。他の仕事だって出来た筈だ。大体…NEXT能力もなくて、これからどうするつもりなんです?」
アポロンメディアは指折りの総合マスメディア企業である。
貢献して引退したスポーツ選手が、そのまま別の仕事で会社に残るような選択肢だってあった筈だ。
それなのに…それなのに………虎徹が自らロイズに解雇を求めたと聞いて、バーナビーは耳を疑ったのだ。
良い年齢に差し掛かっている虎徹が他の企業に再就職するのは難しいであろう。
たとえ就職出来たとしても、それは望んでいたものとはまるで違うに決まっている。
「バニーちゃんみたいに見目が良ければよかったんだけどな。ま、大丈夫さ。これでもヒーローやる10年前は普通に仕事してたし。ハンドレットパワーがなくても、トレーニングしていたおかげで人よりは体力もあるし。工事現場かどこかで雇って貰うつもりだから」
心配させないように、ひらひらと手を降っておちゃらけ口調を混じらせて虎徹は明るく言った。
いくら善意で企業年金貰えるからと言って、まだまだ娘も育ちざかりだし、まさか金銭を稼がなくても良いと言うわけではない。
「ちょうど良い機会なんだよ。ずっと、娘とは離れて暮らしてきたから、これを期にあっちの家に帰るつもりだ」
これで良かったんだ…と思う。
口やかましいがいつも虎徹のことを思ってくれた母親の気苦労もこれで無くなる。
こんな結果で終わってしまったことが悲しくないわけではないが、何かを悔しむつもりは毛頭もなかった。
「この街を出るんですか?」
「ま、そういうことになるかな」
「なら、僕が貴方を雇います。ずっと…近くで見守っていて欲しいんです」
右手を胸に当てて、真っ直にバーナビーは伝えた。
別に虎徹が金銭的に困っているとかそういう単純な次元の問題ではなかったのだ。
今までの日常が崩れることが、何よりも恐ろしかった。だから…
「ありがたいけど遠慮するよ。ここにいると…駄目だ。期待をしてしまうんだ。過去と未来の自分を。
これからの俺は、バーナビー・ブルックスJr.の一ファンでいさせてくれないか?」
ヒーロー達が輝かしいシュテルンビルトの思い出は限りなかったが、世代交代のバトンタッチをした…ずっと身近で見ていたバーナビーが活躍してくれるなら、これ以上の素晴らしいことはないだろう。
「そんなの…駄目です!駄目なんです………貴方はずっと僕のパートナーでいてくれなく…………」
あれ?
なぜか、途中でバーナビーの悲痛な声が虎徹には聞こえなくなった。
何かを喋っているはずなのに、動かなくなったのはバーナビーではなく、虎徹の意識で…………
バーナビーの手によって気絶させられたとはまるで気がつく前に、虎徹は彼の腕の中に落ちた。
そして、その瞳が開かれることは2度となかった。
深淵の底に落ちたような虚ろな感覚の中、虎徹の意識に誰かが何度も呼びかけている気がする。
その感受さえもどこまでも不透明に。
「………徹……さ、……虎…、徹………ん…………虎徹さん」
やわらかく囁かれる甘い痺れのようなその声に、ようやく虎徹も受け答えが叶う。
こうやって呼ばれるのが相当久しぶりな印象なのはなぜだろう。
もう何度も呼ばれていた筈なのに、慣れるほど聞いていた筈なのに。
「……………バーナビー………?」
だけどいつものように、虎徹はその名前を呼ぶことが出来た。出来たのだ………
「ああ、良かった。ようやく覚醒してくれたんですね」
最上の喜びを感じ取ったかのようなバーナビーは、思わず嘆声をもらした。
「…俺、ずっと寝てたのか?」
何も直前のことが思い出せないくらい恐ろしいほど、記憶が曖昧だった。
ただ、頭の中がどこまでも霞かかっていて、どうしようもない世界の中に居るような。
それでも眠いというわけではなかったが、他に表現の仕様がなくて、そんな断続的に自分を収める。
「寝ていた…のとは、少し違うかもしれませんね」
困ったような音質で、バーナビーは事実を伝えてあげる。
「…一体どうなってるんだ。何だか、何も出来ないんだ。ただ、お前と話すことしか」
そういうことでさえ無感覚にしか捉えられなくて、虎徹はぼんやりとした中で混乱さえ生まれなかった。
視覚、聴覚、触覚、味覚、嗅覚などの五感だけではなく、全てのありとあらゆるものが喪失してしまったかのような不思議な精神世界に、漂っているだけみたいだった。
もちろん、指一つを動かすことも瞳を見開くことも出来ない。
それなのにどうしてバーナビーと会話のようなものだけが成立しているのか、謎が謎を呼ぶようにぽつんと浮いていた。
「ああ、ごめんなさい。今日は、まだテストですから…他のことは出来ないんです。もう少しだけ待っていて下さいね。きっと、必ず………貴方は」
バーナビーの言葉を理解せずに、虎徹の認識はぶつりっと回線が途切れたかのようにシャットダウンされた。
その反応を機械のディスプレイ越しに確認したバーナビーは、ゆっくりと立ちあがった。
保護の為に特殊な培養液に浸かる虎徹の大脳を、抱擁するかのように持ち上げつつも。
愛おしい終脳であるその大脳からは何重…何百、何千もコードが繋がり、その内のいくつかはバーナビーの頭の中に直結されていた。
まだ、こうやってしか話をすることが出来ないのが残念だと、この状態だと伝わらないけどバーナビーは心の中で内面を表すように響かせる。
それでもようやくこの段階まで進むことが出来た。長かった…
あれから数年…いや、数十年もの月日が流れてしまったのだから。
虎徹のNEXT能力を取り戻すために、バーナビーが金の糸目もつけずにありとあらゆる伝手を使いこの研究機関に辿り着き、最終的にはロボット工学者をしていた両親にさえ行きつく。
目下、バーナビーの視界に移るのは、目の前の大脳だけではない。
鏑木虎徹だった、頭部・胴体・四肢ときちんと切り分けられ、感覚器も呼吸器も循環器も消化器も全てが綺麗に分類されて、培養液の中に浮かんでいる。
それらを繋ぐ神経や骨髄や血管などの代わりとなっている細い細いコードのどれかでも立ち切られたら、虎徹の生命は失われるほどに。
いや、これらの分割された物体が生きているとは、常人には認めることも出来ないだろう。
こうまでして調べつくしても、未だ虎徹のNEXT能力が戻らない歯がゆさだけが、バーナビーを襲う。
だから、大切な大切な神経系の中枢である虎徹の大脳を抱きしめて、優美に語りかける。
「僕と貴方のNEXT能力は一緒ですからね。もし僕も同じく能力が失われたら、こうやって一緒に取り戻しましょうね。
どんなに長い年月がかかっても、生まれ変わってもパートナーですから」
いつか、自分もあの培養液に浮かぶことを嬉しそうに思いながら、バーナビーは隣のスペースを準備し始めた。
今、ハンドレットパワーの治癒能力を使い、瞬間に彼の隣に横たわれるなら、これ以上は素晴らしいことはないと思うくらいに。