俺は、虎だぜ。
確か正式にはベンガルトラ…だったかな?あんまりこっちで呼ばれないから意識したことないけど。ま、虎の中では特に冴えなくパッともしてないってことだ。俺もそろそろ良い年齢だしな。
俺の両親は生まれも育ちもこのシュテルンビルト動物園。だから俺もこの動物園でずっと過ごし続けている。もうずいぶんと前に両親は亡くなっているけど虎の平均寿命よりはだいぶ長生きしたらしいし、最期まで幸せそうだったからいいんだと思う。だから多分、俺もそうやって最期を終えることが当たり前だと思い込まなければいけないと、それはわかっている。それなのに「ワイルド」という名前を付けられ、呼ばれることに未だ違和感を覚えるのは、胸に抱いているもう一つの名前があるからだ。
鏑木・T・虎徹…それが本当の俺の名前。

俺は今でこそ虎だが、前は一応人間だった。
なんかその事態もけっこう鮮明に覚えてて凄いなと、俺って記憶力そんなに良かったっけな?と思うくらいだったが。こういうおとぎ話的な展開は、映画やドラマの中あたりの出来事かと思っていたんだけど、まさかこの身に起こるとは、摩訶不思議なことだ。
しかもこれが初めてじゃあないし。何度目だったけ?ちょっと覚えていないくらいたくさんということにしておく。俺が虎として生まれてきたのは、きっと最初に人間だったときの名前と仕事によるんだろう。虎のことは嫌いじゃなかった。だからと言って、別にこうやって本物の虎になりたいという願望が強かったわけではないが、神様はわからないものだ。
野生の虎なら多少の自由もきいたかもしれないが、俺はなんと言っても檻の中の存在で人間に見てもらって楽しんで貰うのがお仕事だ。さっき檻の中と揶揄したけど、そこまでここの生活は悪いもんじゃない。おそらくこの動物園ってかなり規模がでかいから色々優遇されてる感がある。シュテルンビルト動物園は確か公営だった筈だが、300年後も続いているとは思わなかった。自分が幼い頃に遠足で行った動物園に、まさか今度は動物として入ることになるとは予想もしなかったことだけど。
前世?の記憶のおかげか、俺は人間の言葉を差し障りなく理解することが出来た。観覧に来る市民や飼育員はこちらが理解していないとわかっているせいか、色々な情報をもたらしてくれて、おかげで檻の中にいても外の情報がなんとなくわかるのだ。シュテルンビルトは相変わらず良い意味でも悪い意味でも進化し続けているらしい。ああ、ヒーローヒーロー。何度か来てくれたこともあるっけな?もちろん見知らぬ顔たちばかりだが、広い意味では俺の後輩に当たるから、懐かしさは感じた。
檻の中の見世物でも、安全も平和も確保されていて、野生なんかより余程生きやすく心地やすいから、俺はこれで十分幸せな筈だった。
でも一つの可能性に期待してしまうんだ。かつての相棒であったバーナビーの存在を。

どうやら俺たちは、揃いも揃って転生する宿命にあるらしい。だから、必ず探し出すと、これは約束したわけでもなく暗黙の了解。
前回は、俺は人間だったけどバニーは兎だった。それでいて、今度は俺が虎か…まあ何回も繰り返してればいつかは在り得る事態だったのかもしれないが色々と都合が良すぎるな。一応前回の反省をし、この動物園で飼育されている兎がバニーである可能性も考慮して情報収集したが、それはないらしい。嬉しいような悲しいような…いや、でもそんな形でも会いたいな。
二人の再会がシュテルンビルトであることは、神の縛りか何かか。ともかく俺はこの動物園でバニーを探す。それしか現状では許されていない。
俺は、来園する市民たちをいつも注意深く観察していた。本当の虎は夜行性だから、昼間では仲間の虎たちは寝ていることが多かったが、俺にはそんな悠長なことは言っていられなかった。シュテルンビルト随一であるこの動物園には毎日多くの来園者がいた。なかには虎に興味のない人間もいるだろう。だから俺は虎の檻に近づかない遠くの人間も気をつけて見て。毎日、毎日………そうしてただそれを繰り返すだけの日々が過ぎた。まるでそれしか出来ない単純な生物になってしまったかのようなほど。何年過ぎ去るだけの毎日だったのだろうか?いつしか、俺はそんな期待も諦めていた。期待をするから裏切られる。だったら初めから諦めていれば、もうこれ以上自分の心は傷つかないから。それでもきっと最期の日まで探し続けてもいいと思いたかった。
それなのに………

軍部から、動物園の観覧休止の命が下った。
そう…戦争が始まったのだ。
人はどうして過ちを繰り返すのか。その歴史は、もう習っただろう?これで何度目の世界大戦だというのだろうか。主要都市であるシュテルンビルトにあるこの動物園は、最初こそは来園者がこないだけで平穏だった。しかし所詮はつかの間。それは外の前線で果敢に食い止められていたかららしい。やがて本土全体も危機に陥って。
瞬く間に、戦時猛獣処分をも発令された。空襲やミサイルに備えての猛獣脱走対策だ。逃亡防止のために殺処分しろ…と、つまりこういうことだ。それまで飼育員は、この処分が下されないように檻の防護や避難方法の明確化、猛獣捕獲訓練などの様子を何度も軍部へ提示し、懇願し逃れてきた。だが、もはや動物園だけの意思でせき止められるほど、事態は軽くなかった。警備に協力する猟友会の反対もあり、押し切られてしまったのだ。
防空演習の一環として殺処分の訓練が始まるならせめて自分たちの手で、飼育員も断腸の気持ちだったのだろう。そう、自分を好いてくれた飼育員が自分を殺そうとしている―――それを強要させた世界が辛かった。結局、俺は何も出来ない。
猛獣は危険度により区別されていて、虎は第一種だった。つまり最有力殺処分候補。でも飼育員の計らいによって気性の荒い性格を持つ動物に限定されていた。俺は…昔人間だったおかげで空気を読むことくらいは出来たから、何とかまぬがれていて、それでも逃げたら射殺に決まってる。不安要素は消すのは仕方ないと思っていても、やはり人間に対して害がありすぎる存在なんだ。
他の動物園では、空襲やミサイルにより直接的に死亡する動物もいたらしい。頭数整理のための殺処分も相次ぐ。食肉加工用。剥製。晒し皮として標本。色々な結末をたどっていく動物たち。基本は、苦しまずに毒殺…だが、それも人間の主観であることに違いはない。結局は人間の都合ということには代わりがないのだな…と虎になって初めてわかるようじゃ、俺もまだまだだけど。
戦時猛獣処分が下っても飼育員たちは、戦下の元にない幼体譲渡計画や引き受け照会に奔走した。時には、軍の兵糧庫から飼料を盗んで食料を確保し、猛獣相手には常時足を鎖で拘束して、逃亡防止のアピールをした。しかしそこまでしても、やはり手は汚さなくてはいけなくなってしまった。幾度にも及ぶ軍部の要請により、近づくのも危険な動物は銃殺。戦争中による飼料不足による餓死。刃物で頭部切断されるのは爬虫類。もし病にかかっても治療も許されない。
ああ…飼育員の悲痛な声が聞こえる。泣く。そうして、不安を押し殺すためにしゃべるのだ。彼らは動物が好きでこの仕事に従事している、それなのにこの仕打ちはあんまりだとしかいえなかった。俺自身が何か悪いことをしたわけではなかった。だが、飼育員自身が悪いというわけでもない。だからこそ、俺は飼育員を恨まなかった。
でも、それでも…死ぬわけにはいかない。それは、バニーに会いたいから。飼育員以外誰とも触れ合わない…その飼育員さえ自分を殺そうとする。周りの仲間たちが殺されていく。そんな中でも俺は、生きようとした。
毒薬注射されるとわかったときは、どこまでも虚勢を張って吼えた。槍で刺殺を狙われたときも、夢中で檻の中を逃げ回った。銃殺は、銃声による市民の不安を避けるため非常用手段とされていたが、発破音の少ない拳銃での銃殺もあったが逃れた。ワイヤーロープを使った絞殺も、ボロボロになった歯で食いちぎる。そんな抵抗を続ける俺相手に最後に飼育員が用意したのが、餌に毒を混ぜての薬殺だった。可能性はわかっていたから、直ぐに吐き出した。そうして俺は、何も食べなくなった。水も雨以外で喉を潤すことはなくなった。それでも生きる…それは、最期の瞬間までバニーを諦めたくないから。

疲労と空腹で、もはや冷たいコンクリートの上に横たわることしか出来なくなってしまった俺はずっと倒れていた。もはや飼育員にも見捨てられたかのように、そのまま餓死を望まれているようなくらいの扱いも仕方ないだろう。かつては十数頭いた虎で生きているのも、今となっては俺だけ。もう…ダメだとわかった。信念を貫き通して死ぬなら、きっとバニーも許してくれるだろう。そう思い、まぶたを閉じようとした瞬間だった。
もう随分と開いていなかった扉が、開いた。そこにいた人物―――――
ああ、きっとこれは自分はもう死ぬから、最期に神様が見せてくれた夢幻なのだろうと思った。そうして目の前には、初めてあった時と変わらない造形で、そこにバニーがいた。
バニーがしゃべるのだ。夢幻のはずなのに。俺の存在がわかっていて優しく語り掛けるのだ。涙が出る。そうして手を刺し延ばされて、ぬぐわれる。…夢ではない。バニーが本当に迎えに来てくれたのだと知った。
この世界で獣医大尉となったバニーは、ずっとこの動物園が所属する軍とは敵対していたらしい。だからなかなか来れなくてすみません…と謝った。
ああ…バニーが俺の元に来てくれた。その事実だけでも、俺はきっと救われて。
いつかこの動物園も戦火に巻き込まれる事を俺に告げたバニーは、急ぐようにと檻の扉を開けてくれる。これから俺が進むべき道を開いてくれる。そうして今まで動けなかった筈の俺の身体が嘘みたいに軽やかに立ち上がって、前に進むことが出来るんだ。バニーと一緒ならどこまでも逃げられると、そう思えたんだ。

どこか遠くで怒声が響く。うるさい足音が聞こえる。ぶつかる金属音がこちらにやってくる。バニーは人間だから直ぐには気がつかなかった。そうして、お終いだったのだ。
虎が逃げ出した。その事態を飼育員が放っておくわけがなかった。瞬く間に並びたてられた猟銃での惨劇は、俺にではなく前を案内していたバニーを鋭く狙って―――
鈍い火薬の臭いが風に乗って運ばれるより先に、俺の足元は一面の血の海と化していた。その中心にあっけなく転がる骸の存在を…ああ。認められるわけもなかった。
どうして…いや、わかっていた筈なのに、俺は何で逃げた?やっと会えたのに。
地面に横たわったまま、もうピクリとも動こうとしないバニーの顔を覗き込む。こんな結末を迎えるために、俺は生き続けたんじゃない!
そうやって自分自身を否定して………何かが、プツリと切れた音がした。でもその時はもう動くことは許されていなくて。俺の意識は確かにある。それなのに、勝手に身体が動くのは…なぜだ?ああ、人間を拒否したから………本来の虎に戻ったのだと気がついた時は、もうどうしようもなかった。
野生化して飢えた俺の身体は、容赦なく目の前に転がる餌へと夢中になった。だって、それはとても美味しそうだったから。流れ出る暖かい血潮で乾いた喉を潤し、身体を二つ折って噛み砕き、細部を引きちぎり口に含んで深々と咀嚼する。それは…生きるため。その相手がバニーだろうが、もはや制御が出来るはずもなかった。人間を食べる不快な音だけが周囲に響き、バニーを射殺した飼育員たちも恐怖に脅え、逃げ出してしまった。数週間ぶりのマトモな食事は飢えた俺の体内に余すことなくもたらされて。骨の髄までなめ上げて、最期に残ったのは口に含みきれなかった頭蓋骨だけとなった。



野生化した俺はそのまま檻から出て、外の世界へとようやくこの身体で始めて踏み出した。広い…でも荒れているコンクリートの上を走る。これは生きるために。バニーを食べたのだから、生きなければとでもいうように。
人間たちは相変わらず馬鹿みたいに戦争をしている。この状況では、動物だけではなく草花も死んでいく。だから、俺の食料も彼らしかありえない。たとえそれが殺人虎と言われようとも。
意識が遠のぎもせずに、俺は生きるために人間を殺し続けた。





早く…早く………誰か俺を殺してくれ。
死ねば…いつか、またバニーに会える。都合よくも、それを信じてでもいないと、目の前に巻き起こる凄惨な事件に、俺は…もう、耐えられない―――











う さ め し 2