その男の名前は、ユーリ・ペトロフ。表向きは、動物病院の獣医師だ。
だがひとたま裏の顔になるとルナティックと名乗り、虐げられている動物たちの代わりに愚かな人間たちへと反逆を促す為に行動している。ルナティックにはルナティックなりの正義があるのだ。
さあ、今日も夜が更けた。闇夜と共に身を隠す衣装へと着替え、昼間仕入れた情報から捨て犬を虐待していた飼い主に制裁を与えに行こうとしていた………

ピンポーン ドン! ドン! ドン!
夜間緊急受付用の外部チャイムが鳴ると同時に、なにやらすさまじい壁を殴る音が聞こえて、ついでに震動も伝わってきた。
何事だ!まさか正体がバレてのガサ入れか?と思いながらも、優雅にコーヒーを飲んでいたカップを下し、秘密部屋へと衣装を隠す。焦りながらもしっかりと鍵を閉めてから、カモフラージュの為にいつもの白衣を身につけて、ユーリは慌てて病院の入口へと向かった。
「先生!急患で、大変なんです!!虎徹さんが!!!」
扉の向こうから叫んでいるのは青年と思われるが、何しろ悲痛な声だった。その言葉の文脈から察するに、どうやら警察などではないようだが。しかし…言っている事が何だかおかしい。ここは動物病院だと言うのに、普通に有りがちな人名を叫ばれているような気が………
「今、扉を開けますから」
落ち着いてもらう為に制止の声を上げながら、ユーリは警備保障のロックを解除して扉を開けた。
開かれた扉の向こうにいたのは、金髪の青年で物凄く顔の造形は整っているいわゆるハンサムではあったが、その表情は慌てふためいていた。
「ああ…良かったです。これで、虎徹さんが助かる…」
そのハンサムは白衣を着たユーリの姿を見て、ようやくほっと胸を撫で下ろしてつぶやいた。
「あの、急患と叫んでいましたが…ここは動物病院なのでペット専門ですよ」
別に門前払いをするというわけではないが勘違いされていては困るので、それだけは確実に伝えた。
「ええ。もちろんわかっています。だから、僕の虎徹さんを見て貰いたいんです」
そう言ってそのハンサムは、緑色のキャリーバックを持ち上げてユーリの目の前に見せた。ゆっくりと円形状のチャックを開くと、まず見えたのは黄色と黒い縞模様が混じった虎柄の小さな腕だった。何かがもぞもぞと動いているな…と観察していると、次にひょいっとその顔を覗かせて来た。あどけない瞳がこちらを向いている。
「猫…ですか?」
特徴的なあごヒゲを持っているとはいえ明らかに虎猫にしか見えなかったのだが、それまでのハンサムの口ぶりから連想出来た生物ではなかった為、一応確認の為にユーリは言葉を出した。
「違います!虎徹さんは…ただの猫じゃなくて、虎徹さんです!!」
いや、どう考えてもどっからどうみても虎猫だろう。まさかこの猫が人間に見えているわけでもあるまいな?何だか意味わからないが、ハンサムがおかしいことを言っている…と瞬時にユーリは悟った。
「と、とりあえず診察しますので、中へどうぞ」
ややぎこちない表情をしながらも、とりあえずユーリは接待の言葉を出した。これ以上の突っ込みはしてはいけないと、そんな気迫をハンサムから察したのだった。
パチンッといくつかのスイッチを押してフロアの照明を入れると、受付は昼間のような仄かな明りを取り戻す。
ハンサムもユーリの後を続いてやってきたが、改めての確認から始める。
「急患…とおっしゃっていましたが、見た感じでは苦しんだり痛がったりしている様子はないようですが………」
既に虎徹さん…という名の猫はキャリーバックから飛び出ていて、ハンサムの腕の中できょろきょろと物珍しそうに病院を見回している。その様子は好奇心旺盛で、一言ですませば元気いっぱいとしか見えなかった。すんすんと鼻を動かすのも消臭しているとはいえ、他の動物の臭いがするので気になるのだろう。不思議がりながらも、ありとあらゆるものに興味を示していた。
「ぱっと見は元気そうなんですけど、虎徹さんには…おできがあるって気がついてしまったんです。僕にはわかります!きっとこれは、悪い病気だと。虎徹さんが…虎徹さんが………」
この世界の終焉を迎えるかのように力説した後、ハンサムは勝手に一人で沈んでいた。しかし、とうの猫は飼い主の嘆きなど気にもせずに生き生きとしているようにしか見えなった。
「落ち着いて下さい…えーと、」
「あ、申し遅れました。バーナビーです。僕の名前は、バーナビー・ブルックスJr.で、こちらは虎徹さんです」
最後の言葉は猫を示して教えてくれる。
いや、猫の名前は散々連呼していたから知ってるよ…とユーリは内心突っ込んだ。しかし、なんだ…『虎徹』というのが名前なんだか『虎徹さん』までが名前なんだかはよくわからないが。愛するペットに、ちゃんとかくん付けする飼い主は数多いるが、さすがにさん付けしている人間には初めて会った。というか、このバーナビー…どう見てもスマートなハンサムなのに激愛しすぎである。やはり完璧なハンサムなどこの世には存在してないということなのだろうか。別に知りたくもなかったけど、相手が客じゃなかったらあまり関わりたくないな…と思った。
「…では、バーナビーさん。診察しますので、その…虎徹さんと一緒に診療室へどうぞ」
何だかここまでのやりとりでも十分疲れたのだが、とりあえずユーリは一人と一匹を別室へと案内した。
こちらも時間外だったため照明を落としていたので電源を入れる。とりあえずパソコンと診療台のメインスイッチだけは入れて、残りは必要な時に随時付けるだけだ。
虎徹を大切そうに延々と抱きしめていたバーナビーだったがここにきてようやく、台の上におろした。ここでも、初めての空間に物珍しそうに虎徹は上下左右に顔を振って確認をしている。
「それで…どこに、おできが?」
猫の身体は肉球以外の大部分が毛で覆われているので、現時点の目測ではユーリには判別出来なかった。皮膚がただれるほど大きいものだったら、ぱっと見てわかっただろうが、どうやらそうでもないらしい。
それに基本ペットは飼い主の許可なく身体を触ることはよしている。色々とトラブルの元だからだ。特にバーナビーのようにペットを我が子?のように可愛がっている人間は特にだ。
「ここです。見て下さい!二つもあるんですよ!」
そう言ってバーナビーは診療台の上に居た虎徹に「失礼しますね、虎徹さん…」とつぶやいてから、仰向けに身体を倒した。こてりっと、その身が鎮座する。相手がバーナビーということで猫背な虎徹も別に何とも思っていないらしい。続けて、その状態のまましっぽを軽く握って下へと向けた。元々機嫌の良い猫はしっぽを立てているので虎徹は嫌がる様子を全く見せない。そして、おできの場所を指し示したのだ。
「にゃあ」
ここに来てようやく虎徹が鳴き声を出した。診療台へ押しつけられて、さすがに嫌だったのだろうか。大人しくはしているけど…その気持ちはわかる。だって、バーナビーが指し示した場所は………
「これは…おでき………ではありませんよ」
去勢していない♂猫である虎徹のωの真下にある×の横に二つある凹凸部分…多分、バーナビーはこれをおできと言ったのだろう。
表情筋を動かすのも少し億劫なくらいの真顔で、ユーリは答えた。
「えっ………?」
さすがのバーナビーもこちらにつられて少し冷静になったらしく、若干嫌がる虎徹の尻から手を離して疑問の声を上げた。
「猫には生まれつきある器官なんですよ。少し待っていて下さい。図鑑で説明しますから」
そう声をかけてから、ユーリは脚立を踏み台にして戸棚から猫図鑑を取り出した。それは子どもが見るような動物図鑑ではなく、前頁フルカラーで専門用語満載の業務用だ。
いつの間にか仰向け状態から立ち上がってちょこんっと座っている虎徹に少し避けてもらって、ユーリは猫図鑑を診療台の上に置いてパラパラと目的のページを開いた。
「このページにも描いてありますが、猫には肛門腺という器官が存在しています。よく知られているのはスカンクですが、簡単に言うと臭い袋のようなものですよ。だから、安心して下さい。全くの正常ですから」
図鑑の典型的なシルバー色をしたアメリカンショートヘアーの写真の該当図を見せながら、ユーリは淡々と説明をする。
「良かった…虎徹さんは病気とかじゃないんですね。良かった…」
ユーリの言葉を心に染み渡せるように、バーナビーは安堵した。
猫の構造を知らなかったとはいえ、見た目は全くの元気なのにそこまで心配するのもなかなか珍しい。最初は正直あまりにインパクトが強かったのでちょっとドン引きしていたが、良い飼い主なのかもしれないな…と少しユーリは思い始めた。
「しかし…よく気がつかれましたね」
そこだけは本当に感心した。もしかしたら普通の猫の飼い主さんでも、肛門腺を見た事がないという人はいるのではないかとは思うくらいなのだから。正常な状態なら、しっぽなどで隠れているし、正直ユーリも特定の病気にでもかからない限り、肛門腺に着目する事もない。
「実は、明日あたりにワクチン接種に行こうと思っていたので、その前に虎徹さんの様子を確認しようと思って…それで発見したんです」
そう言われて、合致する。やはり相当心配性な飼い主らしく隅々まで確認して、知ってしまったのかと。出来れば騒いで動物病院に駆け込む前に、ネットか何かで簡単に調べて欲しかったけれども、バーナビーにはそんな余裕はなかったのだろう。
「折角来たのですから、ワクチン接種していきますか?」
このまま手ぶらで帰って貰うのもどうかと思い、ユーリは尋ねた。
「いいんですか?」
素晴らしい提案を受けたかのように、バーナビーはぱあっと顔を上げた。
「ええ。ワクチンのストックもありますので、構いませんよ。
ただ、注射をする前にいくつか確認したいことがあるのですが………前に病気や他のワクチン接種をしたことはありますか?」
恐らく健康体とは思うが、持病の可能性も疑ってユーリは尋ねる。
「いいえ…それが、あの…わからないんです」
「えーと。全然ですか?」
わからないということは、よくわからないが、とりあえずバーナビーは虎徹に病気はともかくとしても、予防注射をさえ受けさせた事が無いのだろうか。ん?何だか、声の調子がおかしいようにも聞こえた。
「はい。虎徹さんと僕が出会ったのは、半月前のマンションの裏路地でした。虎徹さんは一人でも十分に生きていける逞しい方のようだったんですけど、僕はその時仕事で傷心気味で…寄り添って慰めてくれたんです。それも一度きりではなく、毎日…毎日………それで僕は運命を感じて、頼み込んでお願いをして一緒に住んで貰うことになったんです。だから、もう僕は虎徹さんがいないと生きられなくなって………」
虎徹の毛並みを深々と撫でながら、バーナビーは思い出を語り続ける。
「そう、ですか………」
別に慣れ染め話とか聞いていないんだけど…な、とは思ったが、勝手にしゃべりだすバーナビーを止めるタイミングも見失い、相槌を打つようにユーリは反応した。というか、放っておくとずっとしゃべり続けそうだ。
しかしとりあえず知りたい事はわかった。虎徹は野良猫だったから、病気もワクチン接種の有無は不明だと。
「先生。虎徹さんは何歳くらいでしょうか?初めて会った時から、虎徹さんの身体付きは全く変わらないのですが…誕生日もわからないので、僕と出会った日を記念日にしていますが」
猫は1年もすれば成猫…どころか世間一般的に子猫という大きさでいるのはものの数カ月ほどしかない。出会った時から成猫では、確かに年齢など計り知れないだろう。
「そうですね。では、少し…失礼しますよ」
一応飼い主に断りを入れてから、ユーリは虎徹の顔に指を近づけた。そのまま少し口を開かせて歯の様子を見る。鋭い四本の犬歯を開かせるまで…とはいかないが、それでも歯肉の付き具合で何となくは年齢がわかることもあるのだ。だが、基本は食事の時以外口を開かないであろう猫にとっては嫌そうな顔を見せてくれる。暴れないだけ良い子だとは思うが。
「お話を伺うに野良だったようなので、正確な年齢は判断しかねますが………3歳…いや、もう4歳近いですかね。あ、これは猫の年齢なので…人間でいうと36〜39歳くらいです」
今まで見て来た野良猫から換算して、ユーリは見当をつけた。思わず猫年齢で最初は言ってしまったが、どうやらバーナビーは虎徹のことをただの猫と思っているわけではないようなので、人間年齢も同列視しておいた。
「ああ…虎徹さんは僕より年上なんですね。やっぱり学ぶことが多いです」
なんか本当の年齢を知って感動しているように見える。なんでそこまで猫に心狂しているのかはわからないが、詳しく聞くと慣れ染め話どころか人生相談でも始まりそうだから、黙ることにした。
「えーと、では特に問題もないようですので、ワクチン接種をしますね。スタンダードなタイプで、五種混合接種となります」
「五種も一気にするんですか?僕でさえ、三種しかやったことありませんよ」
なんだか相当驚いたらしく、バーナビーは声を張り上げる。そりゃあ、人間と猫では違うに決まっているのだが、心配していてどうしようもないらしい。こういうタイプの人間は、何をやってもまず心配をするのだろうが警戒心は解いておくにこしたことはないだろう。
「恐らく初めてのワクチン接種なので、三種よりは五種全部をした方がいいと思います。もちろん三種でも五種でも微熱などの副作用がある時がありますので、しばらく様子を見てもらいたいですが」
若干方便も入っていたが、最近は猫の三種ワクチンが珍しくなってきている。ワクチンは猫に対して有り得る可能性を考慮して五種となっているので、落ち着きながらも諭す言葉を出した。ここで実は七種のワクチンもあると言ったら余計に話がこじれそうだなとも思ったのだが。
「わかりました。虎徹さんに何かあったら絶対に僕が助けますから…打って下さい!」
さすがに相当な体質でない限り、ワクチンで死ぬと言う事はないとは思うのだが、まるで一世一代の告白のようにバーナビーは宣言してくる。ので、仕方なくこちらも気合を入れることとなる。
「では、飼い主のバーナビーさんにもご協力をお願いします」
普段ならば助手に手伝って貰うのだが、生憎この場では一人だし、何よりバーナビーに手伝って貰う方が虎徹も安心するだろうという算段だ。
「はい。僕は何をすればいいのでしょうか?」
「やはり暴れる場合もありますので、バーナビーさんが安心させてあげて欲しいのです。注射は後ろ首にしますので」
そこで軽くユーリは虎徹の首根っこを示した。
「後ろ首…にですか?」
いまいち謎な場所だと思ったらしく、バーナビーは疑問の声を上げる。確かに人間相手に首の後ろに注射すると思うと少し恐ろしいだろう。だが、猫は母猫に首根っこを咥えられて連れて行かれるくらい丈夫な場所なのだ。ただし、人間が故意にいたずらなどで首根っこを掴むのは良くないのだが。
「はい。痛覚が一番感じにくい場所ですので、それと…えーと、ニボシとかは食べますかね?」
野良猫のようだから虎徹の品種などはよくわからないが、その名前と見た目的にバーナビーはジャパニーズを意識していると感じた虎徹はニボシを選んだ。海に囲まれている国ではなぜか魚が猫の好物となっている。ちなみに地中海の某国では、猫の好物はパスタだと思われている。つまり基本は肉食な筈なのだが、人と共存している猫は雑食なのだ。
「ええ、ニボシは虎徹さんの大好物です」
自信を持って伝えて来てくれたのでこちらが安心する。バーナビーの言葉を受けて、ユーリは戸棚からニボシの詰まった透明ケースを取り出した。
その瞬間だった。そろそろユーリとバーナビーの話に飽きていたと思われるゆらゆらと診療台の上でしっぽを振っていた虎徹の耳が、ピンッと立った。身も奮い立ち上がった。
「にゃーにゃーにゃーにゃーにゃー………」
喉の奥から精一杯絞り出す様に、虎徹は強烈に自己主張を激しく繰り返した。後ろでは、そのしっぽが左右に激しく振られまくっている。
さすが…まだニボシ本体を取り出していないと言うのに恐ろしい嗅覚だ。猫は色の認識能力が人間ほど鮮明ではなく、特に赤色系は判断しにくい。だから匂いと動きで判断するだけな筈だが。
「随分と食いつきがいいですね…診療台の上でこんなに激しいのは珍しいのですが………」
バーナビーが身体を抑えていないと、今にも虎徹はユーリに飛びかかりそうだ。もう、ニボシ以外はアウトオブ眼中なのだろう。普通の猫なら診療台に乗るだけでも縮こまる子が多く、肉球からの汗の噴出も多いが、虎徹は違うようだ。
「実は、ご飯をあげる前に慌ててここに来たので…まだ夕食を食べていないんです」
少し気恥ずかしそうな顔をしながらバーナビーが言う。暴れる虎徹のしっぽは、ぐるんぐるんっと大旋回中だ。
「えーと、では少しだけ先に…」
ニボシをケースから取り出して、ちょんっと診療台の端へユーリは置いた。
途端、バーナビーの抑えを突破して、虎徹は一目散にニボシへと向かった。しかし、そのあまりの勢いにニボシは虎徹の前足で弾かれてしまい、無残にも診療台の下へと落ちた。トンッと虎徹の身体も下へと降りて、ニボシを追い掛けて這いつくばる。そうして、ようやくありつけたニボシを美味しそうにむしゃむしゃと頬張っている。
いや、何と言うか…なかなか良い食べっぷりだ。慌ててバーナビーが虎徹の身体を持ち上げて、診療台に戻してくるので、ついでにもう二、三本ほどユーリはニボシを置いた。はぐはぐと、それはもう心地よいくらいとてもよく食いついている。
「今がチャンスですね。もし起きあがったら、ニボシで釣って下さい」
ユーリはバーナビーにニボシのケースを渡すと、急いで薬品をしまってある別室へと急ぐ。鍵を開けて棚から五種混合ワクチンを取り出すと、また診療室へと戻って来る。相変わらず虎徹はニボシに夢中で、前かがみとなっていてちょうど良い体勢だ。
ユーリは少し虎徹の背に手を当てて身体を固定させると、その首根っこに焦点を当ててゆっくりと注射針の先を刺した。動かないでくれよ…という気持ちを込めながら。
はっと息を飲むのはバーナビーの方だ。猫の身体の大きさの割りには、それなりに針が長いので不安だったのだろう。
とりあえず今はバーナビーの方まで気を配っている余裕がないので、的確にワクチンを接種して…全て押し入れると、またゆっくりと針を引き抜いた。
「これで終了です。凄いですね。鳴いたり暴れたりしないなんて…」
そう言いながらも横目でちらりと虎徹を見ると、まだニボシをほうばっていた。いくら痛覚が鈍っている場所とはいえ、ニボシに夢中すぎてユーリの方を見さえもしなかった。逆に大丈夫だろうかと心配するくらいだ。
「さすが、僕の虎徹さんですね!えらいです!!」
感銘を受けたらしいバーナビーは、思わず虎徹を抱き上げた。が、まだニボシを食べている途中だったらしく、虎徹の方を見ると全力で抵抗している。案外、猫パンチより猫キックの方が痛いと知っているだろうか。
あれ…なんか………バーナビーの想いは一方通行にしか見えない。
「お…お疲れさまでした。以上です」
処理し終わった注射針を片づけて、ユーリは終わりを告げる。
「良かった……これで虎徹さんは健康ですよね?」
まだ不安が残っているらしくバーナビーは疑問の声を出してきた。気迫がある。これは、気になる点は全て告げた方がいいだろうかと思う。
「え、えーと。そうですね…強いて言えば、多少体重があるような………昔は筋肉質だったようですけど、最近は脂肪気味になっているようです。普段、ご飯はどのくらいあげていますか?」
診療台には体重測定機能もついていて、そこに表示された数値を見て、ユーリは頭をひねる。
虎徹はどう見ても雑種なので標準的な体重が正確には提示出来ないのだが、それでも体格の割に若干注意する点が見受けられたので尋ねておく。
「ご飯ですか?虎徹さんが食べたいと言うので、好きなだけあげています。僕が出掛けていても常に新鮮なご飯が食べられるように、専用の機械で肉でも魚でも何でも………ご飯を食べている虎徹さんって可愛くて、可愛くて…」
でれっとした顔をして表情筋が崩れながらも、バーナビーは思い出し笑みをこぼした。隣で虎徹は、ニボシをもっとくれとバーナビーの服をペシペシと殴っている。か、可愛い……か?
「あの…もう成長期ではないので、あまり無制限に食べさせると………肥満は病気の元ですよ」
予想以上の甘やかしっぷりに憂いを感じながらも、ユーリは言った。もしかして、そこらへんの人間様より良い物を食べているような気がしてならない。
「病気。………虎徹さんが…虎徹さんが………死ぬんですか!?」
なんだか最初にこの病院に来た時のように、またバーナビーは盛大に叫んだ。正直、うるさい。会話がループし始めそうだ。
「食生活を改善すれば、大丈夫です。死にません!とりあえず、ダイエットフードのサンプルをお渡ししますので、少しずつ慣らして行って下さい」
とにかく診療は無事に終わったのだ。時間も時間だし、これ以上の騒ぎは遠慮願いたかった。
強引に話をまとめて、バーナビーと虎徹を診療室から出した。その場で立ちあげてあったパソコンで簡易カルテと診療明細を作る。本当は診察した動物の写真を撮っておくのだが、今回その余裕がなかった。そのまま会計システムへとデータを転送すると、受付へと向かった。
まだ猫を飼いたてでペット保険には入っていなさそうなので、正規の値段での会計だ。人間だと保険が使えるから自己負担額としては少ないのだが、仕方ない。ワクチン接種しかしていないのだが、合計金額もそれなりで、だがバーナビーは気にもせずカードで支払った。そうして、先ほど伝えたダイエットフードのサンプルを渡すと、嬉々として帰って行ったのだった。

ユーリとしては、この飼い主的にこれからの虎徹の未来がちょっぴり心配だったが、頑張れ…と念を送りながら見送った。





何だか今日は相当ドタバタしてしまって疲れたのだが、仕方ない。それでもルナティックとしての活動はユーリの確固たる信念の元にあるのだから、予定通りに決行する。再び隠された秘密部屋へと戻り、暗闇に混じる衣装を身にまとい、月夜煌めく空へと出発した。法の裁きの網目を潜る者たちへの鉄鎚を与えに今日も直走るのだ。



「そろそろ戻るか」
昼間の情報で得られた人間に制裁を加え終わると、ため息交じりにそうつぶやいた。夜の急診のおかげでもうすぐ朝も明けてしまうだろう。
そうして人気の少ない中で身軽にマンション街を移動していると………何やら聞き慣れてしまった声がユーリの耳元に飛び込んできた。
「虎徹さん。お腹すいているんですか?」
特徴ある名前。そして背後に、にゃーにゃーにゃーという猫の鳴き声まで混じれば、それは確定的だった。
思わず気になり、その高級マンション街の窓近くでユーリは、動きを止めた。
「ダイエットフード………食べてくれないんですね。やっぱり好みじゃないのでしょうか…」
独り言のようにつぶやいているが、それは虎徹に投げかけている言葉なのだろうか。
確かに猫にだって嗜好の違いもあるだろうが、人間だってダイエットフードはそんなに美味しい物ではない。だから我慢して食べさせるのだ。それがダイエットではないのだろうか。それでもやはりどうやら虎徹は食べるつもりはないらしい。元は野良のようなのに…昔から良い食べ物を漁っていたのか、バーナビーが高級食材ばかり食べさせたから舌が肥えてしまったのだかはよくわからないが。
「そうですね…今日は、いつも通りのご飯を食べましょう。明日から頑張りましょうね!」
結局、間違った常套句をバーナビーは口に出し、呼応した虎徹は嬉しそうに、にゃあと鳴いた。明日、虎徹がダイエットフードを食べるとは…微塵も思えない。

駄目だな…これは………
きっとユーリが次に虎徹に会う時は、幸せ太りをしているだろう。
また駆け込んでくるバーナビー相手に、どうやって諌めようかと…今から頭が痛くなった。











こ て に ゃ ん 動 物 病 院 へ 行 く の 巻