利用されている自覚はあった。
それでもマーベリックの提案を受け入れたのは、今までバーナビーこそが周囲を利用して来たからだ。
隣で恩人でもあるマーベリックが自分自身の経歴をしゃべっているのを、どこかフィルターを通した他人事のように聞いているが、バーナビーの意識は、ここにあらずだった。
マスコミ各社の無機質な印象を受けるフラッシュ攻撃は、ヒーローインタビューや撮影で散々慣れていて眩しくなどないはずなのに、薄い色眼鏡を通してバーナビーの頭の中は少し白くなりかけた。
その世界は、黒かった。それなのに目覚めて与えられた次の世界は眩しいほどに、白かった。今はあまりに白過ぎたのだ。
小さなざわめきが段々と大きく揺らめいていく。広がる。
その様子を目の当たりにしたバーナビーは、身体が勝手に硬直してどこか遠いところ眺めることが精いっぱいで、直ぐに反応することが出来なかったのだ。
とても異常な雰囲気をこの身で感じたのだ。
後はろくに何も考えやいない、いや考えられないくらいに頭の中がまるで腐ったかのように働かず、今の自分を保つのが精いっぱいな状態。
わからないことが、わからないのだ。
それでも、目の前の確認用の小型モニターが真っ直から否応なしに飛び込んでくる現実。
メディア王と目されるだけあって、マーベリックの口調は非常に合理的だ。
彼が望み掌握する限り、今後のTV局の報道や明日の朝刊は希望を諦めない内容になるだろう。いや、そうするのであろう。
そうなのだ。バーナビーは決して綺麗事でヒーローをやっているわけではない。
全ては一つの目的の為に、両親を殺されてから生きてきた。
どこか、他のヒーロー達と一線を引いて来たのは、所詮彼らと自分は違うんだという劣悪感に苛まれているから。
仕事以外では誰とも関わろうとは思わなかった。
しかし、それを知ってか知らずか肝心要のその仕事で、バーナビーはコンビを組まされることになった。
「お疲れ、バーナビー。では、私は会議室に戻る。君も他のヒーロー達と共に、折紙サイクロンの動向に注意するように」
いつのまにか会見は終わっていたらしい。
きっかりと規定の時間を守り、記者の質問も見事に流したマーベリックは帰りがけにバーナビーに、そう声をかけた。
「………わかりました」
何とか目を伏せてバーナビーは、了承の意を示す。
半分くらいしか脳に入らなかったが、それでも辛うじて切羽詰まった返事をすることが出来た。
反対方向へ去っていくマーベリックの皮靴の音だけは聞こえたが、関係者用の廊下に棒立ちしたまま、しばらくバーナビーは動けなかった。
早く自分も戻らなければという気持ちはもちろんあったが、脳は命令しているのに足が動こうとはしないのだ。
やはり無意識のうちに子供の頃のトラウマが増長されているようで、それに戻ったとしてもとても冷静でいられるような気持ちにはなれなかった。
こんな気持ちのままで、もし両親を殺したかもしれないジェイクの目の前に立てたとしても、自分は何が出来るのだろうか。情けない。
ずっと、犯人を追い続けてきたではないか。毎日、毎日、夢に出てくるほどに。
あの炎の中で見た姿がジェイクであると認識したのはつい先日だったからこそ、このタイミングでぶち壊されたことが、何よりも憎かった。
憎悪の炎がバーナビーを包み込み、ドロドロに溶かしてしまうほど、今心は荒んでいた。
「バニー!」
誰もいなかった筈のだだっ広い廊下で、飛んでいたバーナビーの意識を呼び戻したのは、その声で、暗い顔を上げる結果となる。
「大丈夫か?死んだ魚のようなうつろな目になっているぞ」
声の主でありパートナーでもある虎徹が、半分冗談交じりにすかさずバーナビーに近寄った。
いつものように反射的に、漂々とした悪気のない言葉を出す。
「…折紙先輩は?」
どこか喉の奥から絞り出すような声をバーナビーは辛うじて出した。
「今んトコ連絡はない。まあ、バイタルサインにも異常は出てないから、うまくいっていると考えていいだろう」
手首にしているヒーローバンドからある程度の情報は読み取れるが、細部までは待機室に行かなければわからない。
それでもなんとか前向きに虎徹は答えた。
「折紙先輩には危険な役をやってもらって…もし何かあったら僕は」
絶対ということは絶対にないのだ。
自分の能力では到底無理とはいえ、かたや潜入捜査をし、かたや自分はこんな場所にいるだけ…待ち続けるだけになってしまって腹立たしかった。
「そう何でも自分を追い詰めるな。確かに提案したのはお前かもしれないが、折紙だって自分から志願したじゃないか。それに俺だって何も…」
バンッ!
思い切り壁を右手で叩く音がその場に響いて、ざわめきが一気に終息した。
「違うんですよ。僕と貴方では!」
突然バーナビーは跳ねるように言葉を荒げた。
広壮な廊下にキーンと音が響く。
「貴方が、ジェイクを釈放するように市長達の前で主張した時も、僕は市民たちの安全よりも自分の保身を選んであの場で黙っていたんです!」
固く、バーナビーは言い切った。
「…お前はジェイクが釈放されることに、いら立っていたんじゃなかったのか?」
ジェイクはバーナビーの両親を殺したかもしれない…いや何らかの情報を持っている筈の人間だった。
そこに辿り着く直前で何も聞けずに逃亡された。
これが、さきほどマーベリックが言っていた会見の内容そのままだった。
「違います。僕は、喜んだんですよ」
バーナビーは少し泣いたような顔を向けて、残酷な言葉を一つ落とす。
「ジェイクの刑期は250年です。死ぬまでアッバス刑務所特殊独居房で過ごす筈で、今の僕なら手続きを踏めば面談することも可能でした。でもそれだけしか手出し出来ない筈だったのが、釈放された」
「お前は…もしジェイクが自分の両親を殺したと認めたら、自らの手で殺すつもりだったのか?」
続かないバーナビーに言葉に、虎徹は疑問を投げる。
まだ短い期間の付き合いとはいえ、その憎しみの深さはよくわかっていた。
この場では冗談を言うような雰囲気は全く流れていなかったから、一つの疑問を胸の中に忽然と抱いたのだ。
「そうしたかったのかもしれません。貴方は軽蔑するでしょうが」
気丈にもふらついた体勢を立て直して、バーナビーは改めて虎徹に向き直った。
そういう虎徹も十分に酷い顔をしていたのだ。
ジェイクの釈放をチャンスだと思ったことは間違いなかった。
今なら公然とした理由の元、バーナビーはジェイクの首に手をかけられるのだから。
それが故意だろうと事故だろうと理由付けなんて後からいくらでも出来るほどに。
犯罪者の死に激怒した虎徹と自分の決定的な違いはここから来ていた。
あれだけ嫌悪していたルナティックと自分は近い存在ではないかと思うほど、いや…むしろどうでも良いと思うくらいに、その程度にしか考えていなかった。
それにもしジェイクが両親殺しとは何も関係なくウロボロスを壊滅させても意味がなかったら、それこそ手がかりが途絶える。それが一番耐えられなかった。
「バーナビー・ブルックスJr.という名前でヒーローやっていたのは、そのせいか?」
少し声が抑えきれず、虎徹はピリピリとした音になってしまった。
虎徹は会見で初めて、それを知ることになった。
最初はただのアピールかと思ったが、それにしてもリスクが高すぎる。
素顔を晒せば、プライベートなどほぼ無くなる。
バーナビーは永遠とスーパーヒーローの仮面をつけて演じ続けなければ行けない。
そして、バーナビーが捕まえた犯罪者自身は檻へほうり込まれるかもしれないが、その家族や友人から何らかの恨みを持たれることは間違いないだろう。
そうとなれば、家にいるときでさえ一瞬たりとも気は抜けない。
「最初は父の名前を出しておけば…殺し損ねた子供はまだ生きているとアピールできるかと思っていたんですけどね」
のどが勝手にからからになったが、息苦しい最中でも何とかバーナビーは声を発することが出来た。
自らを囮とするのが一番の近道だと思っていたが、今はそれさえも。
「………………」
「結局、貴方は一度たりとも呼ばなかった名前ですけど、意味あったんですよ。これでも」
バーナビーはそうして過去形のように皮肉っぽく言葉を続けた。
厳格だった父親と優しかった母親の思い出の品は、あの火事で殆どない。
だからこそ、殺されている両親の顔が鮮明に残りすぎていて、あえて改名までした。
「それは悪かった…だけど。犯罪者は捕まえて、法の裁きの元に晒す。それが決まりだ。ジェイクを捕まえたら、何がなんでもお前の手からも俺は奴を守るぞ」
全ての間違いだが、無理もない。
決して、バーナビーに対して同情がないわけではなかった。
前にも結果的には犯罪者をルナティックから守る形とはなったが、それとは違う相手を前にしても虎徹は揺るがなかった。
貫き通す確かなものがあるから、その光は途絶えるとは、まるで思っていない。
「わかっています。だからこそ、もし僕がジェイクを殺してしまったら、貴方が僕を殺して下さい」
自らの口で決定打を言うことがせめてもの心構えだと思った。
両親の仇を討った先の自分の生きている価値が見出せない。
そうやって、24年間生きてしまったのだから。
どちらにせよ、酷い結末しか待ち受けていないということだけはわかった。
一寸の希望を持たせるつもりもない最悪の結末を望んで、同じ能力を持っているからこそ自分を殺すのにふさわしいと言うように、バーナビーは虎徹に願いを告げた。
「………それは…」
「別に約束なんてしなくていいです」
バーナビー自身も言葉に発したことで、心の片隅にでも留めてもらえれば、少し心が軽くなったような作用をする程度なのだから。
もしかしたら先に自殺するかもれしないという言葉を呑み込んで。
生きる目的を失った世界で生き続けるのは、あまりにも過酷すぎたからこその、酷く単純で難解な方程式。
一抹の希望にすがって、最愛の人の手で死ぬ贅沢。
(僕は…僕を殺した貴方を絶対に忘れることはないでしょう。
そして貴方も、僕を忘れることは絶対にないという呪縛)
「みんなのところに戻ります」
虎徹の返事を聞くのを嫌ったわけではないが、颯爽ときびすを返してバーナビーは反対方向へと廊下を進む。
ただひたすら歩く歩く歩く。
「待てよ。バニー!って………あ………」
後ろで驚いて、いつも通りに呼び掛けて戸惑っている虎徹の声が聞こえたが、バーナビーはあえて振り向かなかった。
『バニー』と呼ばれるのに慣れてしまったから。
さっきは皮肉を言ったが、バニーと呼んでもいいと自分の中で今唯一許した相手。
それは…20年前に両親が暖かく呼んでいた、名前だった。