Working Holiday(ワーキング・ホリデー)略してワーホリとは
国際理解を深めるために、海外での休暇と、その資金の一部を補うための一時的な就労の機会が与えられている制度である。
自分がいつ、この世界に生きていると自覚したか?
そんな質問をバーナビーが何気なく周囲の人間にするようになったのは、いつからだっただろうか。
皆、大抵のところ、自身の物心がついた頃のエピソードを教えてくれる。それは、三歳児だったり五歳児だったり、時には赤ん坊から…はたまた母親の胎内にいる時やら。中にはジュニアスクールからミドルスクールにかけていう驚きの返事もあったことがある。
しかし、結局のところ誰もが、バーナビーと同じ認識ではなかった。
そう………バーナビー・ブルックスJr.には確かに前世の記憶があった。だからこそ。
『日本へ行く―――』
通っているグラジュエート・スクールを休学して、その旨を両親に伝えた時、さすがにバーナビーは反対されると思っていた。一応成人年齢は超えているとはいえ、未だ親の庇護下にあることに違いはない。そもそもバーナビーは絵に描いたような優等生で、今まで仕事に忙しい両親に負担をかけないように特別な無理を言ったことは一度もなかった。
「「気を付けて、いってらっしゃい」」
しばらく顔を突き合わせた両親は無言で分かり合った後、…優しくバーナビーに語りかけてくれた。優秀すぎる我が子の、初めての明確な我が侭が嬉しかったのか、それとも信じているのか。理由なんて何でも良かった。ただ…バーナビーは今の両親に改めて感謝した。
Narita International Airport 日本表記、成田国際空港は東の都こと東京近くに建設された日本国最大の国際空港である。
有数の先進国としてグローバル化された国の空港で、その名の通りこの場には観光やビジネス目的でさまざまな人種の人々が行き逢っていた。東洋の島国という着目点においてアジア人ばかりというより、祖国である日本人が占める割合がとても多くはあるが、発着する便によって違いはややある。そして、分刻みにまた着陸する機体がある。
アメリカン航空が所持するボーイング777-200ERは、ジョン・F・ケネディ国際空港より15時間弱のフライトを経て、今日も無事に成田へと着いた。各自、それぞれの思いを抱いて検疫・入国審査・税関等の手続きを経て、ゲートを潜る。
………と、それは1時間ほど前に誰もが通った道である。
皆と同じように彼の地へと降り立った筈のバーナビーは、大手のスーツケースを片手に転がし、ひたすら歩いていた。紛れもなく、ターミナルビル内を延々と。
「ここも、第1ターミナルか…」
かなり歩いたはずなのだが、場所は変わっていないことを電光掲示板で確認したバーナビーは、思わず独り言を呟いた。発着したのは第1ターミナルの南ウイングで、行きたい場所は第2ターミナルなのであった。
北ウイングや免税ブランドショップなどがある中央店舗をぐるぐると回ってみたりもしたが、なぜか第2ターミナルへの道がみつからない。おかしい…手元にはきちんと広げればとても分厚い空港内の地図があるというのに。第2ターミナルへ行くにはターミナル間連絡バスへ乗り込む必要があるという知識もあるし、その発着口への場所もきちんと明記してある。それなのに、なぜか辿り着かないのだ。不覚にも迷ったようだ。この日本という国…アジア圏にあるせいか、そこまで英語表記が重要視されていないらしい。この日の為に、日本語を勉強したてたバーナビーだったが、正直ローマ字表記というのもまだ馴染めない。
チラリと壁にかかった大きな時計を見れば、約束の時間が差し迫っているのがわかる。仕方ない…とバーナビーは決心する。
普通の人間なら直ぐ行うであろう行為―― 他人に尋ねるという決意をしたのであった。
正直、迷っていることを認めるなど、バーナビーのプライドからしたら許せないものでもあったが、これから世話になる人を待たすことになるという状況の方がもっと自分を許せなくなりそうだったので、苦肉だ。
さて、こういった状況で誰に尋ねるのが一番いいのかと思うと、インフォメーションカウンターなどに行くべきなのだろうが、生憎かなり端まで歩いてしまったようで軽く見回しても、付近には見当たらない。ターミナル間連絡バス発着口でさえ全く見つからないというのに、インフォメーションカウンターも簡単に見つかるとはあまり思えなかった。
そして結局付近にいる人に話しかけてみるのだが、意外と日本人は残念だった。自分より少し年齢の上とみられるラフな格好をした男性が、ソファに座り物思いに老けていた。バーナビーはゆっくりと歩み寄って声をかけようとした瞬間…相手もこちら気がついたらしく
「のー すぴーんぐ いんぐりっしゅ!」
と慌てた様子でまくし立てられて行ってしまった。伸ばした右手に気がつく間もなく離れていく虚しさ。まるで自分が邪魔したかのようではないか。いや、実際というか、結果的にはそうなってしまったのだが。確かに不用意に英語で話しかけたのが悪かったのかもしれない。だがしかし、話しかける前に外国人だと認識されて、そのまま拒否されるのもややダメージを受ける気がする。そんなトラブルがあった以上、また付近を歩いている日本人に話をかけるという行為が出来る筈もなかった。
「困ったな…」
………結局どうにかして連絡バスを見つけ乗る。待ち合わせの第2ターミナル本館出発ロビーを見つけると、速足から一気に駆け足に切り替えた。ゆっくり転がしていたリモワのスーツケースを手に引くと、ガラガラとターミナル内にトローリーケースの車輪が響く。急ぐ。早く。
比較的定番の待ち合わせ場所の為、タクシーやバス待ちの客で、そこは賑わっていた。ロビーの外とはいえ、第2ターミナルへ直結する外と繋がっている唯一の場所であるから、往来はそこそこある。加えて、こちらと同じようにこの場を待ち合わせ場所に指定された者は多いらしく、立ち止まって目的人を探す様子が幾人か見えた。
人ごみを抜けて駆けるバーナビーは、目的の人物を探す。
この場ではさして珍しくもないウェルカムボードを持った人々の中に、彼はいた―――
「虎徹さん!」
やや大げさな声が出て、周囲の人間が次々とこちらに振り返ったが、回りなど今のバーナビーの眼中にあるわけがなかった。
ただ人目もはばからず虎徹の前で膝を折り、抱きしめた。
身長125cm、体重22kg…齢6歳児。小学一年生の、鏑木・T・虎徹に対して………
バーナビーにとって前世の記憶がある事が当たり前と言う認識の中で、最も会いたい人間は、虎徹に他ならなかった。自分がこうやって前世の記憶を持っているのだからきっと…彼もそうだろうと思うのは当然で。事実、バーナビーの境遇は前世と酷く似ていた。ただ…この世界にNEXT能力のような力はないし、今の時代より科学技術の進歩もなかった。あれはもしかしたら前世ではなく…パラレル世界か何かもしれないが、虎徹に会えればそんな些細な事は気にするべき事態でもなかった。
そうして虎徹を探し始めたのだが、そう簡単なものでもなかった。前世の繋がりから手始めに、最初は自分も住まうマンハッタン周辺から調べたが、手掛かりは全く得られず。そもそもこの世界の人口は70億人を超えている。この中で、わずかな手がかりの中でたった一人の人間を探すのがどれだけ途方な事か………
気が付くとバーナビーは24歳になっていた。両親の勤めている会社に内定しているようなものとはいえ、自由な時間が取れるのは学生の間だけ…と思い、探すのもやや自暴自棄になり始めた頃。
ダメ元だと思っていた日課がついに、功を奏した。
実名登録制のSNS。バーナビーは毎日、根気よくここで虎徹を探していた。同姓同名や似た名前の人間に何度メールを送ったか今までわからなかったが、ついに…虎徹を発見したのだ。
まだジュニアスクール一年生だけど。
長年探し続けたバーナビーにとって、年齢なんて大した障害には思えなかった。
だって、今…バーナビーの目の前に愛する虎徹が居るのだから―――
「バニー、久しぶり。いや…はじめまして………の方がいいのか?」
前から比べると随分と小さい虎徹は、一番にその言葉を告げる。以前のままの明るい調子に変わりはない。
「っ………虎徹さんっ!」
感極まってバーナビーは、より深く虎徹の腰を抱きしめる。この再会を姿かたちとして実感するように。生きている…確かにバーナビーの望んだ虎徹が具現化してくれたのだ。
「………つ、……ちょっ、…………苦…しいっ…ど…したんだよ」
一通り虎徹の抱き心地を堪能していたのだが、目の前で途切れ途切れに声を出し少しもがく虎徹にようやく気が付き、少しだけ腕の力を緩めた。
「す、すみません。大丈夫ですか?」
既に元よりの身長差で屈んではいたが、より覗き込むように伺う。
「お前なあー 言っとくけど、今の俺は昔よりやわなんだぞ?気をつけろよ…」
半分呆れてちょっと不貞腐れるように、虎徹はこちらに忠告を加えてくる。
「そうですね。ちょっと感激して、失念してました。やっぱり貴方は僕を『バニー』って呼ぶんですね」
華奢な虎徹の両肩に手を残して、顔を合わせて、名残惜しいその瞳を見ながらも、バーナビーは改めての確認をする。この最愛の相手からの呼び名を脳内で切り取って、ずっとエコーかけてもいいくらいだ。
「当然だろ。てか、他の奴は呼ばないのか?」
至極当たり前の口を出して、虎徹は尋ねてくる。まるでそれ以外の呼び方を知らないかのように。
「ええ。今も昔も…僕をバニーと呼ぶのは虎徹さんだけですよ」
誰にも呼ばせない。それがこの愛称だった。転生してしまった今、バーナビーの手元に虎徹との形としての物体は何もなくなっていた。だからこそ、余計に拘ってしまう。
「そう…なのか。あーでも、今は俺の方が断然年下だし、別にこっちを無理にさん付けしなくてもいいんだぞ?」
ふと自分の呼び名の方も気になったらしく、虎徹はひとつの提案をあげた。
「いえ。虎徹さんと呼ばせて下さい。僕にとって虎徹さんは、虎徹さんで虎徹さんですから」
ちょっと自分でも何か矛盾しているようなことを言っている自覚はあったがそれでも、自然に出てきた言葉なのだから仕方ない。年上を敬うという日本人気質は知っているが、それでもバーナビーにとって虎徹はどんな姿だろうが、尊敬に値するし、何より昔どおりの呼び方以外考えられなかった。
「ま、おじさんって呼ばれるよりは違和感は大分マシか」
ちょっとまんざらでもない様子で照れながらも、虎徹は言う。出会いがそうだったから仕方ないのだが、さすがに今の虎徹におじさんは不釣り合いすぎたから、笑いながらの言葉だった。
「でも良かったです。前とはちょっと違うかもしれませんけど、虎徹さんは何も変わっていないようですから」
バーナビーの目の前に確かに立つのは、短パンをはいた典型的な少年に見えるし、声変わりもしていない。でもそれは外見だけの話に過ぎない。ただ、出会えた奇跡にバーナビーは感謝したかった。
「お前のそういう事をさらりと言っちゃうトコも全然変わってないな。つーか、背でかっ。今回も185cmだっけ?見上げてたら首痛くなりそう…」
首の後ろをややさすりながら、これからの心配事を虎徹は口にする。これから虎徹の方も伸びるとは思うが、先が長いことに変わりはない。
「虎徹さんが望むならいくらでも跪きますよ。それより、お姫さま抱っこの方がいいかな?」
口元に笑みを浮かべたバーナビーは、そのままひょいっと虎徹を持ち上げて、懐かしのお姫様抱っこを再現した。何度もしたからこそ、慣れたその行為を。
「うわわわっ、…いきなり。びっくりするだろ!」
急に虎徹の視界が高くなって、驚いたように少し高い声が出る。
「はは…軽いなぁ。これならいくらでもお姫さま抱っこ出来ますね」
これが小さい虎徹の最大のメリットだと言わんばかりに、嬉々としてバーナビーは軽快に言う。思えば、虎徹との初めての出会いもお姫さま抱っこだったからこそ、今こうやって実感できるから有頂天になれる。
「ちょっ……ここ一応、日本だから。お姫さま抱っことか、注目の的過ぎるだろっ」
さすがに久しぶりのお姫さま抱っこに、虎徹はバーナビーの腕の中で慌てている。おりしもここは、往来激しい出発ロビーの外である。急いでいる人間が多いとはいえ、さすがに金髪碧眼の外国人イケメンが、日本男児を抱き上げていたら、目立つ。
「そうでしたね。僕は虎徹さんに会いに、日本へ来た」
「あーもう。日本へようこそ、バニー」
まさかお姫さま抱っこをされながら、この空港定番のセリフを言うとは…さすがの虎徹も思わなかったようだった。