ワーキング・ホリデーをする者が最初に決めるのは、どこの国に行くか…ということだが、バーナビーは初めから日本と決めていたので何の障害もなかった。むしろ最大のネックは住まいにある。
つてがなければアパートや貸し部屋を自分で探すということになるのだが、歴史的に島国でもあり自国民意識の高い日本ではなかなか外国人に対しての窓口が広くはない。欧米では比較的よく見かけるシェアメイトも滅多にないと言っても過言ではないだろうし、ユースホテルも廃れ気味だ。敷金・礼金・保証金といった日本独特の独特な金銭的問題もあるが、電気・電話・水道・ガスなどの手続きも面倒だ。留学など含めてもやはり一時的にその国に馴染むためには、ホームステイが一番現地の生活に溶け込みやすかった。
バーナビー自身は正直金銭的にそれほど困っているというわけではなかったが、虎徹の家にホームステイされてもらうというこれ以上はない提案を受けて、即決めた。
これからの日本での生活。前途は明るいと希望を見出した。

「はじめまして、バーナビーさん」
「こちらこそ、はじめまして。これからお世話になります」
冷静に考えると、いくら前世の記憶がありしっかりしている虎徹とはいえ、一人きりでバーナビーを待つだなんて大丈夫か?と、今更気が付いたのだが、どうやら付添いの安寿は車をこちらに回しているため、不在だったらしい。
日本製の白いセダンが脇に止まると虎徹はバーナビーを促し、ようやく母親である安寿との対面だった。
若い…失礼ながらバーナビーの安寿に対する第一印象がそれだ。虎徹の母親なのだからおそらく30代なのだろうが、バーナビーの記憶の中の安寿は自分の両親より年上だったため、見比べてしまった。やはり前世での虎徹の年齢に近いせいか、どこか似ている印象を受ける。さすが虎徹の母だ。
スーツケースをトランクへ詰め込み、乗り込むと早速出発だ。日本には上座下座というルールがあり、バーナビーは運転席の後ろの席という指定が入ったが、ちゃっかり虎徹もその横に座っている。行きは助手席だったと思われるからこそ、ちょっと安寿も笑っていた。
ゲート検問所も無事に通過し国道を行くと、次は高速道路に入る。さすがに車ばかりだ。バーナビーも日本車に乗っているが、米国から見れば日本車はもちろん外車で関税も高いので、国内ではそれほどたくさん見かけるわけではない。欧米のメーカーは車そのものに名前をつけずに数字で区別するので、日本車が独自の名前をつけている習慣にも、あまり馴染みがなかったので、後ろの名前を見るのも少し興味深い。
初めこそ珍しい外の様子を眺めていたのだが、ここからは単調な風景の連続だったので、自然と車内の会話も弾んだ。元々日本と米国では文化・環境・習慣など、ありとあらゆるものが違うので話が尽きなかった。それは安寿とバーナビーの間だけで、安寿が虎徹に話しかけても最初は普通に受け答えをしていたが、段々気の抜けた返事や虚ろな受け答えが帰って来るようになった。
バーナビーは外の風景や並走する車を見ている虎徹を見て、そのこと自体を別段と気にはしなかったのだが、ゆるやかではあるが大きなカーブに差し掛かった時だった。身体が、やや左側の窓際にゆらめくのを感じた後、こてん…と何かがバーナビーの左肩に負荷をかけた。一瞬重い…と感じて、瞬間的に首だけ左に動かすと、飛び込んできたのは輝く黒い光沢。それが虎徹の髪だと認識するまで、少し時間がかかってしまった。少し顔を覗き込む形をとると、虎徹は瞼を閉じて…文字通り寝ていた。
「すみませんね。この子…ずっと今日を楽しみにしてて」
バックミラーで虎徹の様子を認識した安寿が、視線は前方を向けたまま、バーナビーに語りかける。
「いえ…あの………」
少し言葉を選ぶように考えて、バーナビーは口ごもる。こうやって安寿と二人できちんと話すのは初めてで、虎徹が寝ているからこそ、言いたいことがあったのだが、うまく言葉を紡げない。
「どうかしましたか?」
それを知ってか安寿が優しくこちらの言葉を促してくれる。
「その…迷惑ではありませんでしたか?僕の事―――」
バーナビーの両親もそうであるように、安寿にも前世の記憶があるというわけではない。それでいて、突然バーナビーのような大の男とまだ小学一年生の虎徹が仲良くしていたら、はた目から見てもおかしいだろう。それが身内となれば、尚更で。それでも歓迎の意思を見せてくれて、こうやって車まで出してくれて、ありがたいがバーナビーからするとまだ気持ちに戸惑いがあった。
「そうですね…知ってのとおり、虎徹は………私の子供なのに年の割にしっかりした子だなって思いました。この子の兄である村正さえ気に留めていなかったパソコンをいじり出したりしたりして、色々と驚きました。ちょっと大人びてますが、私にとって虎徹はいつまでも子供ですから。子供の望みは叶えてあげたいんですよ。もちろん…バーナビーさんも良い人みたいですから、迷惑だなんて思っていませんよ。私もホームステイを受け入れるのは初めてですので、色々楽しみにしています。よろしくお願いしますね」
慈愛に満ちた声で安寿は言う。
「…ありがとうございます」
改めてバーナビーは感謝を示す。今のバーナビーと一回りも離れていない年齢だというのに、やはり母親は凄いと思った。
そうして自分を送り出してくれた両親の事も思う。落ち着いたら無事に生活していると一番に連絡しようと思った。
何だろう…なんだかんだと気が張っていたのが、バーナビー自身も少し気持ちが解けたような気がする。一つゆっくりと息を吐いて、バーナビーも乗り心地の良い車に身を任せた。





ああ…何だろう。とても懐かしい声がする………
「…ニー、…おい、バニー!ったく、起きないなぁ」
そこまで明確な言葉を認識して、バーナビーはようやく重い瞼を開いた。眩しいからこそ直ぐには開きにくかったからこそ、見開いた視線がパチリと合う。変な角度で同じく瞳を交わしたのは、もちろん虎徹であった。いや、変な角度になったのは体勢的に自分のせいであったらしい。まさか…不覚にもほどがある。徐々に認識していく世界で、自分も寝ている虎徹に寄りかかって寝てしまっていたことを、知ってしまった。慌てて、少し過度なリアクションをとってバーナビーは身を起こす。
「すみませんっ!僕…寝てっ…」
幼い虎徹の寝顔を可愛いなあ…と眺めていた筈なのに、自分も寝てしまうとはなんということだ。虎徹が期待してくれていたように、バーナビーもこの日を待ち望んでいた事は確かで、高揚する気持ちでフライト中寝れなかったのは確かだったが、まさかこの場面で寝るとは思わなかった。
「いいって、いいって。そっちは時差ボケもあるだろ?俺だってさっき起きたんだし。どうやら着いたらしいぞ。って、いうか。ここどこだ?てっきり、うちに行くんだと思ってたんだけど」
そして虎徹の言葉に促されてバーナビーも窓の外を見ると、ここは駐車場で目的地についたのだと気がついた。
近代的な建物というより、少し自国でもある西洋っぽいどこかの宮殿でもモチーフにしたのか?という柱とかがある様子を見て、虎徹は不思議がる。
「…僕が、まず役所に連れて言って貰うように頼んだんですよ。外国人登録証明、国民健康保険…他にも色々と申請する書類があるので」
なんとか、いつもの様子を復活させたバーナビーが伝える。
本国でもワーキング・ホリデーの手続きは色々と済ませてきたが、現地についてからの方が色々と面倒であると、予め調べてある。住まいに関しては虎徹の家にホームステイさせてもらうということで、大分負担は少ないのがありがたい。これに関しては、金銭的というより精神的面が強いが。
特に外国人登録証明は観光目的で来たわけではない自分にとっては最も重要で、これを所持していなければ基本外出してはいけないという常時携帯義務があり、パスポートだけ持っていれば良い他国に比べると若干の厳しさを感じるが、こればかりは仕方ないことで、早々に申請しなければいけなかった。
「そっか、大変なんだな」
初耳な事態に、興味津々に虎徹は理解を示す。
「すみませんが、少し時間がかかってしまうかもしれません。日本人の仕事は早いとは聞きますが」
「あー、お役所仕事だから結構色々だよ。決めた!俺も一緒に行く。なんか面白そうだし…」
きっと虎徹の年齢ではまだ役所に用があるようなこともないのだろう。こうやって、ぱっと建物を見ても実感がわかなかったのはわかる。滅多に行かない場所だから珍しい刺激を求めているようだ。
「面白い…かどうかはわかりませんが、虎徹さんは日本人ですから日本でワーホリの手続きはしないと思いますから、物珍しいかもしれませんね」
相変わらずの好奇心に頷きながらも、結局バーナビーは虎徹と共に車を降りた。

今日、一番順調に物事が進んだのは、この場であっただろう。役所での諸々の申請手続きは慣れないことの連続であったことは確かに間違いないが、たまたま手慣れた年配の女性が受け付けてくれたおかげで、スムーズに進んだ。ワーキング・ホリデー制度を使って、日本へとやってくる外国人はまだ随分と少ないのだろうが、基本は語学留学などと一緒なようで安心した。日本語に関しては、バーナビーも全部の会話がわかるというわけではなく、専門用語はさすがになれていない。こういった場所での専門用語は?マークではあったが、虎徹が側でわかりやすく噛み砕いて解説してくれたから助かる。受付の女性は、まだどうみても小学生の虎徹の理解力の方に若干驚いていたが。とにかく言われたとおりに規定の書類を記入して、パスポートなどを提示して、何とか一通りの手続きを済ませた。
再び車に乗り込み、ようやく目指す場所は、これから一年間住まうこととなる鏑木邸となる。
役所周辺は諸々の公共施設が整っている為、ある程度は現代的な建物が集合していたが、少し道を外れれば一気に風景は一変する。元々、成田国際空港から高速を使って数時間…という地であるため、首都圏というひとくくりからは随分外れていると言っても過言ではなないのだ。都心部からは大分離れているということは、若干ではあるが、片田舎に当たるのかもしれないが、バーナビーとしてはそちらの方が良かった。ここに至るまで、日本という漠然とした文化イメージから都心は随分と離れていたから。立ち並ぶ高層ビルが自国にも全くないというわけではないが、それでも景観はかなり近代的すぎて、折角日本に短期間とはいえ住まうとはいえ、あれでは味気なく感じる気がした。昔の都であるKYOTOでは、ある程度は景観が守られているらしいが、それでも車や電車が数多く見受けられる先進国の大都市に違いはないだろう。都会に住めば色々と便利なこともあるだろうとは思うが、観光だけではない日本を知るには、こういった場所が最適だと、バーナビーは思った。

「着きました。どうぞ降りて下さい」
一度切り替えしただけで車庫入れを成功させた安寿は、エンジンを切ってから二人に、そう伝えた。人様を乗せての長距離に対して、無事に着いて良かったと、同時に安心したようだ。
「ありがとうございました」
成田国際空港から予想以上に距離があったので、バーナビーは安寿に深々と礼を言った。
さして広いというわけではない車庫内であったが、トランクを開けてバーナビーはスーツケースを降ろす。その車庫の隣にあった家の門扉へと安寿は進む。
「素敵な、お家ですね」
家の真正面に立ったとき、世辞などではなく、バーナビーは素直にその言葉を出した。[鏑木]という表札の書かれたその家は、平屋建てのこれぞ元祖日本家屋という趣を持っていた。大きさに関しては自国より随分とコンパクトではあったが、こじんまりと綺麗にまとまっていてとても風流だ。石造り…最近ではコンクリート造りも多い欧米ではなかなか見られない木造造りは、木の暖かさや柔らかさを感じることが出来た。門扉を潜りぬけて鍵を開けた玄関も季節の花々が花瓶や日本画で飾られており、風情がある。バーナビーとしても、景観法が壊れ気味な日本と聞いていたので、本当に写真のままの形を切り取ったような日本家屋が綺麗に残っていて、しかも住まわせてもらえるとは思っていなかったから、嬉しかった。
「ありがとうございます」
玄関にとりあえず荷物を運んでから、再び丁寧にお礼を言ってくれる。
「バニー、ちょっとこっちに来いよ」
いつの間にか一緒に降りたはずの虎徹の姿はなく、少し遠くから声が聞こえる。玄関へ入った安寿の後は追わず、バーナビーは虎徹の声から姿を探す。とりあえずそのまま真正面にある玄関の奥へとは向かわずに、門扉へと戻って途中でかくんと右手横へと逸れた。その先に広がるのは囲いの内側である庭先であった。盛大なガーデリングなどはしていないが、植栽が端々に植え込んであり、野菜が植わる畑もあり、とても日当たりの良い庭に仕上がっていた。
「虎徹さん、どうしたんですか?」
「ほらっ、これ見てみろよ」
後ろを向いていた虎徹が振り返ると、両手で抱きかかえる虎模様があった。
「猫…ですよね?こちらで飼っているんですか?」
黄と黒のもふもふした物体の正体を口にしたものの、少しバーナビーは驚きの声を出す。少なくとも前世で虎徹が動物を飼っていなかったので、不思議な構図なのだ。
「いや、うちでは飼ってない。近所からの通い猫なんだけど、模様が虎っぽいだろ?」
くるりと虎猫を横にしてこちらに背を見せてくれる。確かに淡い黄と黒の毛が見事に混じっていて、虎っぽい。元々ワイルドタイガーと、ヒーロー名に付けるほどの動物名ということは、それなりに虎徹は虎の事が好きなのであろう。
「そうですね。そういえば、日本って虎飼えないんでしたっけ?」
猫から比べると大分お手軽からは遠くなってしまうが、単純な疑問としてバーナビーは声を出す。
「えっ、むしろそっちでは飼えるのかよ!」
まさかのバーナビーの質問に虎徹は盛大に驚いた。あまり想定していなかった事態のようだ。
「許可制ですけど、無理ってわけでもありませんよ。ライオンとかも飼えます」
具体的に言うと、米国は州ごとに法律が違うので、動物に対する規制が厳しい場所もあるが、とりあえずざっくばらんに説明する。それに虎徹に対して夢を与えたいという含みもある。
「すげーな。大変そうだけど…てか、なんでそんなこと知ってんの?」
なんか羨ましいような、危ないんじゃないだろうか…そんな感情を入り交えた瞳を向けながらも、質問が続く。
「あまりに虎徹さんが見つからないので、試しに虎を飼ってみようと思った時期がありまして」
それで自分の心が少しでも満たされればという自暴自棄ではあったが、今となっては本物の虎徹に勝るものは何もないと思うから、飼わなくて良かったとは思っている。
「えー、じゃあ。俺は兎飼っとくべきだった?」
思わぬバーナビーの切り返しに、虎徹は自分を省みたようだった。
「いえ。この子も十分可愛いですよ。触っても構いませんか?」
虎徹が自分の為に兎を飼う。それはそれで嬉しかったが、今はこちらも本物がいるのだから、兎に嫉妬などはしたくはないというのが本心だ。
だからこそこの虎猫にも、挨拶がてらのコミュニケーションとしてバーナビーは尋ねたのだ。
「あ、うん」
「では、失礼します」
良い返事がもらえたので一つ断わってからバーナビーは、虎猫に近づく。虎猫のイメージからすると比較的おとなしい印象を受ける。虎徹が抱えても、抵抗などはせずに、なすがままだからだ。まさかこれが借りてきた猫ということわざか。日本のことわざは奥深いとも実感する。
噛むような心配もないようなので、バーナビーは右手を差し出して、虎猫の背中に触れようとした。しかし、それは無理だった。
素早く察した虎猫は身をよじらせてから虎徹の手の中から逃げ、後ずさりをしたせいである。
「あれ…おかしいな」
まさかの事態に、虎徹も首をかしげる。
「もしかして、僕は嫌われているのでしょうか」
この虎猫…良く考えるとバーナビーの方をあまり見てない。
「いや、そんなことないと思うけど。うーん。そういえばコイツ、俺以外にあんまり懐かなかったな」
ぽんっと、今思い出したかのように虎徹は言う。
「虎徹さんは虎ですけど、僕は兎だからダメなのかな」
そういわれてみると、バーナビー自身も昔から動物の方に好かれるタイプというわけではなかった。別に猫が嫌いというわけではないが、動物は自分に好意を持ってない人間には近づかないと聞いたことがある。
「本当に嫌なら最初から逃げてるって。よしっ、じゃあバニー。捕まえて見せろ」
「えっ?」
その言葉を皮切りに走るのは虎猫の方だった。虎徹に促された形だったが、バーナビーも駆ける虎猫に近づく。逃げる。追いかける。そんな繰返しをぐるぐると庭内でやっている。ちょろちょろしているところを見て、どうやら嫌というより遊んでいるように見える。そして虎猫はついに手っ取り早くバーナビーから脱兎すべく、庭先からさえも逃げた。
「待て!」
虎徹に言われたがキッカケだったが、バーナビーもいつの間にか真剣に猫を追いかけていた。
やがて虎猫は、開きっぱなしの玄関に駆け込む。閉めなかったのは直ぐに虎徹とバーナビーが来ると思っていた安寿だったが、まさか虎猫に侵入されるとは思っていなかったのだろう。
バーナビーも直ぐに追いかけようにも、編み上げブーツは簡単に脱げる筈もない。
「ちょっ、バニー!靴、靴!!」
面白そうにバーナビーと虎猫のかけっこを眺めていた虎徹も追いかけてきたわけだったが、土足のまま玄関へと上がったバーナビーに驚いて、声を上げる。
「あ、すみません」
米国では靴を脱ぐ習慣がない為とはいえ、さすがにこれは失念をしていたと思い、バーナビーは和室の中間から玄関に戻るようへと廊下へと急いだ。

ゴンッ!
その瞬間に、にぶい物凄い音と、お星様が飛ぶような世界がバーナビーの中で巡った。
「おいっ、平気か?」
さっきまでちょっと笑っていた虎徹も、自業自得かもしれないがさすがにこれは痛いだろう…と思ったので、確認の言葉を出す。そこには、和室の鴨居に見事に頭をぶつけているバーナビーがいたのだから。
後からやってきた安寿は、青ざめて日本家屋の天井が低いことを謝り倒していた。












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