それはまるでキスから始まる魔法のようで

いつものようにバーナビーの自室のベッドサイドで、二人はのんびりとまどろんでいた。
「おはよう。バニーちゃん」
朝。寝起きで多少自堕落なだるい身体だったが、虎徹は髪を撫上げながら顔を向けて、始まりの言葉を出した。
「おはようございます。虎徹さん」
虎徹より先に起きていて、その寝顔や仕草をじんわりと眺めていたからこそ、バーナビーは満面の笑みを向けて言葉を返した。
流れるように虎徹の口元に右手を添えると、そのまま唇を指で軽くなぞってから、今度は深い挨拶としてのキスを施そうとした。

たったそれだけの事でも世界が変わる事がある―――



虎徹のキスの為に伏せた瞳が再び開かれた時、あった筈の唇のぬくもりはなかった。
それだけではない。先ほどまで居た筈のバーナビーの姿がないのはもちろんの事、まったく見知らぬベッドの上に居たのだ。置かれていた。
ただ、ベッドサイドにおかれた姿鏡だけが自分の存在を映し出している。
「えっ、あ?ここ、どこだ………」
簡素で無機質的な白亜を基調とした部屋は確かに薄い生活臭だけはあったが、見覚えなどは全くなく、虎徹はきょろきょろとしながらも、ただ戸惑った。一体、何が起こったんだと疑問を浮かべるばかりだ。先ほどまでいつもどおりの世界と生活が繰り広げられていた筈だったというのに。
「おはようございます。虎徹さん」
スッとスライド式の扉が軽く音を立てて開かれて、先ほどと全く同じ声がしんっと部屋に響いた。
「…誰だ?」
眉間に深いしわを刻み、警戒する声を虎徹は出した。同時にだらけていた体勢も前傾となり、少し身構える形となる。
「もちろんご存じでしょう。バーナビー・ブルックスJr.ですよ」
虎徹の目の前に現れた人物は、確かにバーナビーだった。その男が肩をすくめる仕草を見せるのもどこまでも重なっていて。
バーナビーと同じ顔同じ声同じ姿で…恰好だけはワイシャツとスラックスの上に白衣を身にまとっている様子だった。
「違う…」
何かはわからないが、それでも何かが決定的に違うと虎徹の本脳が痛いくらい訴えていた。これは、あのバーナビーではないという確固たるものが虎徹の中にあるのだ。それを表現するのはとても難しくはあっても。
「違くありませんよ?確かに僕はバーナビーですから。でも、確かに貴方の知っているバーナビーではありませんけど」
優雅にそう言う声もやはり全く同じだった。ただ、どこまでも余裕の表情を見せているのは、変わらない。
「どういうことだ?」
今の状態では、虎徹はこうやって疑問の声を出すしかない。自分に与えられた情報はあまりにも少なすぎた。
「パラレルワールドってご存知ですか?」
バーナビーに似合わないどこかの夢物語のような言葉を口に出してきた。それをも至極当たり前のようで、気落ちとされる。
「………何となくならな。もしかして、ここがそうだとでも言うのか?」
詳しい事なんてまるでわからないが、バーナビーから察する口ぶりからはそう言いたいのだと思うしかなかった。虎徹は、半信半疑のまま試しに利き手を軽く前に出して空気を伝う。変わらない空間だけがそこにあり続ける。
「ええ」
確固たる肯定の言葉しかバーナビーはこちらへ返さない。それ以外、言う事がまるでないみたいだ。
「簡単には信じられない…けど、お前がバーナビーだけどバーナビーじゃないっていうのは、何となくわかるよ。NEXT能力か何かか?」
虎徹は長年ヒーローとして活躍していたからこそ、色々なNEXT能力者と触れ合う機会が多かった。でも、これはNEXT能力という単純なカテゴリーを凌駕しているように思えた。それでも他の要因が思いつかなかったのだ。
「いいえ。この世界では、虎徹さんの居た世界とNEXT能力の扱いが違うので、それはあり得ません」
ふるふると簡単に何度かバーナビーは首を横に振る仕草を見せる。
「あり得ない?じゃあ、お前はハンドレットパワーを持っていないのか?」
そんなに違う世界だと虎徹は単純には思わなかったのだ。
室内や窓の外の様子がそれほど虎徹の見知っている世界とは変わらなかったし、バーナビーの様子も感覚が違うだけでそれほど違いを見つけるのは難しいくらいだったのだ。
だからこそ、嘘を言われているとは思わなかったが、それでも違和感は拭えない。
「いえ、ハンドレットパワーは持っていますよ。ただ…何て言えばいいんですかね。この世界でNEXT能力者は恐怖対象でしかないんですよ。能力はひた隠しにして生きていかないと、殺されてしまうと言えばわかりやすいですかね」
「な、なんで…そんな………」
迫害を、当たり前のような顔をして事実を述べられても、虎徹からすると言葉がとぎれとぎれになるくらいだ。確かに自分のいた世界でも差別されていなかったと言えば、それは嘘になる。だが、そこまで苛烈な状況には置かれていなかった筈だ。
「僕としてはむしろそちらの世界の方が疑問なんですけど。どうしてNEXT能力者が能力のない普通の人間と共存出来るのか、と。異端は排除される…ただ、それだけです」
バーナビーの口ぶりでは、NEXT能力者はただの奇人変人だと、つまらない言い方だった。
「それは、ヒーローがいて皆を守っているから」
虎徹としては、それが当たり前の世界で気がついた時は、そうやって生きていたのだ。そもそもの前提が違いすぎるというのか。
自分自身がヒーローだから特にそう思うのかもしれないが、それでも普通のNEXT能力者も自らの能力を生かして社会に貢献しているに違いない。そう、思っていた。
「この世界にヒーローはいません。確かそちらの世界だとマーベリックさんがシステム構築に貢献した筈ですけど、残念ながら彼は僕が幼少の頃、不慮の事故で亡くなりました。おかげでこちらでは僕の両親は健在ですけど」
ここでようやく世界の歯車の違いをバーナビーは示した。
ほんの少しだったが、たったそれだけでも、この世界を取り巻く環境は激変するという事態を。
パラレルワールドとしていくつ世界が存在しているのか、そんなことは知らない。それでも同じ平行世界でも、ここまで変化を遂げてしまう事実がここに落ちている。
「そうか…」
良かったな、とは言葉を続けることは虎徹にはとても出来なかった。
バーナビーの両親が生きている可能性があるなら素晴らしい。だが、それが誰かの不幸の上に成り立っているとしたら、単純に喜んではいけない事。これも数ある可能性の一つで、誰も死ぬことのない世界がもしかしたら存在しているのかもしれないのだから。
「僕は今、両親の研究所で働いています。その研究の最中、偶然パラレルワールドの可能性を知って…一年ほど前からそちらの世界を見ていました」
そこまで言うと、印象付けるようにバーナビーは姿鏡に手をやる。
「見るって…どうやって………」
まだあやふやだった。比較的ゆっくりと説明して貰っているのはわかるが、それでも虎徹の概念を突破する突飛な出来事であるには違いないのだから。
「NEXT能力が衰退している代わりかはわかりませんが、虎徹さんの居た世界よりは科学技術が進歩しているんです。詳しく説明してもよくわからないと思いますが、簡単に言うと機械を使って…向こうの世界の僕を通してだけですが…見ていたという感じですかね」
「こっちのバーナビーを?」
「はい。媒体が自分の方が接触しやすかったので」
ここで軽く胸に右手を当てて示す。
「何となくはわかったよ。で、何で俺はここにいる事になるんだ?」
それが、現時点で最も虎徹が知り得たいことだった。バーナビーの説明を全部頭から信じるのはそう簡単にはいかないが、それでも嘘をついている様子ではないと、それだけは確信をして、だからこそ一番の答えが欲しかった。
「虎徹さんに会いたいと思ったから、少し無理をしてこちらに来てもらいました」
「俺に?何で…」
「言ったでしょう?この世界にはヒーロー制度がないんです。僕と貴方はバディではない。鏑木・T・虎徹という人間が存在していてもヒーローじゃないからシュテンビルトにはいない。だから僕が必死に貴方を見つけてもなかなかみつからなくて…だったら違う世界の貴方を呼ぶ方が僕には簡単だったんです」
どこか天才の発想が崩れているような、そんな物言いだった。
「そこまでして、どうして………」
最大の疑問にぶつかる。バーナビーの言っている事はわかるが、それでも全ての感情を汲み取ることは到底不可能だったから。
「貴方を好きになったから―――長い間、見ていたのに触れ合う事も出来ずにもどかしかったんです。虎徹さんにずっと会いたかった」
そこでようやく決定的な言葉を投下した。
そのままバーナビーは、ベッドの上に座って居る虎徹をまるごと包み込むように上から抱きしめようとした。
「やめっ…」
何もかもが突然すぎて、頭がうまく働かなくて…それでも虎徹は覆うバーナビーの腕を払うようにじたばたと疎らに身動きした。好意を寄せられていようが、どこまでもいぶかしむしかないのだ。
「バニーって呼んで下さい。いつものように…」
ゆるく顎を掴まれたと思ったら次の瞬間には顔をこちらに上げられて、両頬を掴まれて切なく響くように伝えられる。
「嫌だっ。お前は、バニーじゃない!」
身震いがした。バーナビーと同じ仕草でそれをやられても、違う存在だとわかっているからこそ、その愛称を口に出す事は出来ないのだ。
「今は…そうですね。でも、大丈夫です。貴方のバーナビーはココにはいないんですから、直ぐに僕が成り代われますよ。ずっと…」
いさめるように子どもをあやすような口ぶりだったが、バーナビーは暗い瞳を持ったまま虎徹をベッドに落として押さえつける。
瞬間、青白く淡い閃光が訪れる―――
のしかかるバーナビーを退けるために、虎徹がハンドレットパワーを使ったのだ。もはや、なりふり構ってはいられなかった。
能力を使って力任せにバーナビーの身体を両手で押し退けると、彼はそのまま床へと軽く着地する。本気を出していないからこその軽い抵抗と言うことになり、二人はベッドを挟んで対峙する形となる。
「なるほど…他人がこの能力を使うとこうなるんですね。他のNEXT能力者と会ったことがなかったので、なかなか新鮮な感じです」
こんな状況でもバーナビーはふむふむと虎徹を観察するように眺める。そうして余裕の表情はまるで変えるつもりはないらしい。
「いいのか?お前も能力を使わなくて…俺はこのまま逃げるぞ」
その様子が若干癪に触って、虎徹は吐き捨てるように口をついた。
「わざわざ宣言してくれるのが、虎徹さんの甘いところなんですよ。
あ、逃げるの無理ですから。止めておいた方がいい。僕のデータで…ですけど、この部屋はハンドレットパワー程度では脱出出来ない強度を保ってありますので。無駄に怪我するだけですよ」
体感した感じで、あのバーナビーと虎徹のハンドレットパワーは同等と判断したらしい。だからこそ、バーナビーは冷静に現状を告げる。
「くっ…」
虎徹は顔をしかめる。それに大体、逃げたとしてもどうしようもなかった。全ての原因のバーナビー相手にしなければ、元の世界に戻る算段もないのだろうから。それでも無防備でいることは我慢がならず、何かしら抵抗しなければいられなかったのだ。
「そうですね…逃げる方法はありますよ。例えば僕を殺す…とか。一時間立てば能力復活するんですから何度もチャンスはあります。長い目で見れば、それが一番確実だと思いますよ。僕は根気よく貴方に付き合うつもりですから」
虎徹に能力を使われた際にずれた眼鏡を直しながら、バーナビーは平然とそう言った。
そうしてそのまま、再び虎徹に近づいてくる。びくりっと震えるこちらの様子を嬉しそうに見ながら。
軽く固まっている虎徹の両腕を丁寧に掴みあげると、わざとバーナビーは自身の首に手をかけてやる。指もきちんと絡めて。本当に嫌なら、その手で絞め殺せという暗示だ。それでも尚、表情は崩れない。
「………嫌だ…」
ここ一番に虎徹は震えた。バーナビーに成すがままにされていて、これでも今は声を震わすことしか出来なくて。
「どっちが?僕を殺すのが?それとも、この世界に居続けることが?」
自身の首を掴んでいる虎徹の手にそっと手を沿えながらも、軽く首を傾げてバーナビーはおどけて見せた。
「両方に決まってんだろ!いい加減にしろ!!!」
未だ能力が切れていないのはわかったが、それでも可能な限りの力で虎徹はバーナビーを右手で張り倒した。バチンッと軽快の良い音が無機質な部屋に響き、バーナビーの頬にぶつかると、適度にぶっ飛んで床へと無残に転がった。多分これは、転んだ衝撃の方が痛い。
「え、あ………お、おい…生きてるか?」
大分加減したとはしえ、そのまま死んだか?という感じだったのでびくびくとしながら虎徹は声をかける。
「…あ、いたた………」
どうやら平気なようだ。苦痛の声を出しながらも、一番に落っこちた肋骨を軽く押さえながらバーナビーは床の上へ座りこんだ。ただきちんと歯を食いしばっていなかったらしく、唇の端から僅かに鮮血が垣間見られた。自業自得だ。
「く、はは……はははは…………冗談ですよ」
右手で顔を覆いながら、バーナビーは軽快に笑った。
「は?」
「…すみません、脅迫して。虎徹さんを監禁するつもりなんてないです。きちんと元の世界にお返ししますよ」
虎徹に引っ叩かれて赤くなった頬を少しぬぐいながらもバーナビーは立ちあがり向き直って、明るく言った。
「あー、そりゃどうも」
何だか呆気にとられて、虎徹は反射的に言葉を返した。
「実は、偶然なんです。虎徹さんがこちらに来ることになったのは」
好青年が戻ってきたかのように、バーナビーは始めから事情を話し始めた。
「そ、そうなの?」
「ええ。想定外の出来ごとが重なっての、たまたまです。これが最初で最後ですから。もう二度とこんな事は無理です」
「そう…なのか………つーか、何で脅すようなことばっかり言ったわけ?」
未だに少しビクついているのは、そこが最大点に負に落ちなかったからだ。先ほどまでの全ての言動は、全てバーナビーの理にかなっているようにさえ思えたからこそ、信じた。
「ずっと思い描いていたんですよ。無理だとわかっていても、もし虎徹さんに出会えたら僕はどうするのかなって。そんな時、思わず貴方が来て下さったから舞い上がってしまって」
ふふっと笑いながらも、その出来事を口にする。
「舞い上がる?の結果があーゆー方向かよ。わけわかんねぇ…」
虎徹は頭を軽くかいて、盛大に不思議がった。このバーナビーではないとはいえ、それなりに付き合いも長くなってきたと思っていたが、まだ掴めない部分があるということか。
「まあ、とりあえず服着て下さい」
「え、あ…!」
ずっと気になっていたらしい事を指摘されて、慌てて虎徹はシーツで下半身を隠す。
そういえば、元々バーナビーのベッドにいたのだから無防備だったのだ。見られてそれほど恥ずかしい相手ではないという認識が頭の中にずっとあって、気にしていなかった。
「まさか初っ端から全裸の虎徹さんが来てくれるとは思わなかったなあ。本当に女神か天使かと思ったんですよ?」
冗談交じりに笑いながらも、壁の中に収納されたクローゼットから、適当な服を見繕って虎徹に手渡す。
「こんなおじさん相手に随分とからかうな」
開き直って苦笑しながらも、虎徹はいそいそと渡された服に身を通す。バーナビーの服だから多少サイズが大きいが、定番のワイシャツとズボンなので何とか見苦しくはない程度になる。
「からかってなんていませんよ。本心です。
…折角だから少し散歩に付き合って下さい。こんな機会もなければ、他の世界を見ることなんてないでしょうし」
至極あっさりと窓を開いて換気をしつつも、晴れやかにバーナビーは誘われたので、虎徹はとりあえず同調しておいた。



確かにバーナビーの言うとおり、この世界の科学技術は虎徹のいた世界よりやや進歩しているようだった。普通に空を車のような物が飛んだりしている。NEXT能力があれば出来ないことではないが、これが皆だと確かになかなか凄い物にみえる。
でも科学技術以外の根本は変わっていないようで、デジャヴはそれなりに感じる。年号も日付も全く同じだ。
多少警戒はしていたが、それでもバーナビーに連れていかれたのは本当に近くの公園だった。
まるで子どもを散歩させる程度の距離で、それは住宅街やマンションがあるからこそ定められた緑化設備という程度の遊具しかない印象が強い場所だった。何組かの親子連れと近所の子どもらしき男の子のグループが必死に砂場や遊具で遊んでいるのが見られる。
二人は特に会話もせずに、のんびりとただ緑の合間を歩いた。
「そういえば…この立地。何となく見覚えがあるような…」
窓の外の風景からも頭に引っかかっていたのだが、実際に出て見ると虎徹の疑問が更に浮かんだ。どこかで見たような…でも何かが違う。外観を見ればシュテルンビルトのゴールドステージだということはわかるが、それ以上に馴染みを感じたのだ。
「ええ、そちらで言うフォートレスタワーの出来た場所ですね。ここは元々ブルックス家の敷地でしたから、その後に作られたんです」
軽く手を広げてバーナビーは場所を示した。
「…それもマーベリックの仕業ってわけか。イラつくな…」
ちっと軽く舌打ちをして虎徹は内情を吐露する。そういえば記念式典をテレビで見た記憶があるからだ。
「そうですね…別の世界の事とはいえ複雑な気持ちです」
「そうだな…」
虎徹もそうだった。完全に幸せな世界なんて存在していないのかもしれないけど、だからと言ってNEXT能力者が差別されまくっているこの世界に納得がいっているわけでもない。それでも違う世界の自分に何かが出来るとかそこまで具体的に思えるわけではなくて、歯がゆかった。こちらの世界もそうだが、過去は取り返せない。手元に用意されているのは未来しかないのだから。
「………ん?あの子………」
何だか色々と考えている間にきょろきょろしていたら、目ざとく虎徹の視界に一人の男の子が目に入った。気質的に自然とその子に近づく形となる。
「どうしたんだ〜」
大きな木の下で途方に暮れている男の子に不信そうにされないように、さり気無く虎徹は娘にかけるような猫なで声を出した。
「風船…」
一言だけ悲しそうにしゃべり、男の子は空を指差した。その表情は子供らしく不安に満ちている。
「あ、あれか。ひっかかってるな」
見上げた先は空ではなく、大木の上方だった。青い空に映えるような青い風船が、枝にひっかかっている。それもかなり高い位置だ。多分、虎徹の身長の軽く三倍はあるだろう。どうするかな…と頭をひねる。木を登るとしても下の方は枝葉もないのでハシゴか何かないと無理だ。
「僕が行きます」
そうバーナビーに一声かけられると、能力を発動させる色が見える。ワンテンポほどステップを入れると足のバネを使い一気にジャンプした。狙いに狂いはない。右手で、風船の紐の中ほどを掴むと、そのまま風船を枝葉に引っ掛けないように軌道を外して、見事に着地した。砂埃がいくつか舞う。
「はい。次からは気をつけるんだよ」
「すごーい!お兄ちゃん、何者???」
手渡された風船を大切そうに引っ張りながらも男の子はバーナビーに好奇心の目を向けた。
バーナビーはこういうことに慣れていないらしく、困ったような顔を向けるだけだ。それに能力のこともある。
「あ、えーとな。俺たちは、ヒーローだよ!市民を助けるスーパーヒーロー!!」
虎徹が苦しい言葉で無理やりフォローの声をかける。我ながらぎこちない言葉しか出ないなと言いながら思う。
「そっかぁ〜ありがとう。ヒーロー!バイバーイ〜〜〜」
男の子は両腕でぶんぶんっと手をふって感激を表わすと、遠くに居た母親に呼ばれたらしく、また大げさにさようならの言葉を出した。
虎徹とバーナビーは軽く右手を振って、しばらくその姿を見守った。
「………大丈夫だったのか?能力使って…」
「さっきは大げさに言いましたけど、そこまではNEXT能力者が迫害されているってわけじゃないんです。それに…あんなに小さい子じゃ、僕が能力使ったなんてわかりませんよ」
「そっか、良かった」
ここでようやく虎徹は、ほっと胸を撫で下ろす。
「でも、初めてです。僕が家族以外の前で能力使ったの…今まではひた隠しにしていました。やっぱり虎徹さんって他人を感化させやすいんですね」
「それ、褒めてんの?」
「ええ、もちろん。ヒーローってチャチな響きだと今まで思っていましたが、なかなか悪くないかもしれませんね。僕は今、研究者の道を歩んでいますが…出来たらいつか科学の方面からNEXT能力者が認められればいい………そう思っています。なかなか難しいとは思いますが」
やはりマーベリックが進んできた道が全て正しかったとはなかなか納得いかないのだろう。バーナビーはバーナビーなりに自分が頑張る道を明るみにした。
「そうだな。大変だと思うけど、頑張れよ」
ぽんっとバーナビーの肩に手を置いて、虎徹は声援を送った。何もかもがネガティブだったわけじゃないということに安心したのだ。だからこそ、辛くても成功してもらいたいのだ。
「はい。両親にも手伝って貰う形にはなると思いますが」
「出来たら、俺も応援したいけど………」
思わずいつものようにそう言ってしまった後に、はっとして虎徹は言葉を区切る。言葉は続かない。だって、虎徹はこの世界の人間ではないのだから。
「その気持ちだけで十分ですよ。我が侭に付き合ってもらってありがとうございました。さあ、元の世界に戻しますので僕の家に帰りましょう」
バーナビーは虎徹の方を振り向かず、ただ来た道を帰るように先を歩いた。追及もせずに。だから、虎徹もただ無言で続くしかなかった。



「お待たせしました。準備が整いました」
バーナビーの言うその機械は隣の部屋にごちゃごちゃとあるらしい。最初に居た部屋はやっぱり普通にバーナビーの寝室だったらしく、そこで数十分待っていた虎徹にようやく声がかかる。
「いよいよ…か。悪かったな。引っ叩いたりして」
未だにバーナビーの顔の腫れはひいていない。それが若干心残りだ。色白だし、ハンサムだからこそ余計に目立つ気がする。
「いえ、叩かれる程度の事はしましたから。ここでの出来事は、夢だと思って忘れて下さい。もう二度と会えないんですから」
酷い仕打ちをした自覚はあるようで、バーナビーは少し目を伏せて言った。
「ごめんな、否定して…」
こちらのバーナビーは、こちらの世界なりに恵まれない子供だったのかもしれない。ほんの少しかみ合わないだけでも世界は変わって、でも根本は同じだった。巡る運命が一緒ならばこそ、今の虎徹とバーナビーの関係が存在しうるのだから。
「本当は虎徹さんに会ったら、何かが劇的に変わると思っていました。でも、違った。貴方は変わらない―――僕が自分自身で変わらないといけなかったんですね」
揺るぎない虎徹の信念に感化されたように、くるりと前を向いてバーナビーは真の通った声を出す。
「お前…本当は………」
「それ以上、言わないでやって下さい。貴方の身を保証出来なくなりますから。少し自暴自棄になっていただけです。勝手に期待して失望して、馬鹿なんです」
若干湿っぽくバーナビーは声を落とす。所詮、恋人同士ではないとわかっていても疑似恋愛を望んだことは冗談ではなく本心の一部だったことに曇りはないようで。
「悪い…」
「気にしないで下さい。さあ、心の準備はいいですか?来た時と同様、痛みとかはないとは思いますが…」
いつまでもこの話題を続けるのも嫌だったらしく、バーナビーは突如切り替えた。
「ちょっと、待った!」
だからこそ、制止するように虎徹は右手を大きく開いて突き出した。
「はい?」
突然テンポを崩されたかのように、バーナビーは驚きの声を上げる。まさか止められるとは思っていなかったようだ。これで終わりという気持ちでいっぱいで。
「これ、やるよ」
そう言いながら、小さく折りたたんだメモの切れ端のようなものを虎徹はバーナビーに手渡す。反射的に受け取ったバーナビーは、取りこぼさないようにしつつも、四つ折りのメモを開いた。
「これは………どこかの住所ですか?」
メモには、馴染みのない地区の地名と番号がいくつか並んでいるのが見られた。知らない場所だったからこそ今のバーナビーは?マークでいっぱいだろう。
「俺んちの住所。まあ、実家の方だけど。シュテルンビルトに鏑木・T・虎徹はいないんだろ?なら多分実家にそのままいるだろうから。もし俺がいなかったとしても、あそこは昔から鏑木家だから売り払うって事もないだろうし、消息ぐらいは掴めるだろ」
にかっと笑いながら、虎徹はなるべく明るくそう言った。これで終わりだからこそ。
「どうして…教えてくれるんですか?あんな…酷いことをしたのに………」
情けなくも少しばかりバーナビーの声は震えているようにさえ見えた。
「だって、お前…俺に何にも聞かないじゃん。逆に何で聞かないの?って感じだよ」
実際はあまのじゃくだった。脅迫され教えろと言われた時に、虎徹はこの住所を教えただろうか。今となってはわからない。自分ではなくこの世界の鏑木・T・虎徹を身代わりにするような形を望んだのだろうか。だからこそ若干の葛藤もありつつ、書いて………渡したのだ。このバーナビーならきっと大丈夫だと、最後には確信として思えたからこそ、今がある。
「………怖かったんです。向こうの世界の貴方にまで拒否されるのが…」
メモを握りしめてバーナビーは本心を打ち明ける。
「馬鹿だなぁ。たとえ世界が違っても、俺がお前を嫌いになったりしないから」
「ありがとうございます。その言葉だけでも僕は救われた…………
さあ、そろそろ時間です」
導くようにバーナビーは左手を前に出す。
「貴方がこの世界に来る前に、向こうの僕と最後にしていたのがキスでしたね。本当は、それをするのが確実なんでしょうけど………目を閉じて」
バーナビーは軽く自身の右手の甲に唇を寄せると、離したそれを、虎徹の唇に持っていく姿が最後に見えた。それが、餞別の間接キス。
虎徹は閉じた唇の中だけで、ばいばい…と呟いた。
最後の光景は何とも明るく優しい気持ちだったから。





来るのも一瞬だったが、戻るのも本当に一瞬で。
多少の眩暈があったが…瞳を開いた先にあったのは、馴染みのあるバーナビーの部屋だった。
「………戻った、のか」
何だか初めてこの部屋に来た時のように絶えず左右を確認してしまう。知っている筈なのに、簡単には慣れない感覚だ。
「…虎徹さん?服が違う……………もしかして、虎徹さん?!」
次の瞬間には、おっかなびっくりな様子を見せたバーナビーが部屋に飛び込んでくる。
「よっ、バニーちゃん。ただいま」
ああ、いつものバーナビーだ。やっぱり安心してしまう。泣かないように虎徹は、なるべくいつもどおりに明るく声をかけた。
「虎徹さん。虎徹さん!本当に虎徹さんですよね?本物ですよね?」
余裕がないからこそ、バーナビーは全力で抱きついてくる。少し痛いが、虎徹は我慢をする。自分のせいではないとはいえ、心配をかけた自覚はそれなりにあったから、なされるがままだ。
「本物だって。悪かったな、突然いなくなって」
ぽんぽんっと頭をなでるかのように、そのバーナビーの金の髪に触れる。何だかそれさえ、とても懐かしいような気がしてしまう魔法。
「本当に驚いたんですよ。突然、貴方は…僕の事知らないっとか、言いだして………」
「は?どういうこと???」
ここで予想外のバーナビーの声が飛んできた。
「聞きたいのはこっちの方です。貴方が、僕の事を忘れているだけじゃないですよ。ヒーローなんて知らないだとか、シュテルンビルトに住んでないとか、NEXT能力をためらったり…話をすればするほどキリがありません!」
「あーまさか。もしかして………」
ここで一つの仮定に行き亘る。向こうの世界のバーナビーがどうやったのかは詳しく知り得なかったが、よもやこちらの世界の虎徹と向こうの世界の虎徹が入れ替わった?とか。向こうのバーナビーは偶然だと言っていたが、未だにわからないパラレルワールドが存在するとしたら同じ世界に同じ人間が二人存在する事を許さなかったのかもしれない。そうなると、さきほどまでここに居たのは向こうの鏑木・T・虎徹ということになり、そりゃあバーナビーの事なんて知らないだろう。互いに戸惑う気持ちもわかる。
「何、一人で納得してるんですか。説明して下さいよ!」
置いてきぼりを嫌がったようで、いつもより張り上げた声でバーナビーが迫ってくる。
「そうだな…何から話していいやら」
押し迫ってきたから宥めて、虎徹はゆっくりとあの出来事を話した………





「なるほど。何となく事情はわかりました。これが虎徹さんの口から出た出来事じゃなかったら、到底信じられないですけど」
「ま、気持ちはわかるよ。俺も未だに白昼夢かと思うくらいだし」
思いだすのもあやふやで、こうやって口にしないで黙ったままだったから、本当にあの時バーナビーが言っていたように夢として忘れてしまったかもしれない。衝撃的すぎるとこうなるのだろうか。
「でも確かに僕の前に現れた虎徹さんは、それで間違っていないと思います」
何となく覚えがあるようで、バーナビーは確信を口にする。
「へぇ、やっぱりそうなんだ。で、向こうの世界の俺ってどんな感じだった?」
折角の機会なので、虎徹は興味津津に聞いてみる。あちらの世界のバーナビーもあまり変わらないような気がしたが、自分と同じ存在となるとまた話は別だ。ヒーローではないのだし、何が違うのだろうと思う。
「どんな感じ…と言われても、やっぱり虎徹さんは虎徹さんだったような気がします」
「何、それ…つまんねーの」
意外と普通の回答をされて、ぶつくさと小言を口にしながらも虎徹は残念がる。まあ劇的に別人っていうのも少し嫌なのだが。
「そちらはいいじゃないですか。きちんと事情を話していたんですから、こっちなんて両方わけがわからなくて………大変だったんですよ。ほらっ、見て下さい」
そうやって言葉を区切ると、次に強調するように、バーナビーは自身の右手の頬を示した。
「ん?もしかして腫れてる?」
何だろう…と虎徹が覗き込むと、確かにバーナビーの整った造形の中で頬が軽く赤くなっているのがわかる。これは、前にはなかったはずだ。
「最初、わかんなくて…いつもの虎徹さんだと思っていましたから、押し倒したら………張り倒されたんですよ。能力も使っていたし、本当に痛かったです!」
「は、ははは………何だ。それ…やっぱり、バニーはみんな同じ事すんだな」
自分もバーナビーに押し倒されて、頬を引っ叩いた事を思い出して、虎徹は腹を抱えて笑った。
しかし、これであっちのバーナビーのハードルが上がったに違いない。
住所渡したから、二人が会うキッカケだけはお膳立てしたつもりだったが、いきなり全裸の男に押し倒されそうになったのだから、あっちの世界の自分の今のところのバーナビーの第一印象は最悪だろう。そこから挽回出来るか?頑張れとは思うけど。トラウマになっていないといいなとは思う。
でもきっと大丈夫だと虎徹は思った。
だって必ず、鏑木・T・虎徹はバーナビー・ブルックスJr.を好きになるだろうから――― 逆もまたしかり。
「同じ?ってどういうことですか、まさか………向こうの僕に何かされていないでしょうね?今すぐ確認します!」
あえて伏せていた部分はそれほどなかったが、それでもキスを畳みかけてこようと虎徹は勢い余ったバーナビーにのしかかられる。
「いーよ。来な、バニーちゃん」
浮気なんかしてねーよ、心外だな。という言葉は呑み込んで。虎徹は誘った。
こっちも…案外ダメダメかもしんないから。愛してる!を示して。











鏡 の 国 の T I G E R & B U N N Y 1
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