恋バナというものは、女性同士間だけでするものかと思っていたが、どうやら違ったらしい。
「えぇ!?ハンサムって付き合っている人がいるんだ…」
ふいに甲高いブルーローズことカリーナの声が飛び込んできたのは、まさしく偶然だったのかもしれない。
その時、虎徹はヒーローたちが賑わうトレーニングルームの窓際におかれた休憩用の長椅子に寝っ転がっていた。
ちょいとした休憩というやつだ。
虎徹が自分のペースで、そういった休憩をとることはいつものことで、他のみんなは既に呆れ慣れており、誰も気にするようなことはなかった。
丁度タイミング悪く若干の眠気を感じたが、さすがにこの場で堂々と寝るほど神経が図太いわけではない。一応仕事中だし。
疲れたーというようなふりをして、広い長椅子に横たわりながら、ぐでーっと体勢を崩して右手を開き軽く視界を遮って欠伸をこらえていた。
こうやってだらりっとしていると、特に意識しているわけではないが、周囲の音が良く聞こえる。
同じフロアでは、ロックバイソンことアントニオがウェイトトレーニングの一環としてバーベル・ベンチプレスに精を出す声が響く。
そういったトレーニングに励む音はいつものことと、別段気にならなかったが、さすがに先ほどのカリーナの声は聞き捨てすることは出来ず、虎徹は体勢を変えずに、ほんの少し聞き耳を立てた。
どうやら少し離れた場所で、カリーナとバーナビーが話をしているらしい。
若干おぼろげな虎徹の記憶によると、二人とも先ほどまでたまたま隣同士でランニングマシーンを使っていたので、水分補給がてら他愛のない会話になったのだろうと予想は出来る。
しかし、その内容はなかなか意外なものだった。
「なんですか。僕に付き合っている人がいるのは、駄目なんですか?」
幾分か怪訝を押し殺したような声でバーナビーが言葉を返しているのが、微かに聞こえる。
声の調子を聞いただけでもどんな様子だかありありとわかるくらいだ。
「えーと、いや。そういうわけじゃないけどさ…今までそんな素振り見せたことなかったし」
ぶんぶんっと両手を横に降るカリーナの驚きと戸惑いの言葉には、虎徹も全く同意だった。
パートナーである虎徹でさえ、そんなことは全く知らなかったし、彼女?がいるような印象さえさっぱり受けていなかったのだから。
やっぱりそういうことを隠すのもうまい方なのだろうか。
「僕は、顔を出してヒーローやっているんですから、そんなことがバレたらマスコミの格好の餌食でしょう?」
「うーん。そうだよね…大変かも」
ここでカリーナも、ヒーローテレビに私生活まで密着されているバーナビー様子を思い出したみたいだ。
自分だってブルーローズとして女王様やるのだって嫌なので、あそこまで付きまとわれるのはさすがに遠慮したいと思っている筈だ。
「まあ、別に僕はバレてもいいと思っていますけど、相手が嫌がると思うので」
さすがあくまでスマートにバーナビーは言うのが聞こえる。
「すっごい自信だね。でも…バレない?ていうか、デートとかどうしてんの」
まあお金の力とかを使えば、顧客のプライベートを秘密にしてくれるレストランやらあるだろうなとは思うが、それでもバーナビーは非常に目立つ男なので、素朴な疑問をぶつけたようだ。
「そうですね。昨日は、一緒に映画を見に行きましたが…仕方ないから色々と変装していますよ」
「うわっ、面倒。でも、そうまでするほどの相手なんだ。で、どんな子なの?」
ここは女子高生同士の恋バナのようなテンションで、思わずカリーナも聞いているようだ。
思わず身を乗り出したように、声高になっている。
「とても…とても可愛い人ですよ」
その言葉に全ての感嘆が混じっているような声をバーナビーは出した。
色男が色っぽく言うと犯罪のような感じだなと、変な意味で感心する。
「ひゃあ〜何それノロケ?」
もしかしたらここで少しカリーナは冗談交じりと共に顔を赤くしたかもしれない。
「もちろんです。愛しているので」
バニーちゃんにも、春が来たのかぁ………
と、トレーニングの時間が終わりさっぱりとシャワーを浴びた後にアポロンメディアのいつもの席に戻って来た虎徹は、ちらりと横に居るバーナビーを見つつ、おっさん臭くそう思った。
そんなことを面と向かってからかうように言ったら、どうせいつもみたいに怒るだろうから、やめておくが。
良く考えれば、バーナビーに付き合っている人がいない方が不自然かもしれない。と、ふむと心の中だけで、首をかしげる。
大体あのルックスだし、甘いマスクだし、まだ若いし、ランキング上位のヒーローだし………さしあたって、ここが駄目っていうのが同性の自分からしても思いつかない。
ただ、ヒーローやっているのは両親の仇を取るためだから、そういう余裕はないのかなー程度にしか考えていなかったが、恋愛なんて自由だろう。
実際、虎徹こそ結婚していたし可愛い可愛い娘もいるし、否定や忠告する方がおかしい。
非常に気になるが、どんな彼女なのかとか尋ねたりするのは駄目だろうなあと悟る。
パートナーなのに教えてもらえなかったことは残念だが、ここは陰ながら応援してやるっていうのが、年長者の余裕であろう。
しかし、デートとか妻が亡くなって以来してないし、いいなぁとか青春な甘酸っぱいことは思ってしまう。
虎徹だって映画見に行ったりしたが、見事にロンリーである。
まあ、仕方ないよな。と、若者をじと目で見た。
「さっきから、一体何ですか?」
さすがに何度か見ていたから、その視線に気がついたらしい。
向かっていたパソコンから目を離したバーナビーが、少しこちらを見ながら、いぶかしんでそう言う。
「いや、何でもない。ただ…バニーちゃんは、人気あっていいねって」
否定しながらも、つい隠しきれずにぽつりとそんなことを口に出してしまう。
「………おじさんも、『それなり』にはあるでしょう。昨日、ファンからプレゼント届いていましたよ。聞いてないんですか?」
「えっ!マジ?聞いてないしっ」
『それなり』という言葉が強調されていたが、気にしたら負けである。
ぶっちゃけネガティブになっているところに思わぬ朗報だ。
おそらく聞いていないというより、アポロンメディア内での虎徹の扱いがバーナビーに比べて悪いからこそ、そうなってしまったのだろうが。
「んじゃ、俺。そのまま帰るから」
急いでだらけていた椅子をしまうと虎徹は立ち上がり、よっと左手でアクションした。
壁時計を見れば一応定時はすぎているし残っているのは、それほど重要ではない稟議書といくつかの重要な始末書だけだったから、おのずと優先順位は決まって来る。
「…ちょっと………おじさん!」
呆れながらも呼びとめるバーナビーの声なんて、聞こえていても立ち止まるはずがなかった。
るんるんっと少し気味が悪いスキップするように待機フロアを出て行き、虎徹が一番に向かう部屋はだだ一つだけだ。
元々は倉庫の一つだったらしい、その部屋は、ワイルドタイガーとバーナビー・ブルックスJr.宛のファンからの贈り物が置かれている空間である。
と言うと、とても素晴らしい場所に聞こえるのだが、少しだけ…ほんの少しだけ虎徹が悲しくなる場所でもある。
だってほぼ、机の上はバーナビーへのプレゼントで溢れているのだから。
ああ…やっぱりバニーちゃんはモテモテであると虎徹は再認識する。
しっかし、こんなにファンがたくさんいるのに好かれているのに、その中から選んだ彼女さんは、相当バーナビーと釣り合い性格も良い人間に違いないだろう。
もし、その彼女に会うようなことがあったら、結構おじさんに対する言動や扱いは酷かったりするんだ。と暴露してやろうと心に誓った。完璧だなんて悔しいじゃないか。
さて…と、バーナビーファンのプレゼントを横目に、虎徹は自分宛のプレゼントが置かれてある小さな机に近寄った。
そこには、ちょこんっと片手大ほどの大きさの緑色の包みをしたプレゼント箱があった。
「おっ、これか」
ひょいっと箱を持ち上げた虎徹は、うっかり落とさないように大切に抱えて自宅に持ち帰った。
娘や母親と離れて独り身のような生活をしている虎徹の、家に帰った後のパターンは大体決まっている。
簡単に買ってきた材料や出来合いの物で夕食作り食べ、風呂には湯船までしっかりとつかり、ついでに歯を磨き、リビングでは適当にテレビをつけて興味のありそうなチャンネルに目を傾け、眠くなったらさっさと寝る。
タイミングが悪いと、この間に非常呼び出しが鳴るので、結構手早い方だ。
普段よりちょびっとそれらをこなした虎徹はベッドに向かう前に、ソファに腰掛けて持ち帰ったプレゼントの箱をテーブルに置いた。
濃紺のリボンを解き、包みを開けると、白い箱の上に手紙と思しき花柄の封筒があったので、ペーパーナイフを引き出しから取り出してざっと開き、しばし内容に目を通す。
「………いやぁ〜俺もまだまだ捨てたもんじゃないなぁ」
じんわりと噛み締めながらも、思わず顔が緩んで照れ、そんな独り言が出てしまうほどだった。
嬉しいことに、可愛い手紙の送り主は、どうやら女の子らしい。
言葉づかいから察するにおそらく愛娘と同じくらいの年代の子だろう。
要約すると、先日助けてくれたお礼が、簡単につたない字であったが書かれていた。
そう。正義の壊し屋という微妙な二つ名を持つワイルドタイガーだが、もちろん人命救助をする時だってあるのだ。
あまり人の顔を覚えていない自負さえある虎徹ではあるが、やっとこの女の子を助けた場面を思い出した。
あの子かぁ〜とぐるりと記憶を呼び覚ます。
やっぱり感謝されるのは嬉しくて仕方がない。
色々と会社はうるさいし、パートナーであるバニーちゃんは冷たいし、世間体も悪かったりするが、ヒーローやっていて良かったなあとじーんと感激した。
しかも、しかもだ。プレゼント箱には、女の子が母親と一緒に一生懸命作ったらしい手作りのクッキーまで入っている。
嬉しい。嬉しすぎる。本当に舞い上がりそうである。誰も部屋にいなからこそ、頬は盛大に緩んでいる自覚がある。
虎徹は、クッキーの入った包み紙を取りだすと解いて、早速食べようと向き直った。
その時だった。
「ん?」
虎徹の耳に飛び込んできたのは、設定してある玄関の電子音だった。
誰かが来たのだとわかった。
しかし、今は夜中に差し掛かっているくらいの時間帯である。
こんな時間にわざわざ勧誘とかあり得ないし、ピンポンダッシュという嫌な可能性もあるが、誰だろう?と疑問を覚えながらも、虎徹は空箱とクッキーをテーブルの上に置き、ソファから降りて玄関に向かった。
相手を確認しようと目の前にやって来ると、がちゃり…とロックを外しても居ないのに扉が勝手に開いた。
「え?え、え、?つか、バニーちゃん???」
狭い玄関の向こうにいたのは、バーナビーであった。
別段変わりもない普段通りの表情と姿で立っている。
え、何だろう…と虎徹は意味がわからなかった。
そもそも何でバーナビーがうちにやって来たというか、家を知っているんだろう。
虎徹はバーナビーの家に押し掛けたことがあるが、バーナビーに家を教えたことはない。
別に聞かれれば答えるが聞かれたこともなかったし。
確かに上司であるロイズさんあたりに聞けば、虎徹の家くらい簡単にわかるだろうが、何かがおかしい。
それに鍵………?自分はロックするのを忘れていたっけなと、記憶を手繰る。
虎徹の住んでいるブロンズステージはお世辞にも治安が良い方ではない。
ヒーローやっている虎徹の身の危険を感じると言うわけではないが、一応は施錠を忘れたりはしていない筈だ。
だが、バーナビーはそれらの疑問の言葉には一切答えるそぶりさえ見せず、一言も発しないまま虎徹の横をすり抜けて、真っ直ぐと廊下をずんずんと進む。
その足取りに淀みなどまるでない。
初めて訪れたはずなのに、勝手知ったる家のようにつかつかと間仕切りを抜けてリビングへと向かった。
何が何だかわからないが、茫然としながらも虎徹も慌てて後を追った。
少し遅れて虎徹がリビングに入った時、バーナビーは顔の前まで持ち上げた右手の上に何かを持っていた。
クッキーだ。先ほどまさに虎徹が食べようとしたクッキーをバーナビーはじっと眺めている。
「ど、どうしたの?」
その虎徹の言葉も耳に入っていないように、バーナビーは右手の上のクッキーをぐしゃりと潰した。
まさにあっという間の出来事であった。
「なっ!」
虎徹が叫んだ時は何もかもが手遅れだった。
次の瞬間には、手の中で瞬時に砕け散ったクッキーをバーナビーはボロボロと零す。
続いて残ったクッキーの入っている透明な袋ごと床に思い切り叩きつけ、ブーツの踵でぐりぐりとすり潰した。
無残にも残骸となったクッキーを見降ろしながら、バーナビーはパンパンっと思い切り両手を叩いて、手に残ったゴミ屑を払った。
「バニー!何するんだよ!!」
最初はわけもわからず傍観していたが、やっと目の前の惨劇を自覚し、虎徹は怒鳴った。
まだ一口さえ味わっていないクッキーだっというのに、何てことをしてくれるんだ。
「何……?じゃあ、ありませんよ。手作りなんて、何が入っているかわからない物………食べようとするなんて」
怒っているのは虎徹の方の筈に、より深い静かな怒りをバーナビーは見せてささやき、再びクッキーに一瞥を下した。
「だからって!こんなこと………」
続く虎徹の怒りの声は届かなかったらしい。
バーナビーは、今度はプレゼントの入っていた白い箱を取り上げて、ビリビリと音を立てて小さくちぎって行く。
白い箱だった物体が、紙吹雪ぐらいの大きさになり、辺りに舞い散る。
「箱は関係ないだろ!」
「ありますよ。もしかしたら、何か仕込んであるかもしれません」
噛み付くような虎徹の声を軽く受け流しながらも、バーナビーは注意深く忠告の言葉を投げつけた。
凄惨に全部ちぎり捨てたところで、何もなくて良かったという安堵の表情さえ浮かべて。
「そんなことあるわけな…」
「何を言っているんですか。だって貴方は…僕がこの家に仕込んだ監視カメラにも盗聴器にも気がついていないじゃないですか」
再び叫んだ虎徹の言葉を途中で遮り、バーナビーは恐ろしいことをあっさりと言い放った。
「え?」
何だ…一体今バーナビーが何を言ったのか、虎徹にはわからなかった。
いや、わかりたいと思わなかったのだ。
監視カメラ?盗聴器?…………そんなバーナビーにはふさわしくない物体の名前が言い放たれるのをどこか遠くで聞いているようだった。
「………バニー…ちゃん。嘘、だよね?冗談………だよな」
先ほどからの疑問のパズルが全て当てはまったが、到底信じられない内容なので、否定して欲しくて枯れた笑いを伴いながら虎徹は尋ねる。
「僕が貴方に嘘をつくメリットでもあるんですか?」
バーナビーの方こそ何をおかしいことを言っているんだ?というくらいな表情を向けた。
「…何で?」
まだ頭が正常に動かないが、唇だけ何とか動かして虎徹はその声を出した。
続きの言葉を聞きたいわけじゃなかったけど、勝手に疑問の言葉を発してしまったのだ。
「貴方を愛しているからに決まっているじゃないですか」
にっこりと笑った後に、至極当然な言葉を真摯にバーナビーは告げた。
それ以外に何の理由があって、そんなことをする必要があるのだろうと、わからないほど。
「…だ…って………今日、ブルーローズと……話していた…よな?………付き合っている…人が、…いるって……………」
突然の屈折した愛の告白を受けて、マトモに受け答えられるほど虎徹の頭の中は動いていなかった。
ただ、疑問だけを途切れ途切れに呟く。
自分はバーナビーの付き合っている相手をそれなりに受け入れようとしていた矢先だった筈なのに、まるで世界が変わってしまったかのようだった。
「聞いていたんですか。だから、貴方と僕は付き合っているじゃないですか。昨日だって、一緒に映画を見に行ったでしょう?」
しかし、バーナビーは平然とした顔で、虎徹を奈落へ落とす言葉を酷薄に発した。
「………映…画?」
もう虎徹の頭が正常に動く筈もなかった。
自分は確かに昨日映画を見に行った。それは間違いないことだった。
でもそれはただの暇つぶしで、一人だった。一人だった筈だ。
しかし、本当に一人だったと言えるだろうか。わからない…わからない……………
「どうやら貴方の中の付き合っている定義は違うようですけど、別に僕は気にしていませんよ。
いつも見ていますからね。安心ていて下さい」
それだけ勝手に言い放つと、バーナビーは何事もなかったかのように、リビングから出て行った。
薄い扉の遠くでは、バーナビーが玄関から出て、外からガチャリと鍵をかける音がしたような気がした。