僕は、兎です。
品種でいうとネザーランド ドワーフですかね。
兎としての両親はブリーダーの元で産む機械となっています。兎はとても多産で、僕はその時に産まれた中では一番早く産まれましたが、後の兄弟のことは知りません。
僕の毛色は色素の薄い金色で瞳の色も薄い緑。とても珍しいということで、最初からブリーダーには注目をされて、母兎の手を離れる時期になると早々に売られて行きました。
それなりの値段の僕を買ったのは、複数のホテル経営をしていた女社長で今は旦那と死別して未亡人。年をとったので会社の肩書きを息子に譲り、自分はちゃっかり代表権だけは握って、それでも暇だからという理由で毛色の変わった動物を飼い集めている女性です。
兎としての両親の名前を直接知る機会はありませんでしたが、血統書上の名前ならわかります。現在、僕の飼い主がつけている名前は、また別にありますが、僕には生まれる前からきちんと名前があるんです。
バーナビー・ブルックスJr.…それが本当の僕の名前です。
僕は今でこそ兎ですが、前はきちんと人間でした。
前がどれくらい前かというのもはっきりわかります。といっても、それは兎として産まれる前の話ですが。
宗教には特に興味がなかったので死した後の世界とかに真剣に思い向かったことはなかったのですが、どうやら僕は前世の記憶を持って生まれ変わる性質なようです。詳しくはわかりません。他の人がどうかと聞いたこともないです。
隣にいる僕の伴侶としてあてがわれた雌兎と意志疎通できるわけではありませんし、ただ隣に居るだけの存在という程度でどうでもいいです。
とにかく僕が産まれて一年になる頃には随分と自我が芽生えて、かなりこの屋敷にも慣れました。兎の一歳は人間で言う二十歳らしいですけど、元々僕の意識は人間なので感覚としては微妙でした。
僕の飼い主の住まいは、首都郊外の別荘を豪華に改装した屋敷なのですが、飼い主はコレクション精神が高いだけで比較的僕たち動物の行動に制限を与えてはいませんでした。一応、寝床として新しい兎部屋などは作ってくれましたが。普通の収入を得ている人間よりは上等な部屋だと思います。贅沢ですね。
だから僕が望もうとすれば、好き勝手に屋敷内を動き回ることができるんです。この点だけは、飼い主に感謝したいと常々思っています。
兎の指は肉球は無いですし、人間のように機能的でないのが残念ですが、僕は飼い主や使用人の目を盗んで、この世界におけるパソコンなどのハイテク機器でずっと情報収集をしていました。
どうやら僕が、本当のバーナビー・ブルックスJr.と名乗っていた時代より200年ほど経過しているようです。月日の年月は早いものですね。
さて、ようやく近況状況は把握出来ました。兎として一人…いや一匹ですか、生き延びる術も学びました。
僕は旅に出なければなりません。出来たら、一般的に兎の寿命と言われている十年内に見つけられればいいのですが。
兎に荷物なんて無理ですから、身一つ。僕は計画していたルートであっさりと屋敷を脱走しました。二度とこの場所に戻ってくることはないでしょう。
そうして、僕の虎徹さんを探す旅は始まりました。
虎徹さんは、僕の運命の相手なのです。
こうやって僕が虎徹さんを探すのも何回目でしょうか?必ずめぐり合う運命だから大丈夫だとはわかっていますが、僕自身が兎というパターンは初めてなので難航しそうですね。
虎徹さんも僕と同じく転生を繰り返しています。確か前回は都合よく二人共に人間でしたよ。素晴らしい。ただ、虎徹さんが悲しいことに不慮の事故で亡くなってしまっていたので、僕も後追い自殺しましたが。一緒に死ねないと転生時期がずれちゃうじゃないですが、やっぱり心中は一番だなと、あのときは感じました。
特に神様を信じているわけではないですけど、二人が必ず会う場所は最初に出会った場所のシュテルンビルトと決まっています。
僕は屋敷に出入りしている宅配業者のトラックに潜り込んで、かつてのシュテルンビルトへ降り立ちました。
今は名前も変わってしまったみたいですが、未だに国の首都として進化をし続けているようです。傍目から見ても、基本構造は変わっていないので新しく得た情報と昔の地の利はまだ役立つかなと思いました。
さて、今は5重構造と進化したこの首都は3000万人都市となっていて、僕は3000万人の中からたった一人の虎徹さんを探さなければいけません。骨が折れそうですね。
既に芸能人や財界人などの有名人は調べ尽くしましたが、虎徹さんはそのカテゴリーには入っていないようでした。
転生したのですから名前も顔も違うので、僕としても毎回選別は非常に難しいんですけど、なんて表現したらいいんでしょうか。見ればわかるんですよ。この人は虎徹さんだって。
ともかく個人情報の厳しくなったこの世界では地道に探すしかないと悟ったわけで、僕はシュテルンビルトに乗り込んだわけです。
もちろん探すのは難航しました。3000万人の中からという大変さではなく、僕自身が兎であることが非常に厄介でした。
多分僕がバーナビーとしていた時代よりはペットが多様化しているとは思うのですが、それでも古今東西として、主流は犬猫であることに代わりはないです。
家の中ならばともかく外で兎を見かけるなんて、学校や動物園やペットショップでのふれあいコーナーや、広い公園でうさんぽをしているか、山奥に住まう野良しか機会がありません。そう考えると一匹で外を歩く僕の姿は非常に目立つのです。
野犬や野良猫やカラスに襲われることはしょっちゅうでしたが、一番の敵は人間ですね。僕は毛色や瞳の色からしても目立つ部類ですし。悪ふざけしがちな子供より、高値で売り払おうとしている大人の方が狡猾でした。
しかし、僕はただの兎ではありません。兎だって本気を出せば、常時80キロ走れるのです。その為のトレーニングは怠りませんでしたし、何より人間を知っているからこそ巧みに逃げる方法はいくらでもありました。
あまりに人間が多い場所へ出向く時は、長い耳を隠して猫のように偽装したりすることもありましたが、あれは屈辱でした。生まれ変わって人間でなかったことをある程度は悲観していますが、僕は兎という存在自体は比較的気に入っているし、愛着もありますから。それはもちろん、僕の愛する虎徹さんがバニーという愛称をつけてくれたからに違いはありませんよ。
そうして虎徹さんを探し続けてシュテルンビルトで7回目の冬を迎えました。
特に兎の身体能力事態が高いというわけでもないのに、無理な生活をし続けていた為、僕は平均寿命よりかなり年をとっている感覚に襲われてしまいました。本来の兎は必要以外寝ている事が多い宿命だったと気が付いたのは最近で、残念です。節々が痛みだして、この身体もそろそろ限界だと告げています。想像以上に年数もかかってしまいました。
虎徹さんは一体どこにいるのでしょうか?
人間以外の可能性も探してありとあらゆる有機物にも近づいてみました。
もしかしたらもう亡くなってしまったのかもしれないと思って、その残骸のありそうな墓場や果ては海の中まで探しました。
ああ…ダメなのでしょうか。今まで巡り会えていたのは奇跡で、もう二度と虎徹さんに会うことは出来ないのかもしれない。虎徹さんに会いたい―――
そんな時でした。ようやく、僕の全身の毛が逆立ったのは。見なくてもよかったんです。ただ、近くにその気配を…空気を…感じただけで、直感的に響いてくる鼓動がありました。
彼は虎徹さんに間違いない!そう確信しました。
僕が以前にバーナビーとして初めて会った時より随分と若い印象を受ける男性の姿でしたけど、見間違える筈がありません。
悲痛を訴えながらも飛び込みたい衝動を抑えて、僕は何度か深呼吸しました。
端から見れば、僕はちょっと変わったただの野良兎にしか見えません。試しに何度か訓練しましたが兎に声帯はないので人間の言葉を話せるわけでもないです。必要とあらば、なんとか文字書き程度は出来ますが。
こんな状態で僕がただ虎徹さんの前に姿を表しただけじゃダメなのだとわかっていました。
だから、僕は虎徹さんをしばらく注意深く観察することにしました。
転生を繰り返してわかったことですが、どんなに虎徹さんの容姿は変われども、その根本の性格はまるで変わらないのです。だからこそ僕が毎回虎徹さんを追い続ける理由にもなるのですが。
今回僕が出会った虎徹さんは、人間としての生活に失敗しているようでした。
残念ながらヒーローという職業にもつくことは出来ず、その性格の真っ直ぐさが暗転してしまい、安定的な職業に就く事は出来ていない様子。力仕事を中心とした日雇いの仕事で毎日を凌いでいるようでした。
その姿は一目瞭然で、みすぼらしいチューリップハットとポンチョを身にまとい、寒さに耐えるように公園の片隅でゴミを燃やしたその炎に当たっています。世間一般的に言うと、これはホームレスという部類に入るのでしょうか。
僕は虎徹さんが裕福だろうと貧乏だろうと虎徹さんですから、どうでもいいのですが。ああ…でも虎徹さん自身は気にしていそうです。だから、どうしようかと悩みました。
このまま虎徹さんに会ったとしても、何か好転するでしょうか。いくら過去の知識を積んでいる僕の頭脳がそれなりに役に立ったとしても、所詮僕は兎です。小動物の部類に入る力なき存在では、限界を感じます。そして、この身体も…もう長くは持たないでしょう。だったら…だからこそ唯一出来る事をしようと、そう思いました。
それを決心してからの僕の行動は早かったと思います。
虎徹さんが住まう公園の目の前には高規格幹線道路があります。
片道だけども五車線を有するシュテルンビルト屈指の主要道路です。信号と信号の間隔はとても長く、横断歩道も見当たりませんのでスピードを出すのは好都合ということで一応自動速度違反取締装置(オービス)が備えられていますが、さすがに深夜の相当変な時間帯ではない限り、それに引っかかるというスピードは出せない程度。ちょうどいいと僕は感じました。
今日の虎徹さんは日雇いの仕事は取れなかったようで、やることもないらしく、薪の前でじっと炎を見つめています。
朝の通勤ラッシュという混み合いが終わった時間は、業務用トラックと仕事先を移動するセダンと買い物に出かける主婦の車ぐらいしか見当たらなくなりました。
僕は道路の傍で、じっと狙いが来るのを待ち続けました。それはそんなに長い時間ではなかったと思います。
音が聞こえます。車とは違う独特のエンジンとモーター音が。
左折目的と思われるヨーロピアンタイプのオートバイが、道路の一番左側をそれでも猛スピードで駆け抜けようとしていました。
僕は後ろ脚を思い切り蹴ってガードルの下を潜り、そのオートバイ目掛けて走りだしました。
そうして―――狙い通り見事に僕とオートバイは激突に成功したようで、僕の長い耳には余るほどのうるさい雑音が脳内を襲います。
ああ、こういう時って本当にスローモーションになるのだなと変に感心しながらも、僕はオートバイのタイヤに半分巻き込まれて、吹っ飛びました。ヘルメットの逆光に写る自分の身体は簡単に脆さを表現してくれます。
生まれて初めて宙を浮いたような奇妙な感覚がコマ単位で訪れましたが、次に存在の確認をした時には僕の投げ出された肢体は霜が浮くほど冷たい土の上へとぐちゃりと落下して、何度かその場で軽い全身がバウンドした事を認識しました。ああ…とても、うまくいきました。
薄い肋骨に守られていた内臓が気圧でひしゃげて潰されましたが、痛みから無駄に無様な声を出さないのが都合の良い身体だなと思いました。さすがにそんな姿は虎徹さんに晒したくはないから。
僕が当たりに行ったオートバイがどうなったのかもはや確認出来ませんが、これも運命ですから仕方ないですね。無事ではすまないでしょうが、必要犠牲だと割り切ります。ただ後ろで大騒ぎになっているざわついた音だけは聞こえましたが、僕も今は忙しいのです。
最終的に着地をした角度的には僕の狙いからそれほど離れていなくて、ここは神に感謝を述べようと思いました。
そうです。薪にあたる虎徹さんの目の前なのですから。
嬉しい事に僕が何とか顔を上げると虎徹さんが驚愕の眼差しでこちらを見てくれました。
この姿で会うのは初めてですね。お久しぶりです、虎徹さん―――あまりお元気ではなかったようですが。
この瞳で会話が樹立しているだなんて幻想は思ってもいませんが、僕はそう感じたのです。
そうして痛覚さえも死んでしまった中でも僕は比較的無事だった両腕をもがいて、うっすらとしか残っていない神経をフル動員して、ほふく前進を始めました。
この兎としての身体はもう死んでしまったのでしょう。だから今何とか動いているのは、バーナビー・ブルックスJr.としての強固な意志だけです。もはや霊体である僕が操っているだけみたいですけど、気力以外で動くような形状ではなくなっていたのだから、当然ですよね。
爪を引っ掻きながらの、ほふく前進の途中で少しだけ身体が軽くなりました。あれ、まだ魂は抜けきっていない筈なのにおかしいなと少しだけ身体の下方に目をやると、オートバイとの衝突の際に捻じり切れて辛うじて肉一枚で繋がっていた右足が、ずるずると引きずられるのに耐え切れなくなってぼとりっと切れたようです。
想定していなかった良い土産に僕は薄く笑いました。幸福のお守り…ラビットフットが残されるなら幸せになってもらえるかなあと、唯一。
耳鳴りがうるさいガンガンと騒がしいなと頭を動かすと、ここでようやく腹部も裂けていることにも気が付いて、初めてぶらりと垂れ下がる兎の腸なんて見たな、想像より長いなと気が付きますが、鈍いですよね。
そうして僕は最終地点までずるずると這いつくばっての、ほふく前進を進めました。五体不満足では兎なのにまるで亀並みのスピードしか出ませんが、ただ前を目指して着実に向かいました。
そうです。目的地は、虎徹さんの目の前にある薪の炎の中なのです。
なるべく一気に飛びこむように、残った右足を必死にもがいて、最後の力を振り絞って僕は身を投げました。
ここでようやく僕を呆然と見いやるだけだった虎徹さんが、がばりっと立ち上がりましたが、ちょっと遅かったですね。
そんなに長くない兎の毛でも案外燃えやすいものなのだなと、一瞬で炎が僕の全身を伝わりました。人間だと、炭になる最後の瞬間まで意識が残ると聞いた事がありますが、兎だとどうでしょうか。
網膜が焼けて溶け尽くしても、それでも僕は虎徹さんを見つめ続けます。視界が霞むのに、意識が虚ろになるのに、もう焼き付いた瞼を閉じる事さえ叶わないから。
そろそろ虎徹さんにもわかって貰えたかな。僕が何でこんなことをしたのか。
これは料理です。
おびただしい鮮血による血抜きは万全に済ませて来ましたし、これで丸焼きがうまく出来ると思います。
美味しい加熱時間で、適度に取り出してくれると嬉しいな。
虎徹さんに食べて貰って………血肉となって一緒に生きられることが僕は何よりも嬉しいです。これできっと一緒に生きられる。そうして間違いなく幸せだと。
次は人間で会えるといいですね。
そうしたら、今度は僕が虎徹さんを食べてあげられるから。